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私的興味の夏の甲子園!(4) 史上最遅の終了、3度目の春夏初戦対決……トリビア満載の1日でした

楊順行スポーツライター
横浜高校時代の松坂大輔。1学年下も翌99年春にまたもPLと対戦した(写真:岡沢克郎/アフロ)

「勝利の女神が、ちょっとだけウチに味方してくれたのかなと思います」

 神戸国際大付(兵庫)・青木尚龍監督はそういった。

 センバツに続き、北海(南北海道)との初戦対決。相手エース・木村大成から2点をもぎ取り、投げては阪上翔也から楠本晴紀の継投で1失点。2対1で、センバツに続く勝利に「よく勝ったと思う」と青木監督は真情を吐露する。

 なにしろ木村は、プロ注目の左腕。だが初回、「2年生なのに周りが見えて、何かをやってくれる選手」(青木監督)という二番の山里宝が145キロをはじき返す二塁打を放つと、それが木村への目に見えない重圧となり、2回の2点に結びついた。

 組み合わせ抽選で再戦が決まると、北海・平川敦監督が「またか、と。すごい確率ですね」と驚いた春夏連続の初戦対決。これは1940年の松本商(現松商学園・長野)と徳島商、47年の下関商(山口)と東京の慶応商工(現慶応・神奈川)に続く3例目だという。

「やりやすさもやりにくさもありました。ことに、雨で3日順延の間、甲子園の室内で練習するときに2回ほどすれ違い、親近感がありましたから」と青木監督も苦笑い。過去2例はいずれも、春に勝った松本商、下関商が夏も連勝しており、この日もそうなった。なお神戸国際と北海は、2017年夏にも対戦があり、これも神戸が制している。

あの横浜×PLは甲子園で3季連続対戦

 県大会レベルなら、過去には3季連続初戦で対戦したケースもある。02年秋から03年春、そして夏。福井で強豪・敦賀気比と、大野東(現奥越明成)がいずれも初戦でぶつかったのだ。福井の加盟校は当時で29だから、春32、夏49の甲子園出場校より少ないとしても、3回連続で初戦での対戦なると、実現する確率としては天文学的ではないか。

 さらに、3季とも勝ったのは敦賀気比だが、03年夏は延長15回引き分けがなんと2試合。3試合目にしてようやく決着がつくというレアケースの上にさらにレアケース。僕が知っている3季連続初戦対決はこの例だが、参加校が少なかった時代、あるいはいまも参加校の少ない県では、ほかにもあるかもしれない。

 初戦以外なら、甲子園でも3季連続の対決が何例かある。歴史的な名勝負のひとつは、60年夏から翌年夏にかけての、法政二(神奈川)と浪商(現大体大浪商・大阪)で、60年夏には2回戦で当たり、法政二が勝利。法政二は2年生・柴田勲(元巨人)、浪商は1年生の尾崎行雄(元東映)がエースで、勝ち上がった法政二がそのまま優勝した。翌年春は準々決勝での激突で、やはり勝った法政二が優勝して夏春連覇。3度目となるその年の夏は、準決勝の延長戦で浪商が勝利を収め、そのままV。つまり3季連続の対決を制したどちらかが優勝するというレベルの高さだ。

思い出す松坂の夏

 98年春〜99年春のPL学園(大阪)と横浜(神奈川)は、甲子園での3季連続対決のうち唯一の春・夏・春というケースだ。98年春は、80年代のPLを率いて6回全国制覇した中村順司監督の最後の大会。横浜・渡辺元智監督(当時)は、こう語っていた。

「PLといえば80年代以降、全国のチームが目標としてきた強豪です。ただ不思議なことに、私自身は一度も対戦がなかった。中村監督最後の大会で試合ができることが、ありがたかったですね」

 この大会、両者は準決勝で対決。PLが2点をリードしたが、横浜が後半逆転すると、決勝では松坂大輔(現西武)が関大一(大阪)を完封し、そのまま頂点に立っている。そして夏の両者は、準々決勝で対戦。横浜が延長17回を制したこの試合は平成の名勝負といわれ、勝った横浜が春夏連覇を達成した。

 松坂を中心に史上5校目の春夏連覇を達成したこのドラマは9月、『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風 』という本としてベースボール・マガジン社から発売されるので、ご興味のある方はぜひ。

 そして翌年のセンバツでも、両者は1回戦で対戦する。PLと対戦するクジを引いたのは、前の年に2年生で春夏連覇に貢献し、新チームでは横浜のキャプテンになった松本勉だった。98年春夏はいずれも横浜が勝っていたが、3度目のこの試合で勝ったのはPL。9回表、最後のバッターとして三振に倒れた松本は、試合終了の挨拶が終わると、やはり前年の春夏を経験したPLの田中一徳(元横浜)にこう語りかけている。

「絶対、優勝しろよ!」。それは前年の夏、延長17回を終えたあとにPLナインにかけられた声と同じだった(ただしこの大会の優勝は、準決勝でPLに勝った沖縄尚学だけど)。

 さて、3日順延させた雨の影響が残り、第1試合が10時59分開始だったこの日。第4試合は19時10分開始で、終了がプロ野球のナイターより遅い21時40分だった。これは、記録が残るなかで最も遅い試合開始時刻18時50分(第47回・報徳学園[兵庫]対広陵[広島])、またもっとも遅い終了時刻21時27分(第68回・津久見[大分]対高岡商[富山])をいずれも更新したのだとか。

 ただ第68回のその試合は、大会第1日。当時は開会式のあとに4試合(現行3試合)が組まれているうちの第4試合だった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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