「ネット右翼的なるもの」に秋波を送って惨敗した立憲民主党と泉健太代表―参院大分失陥の衝撃
・立憲民主党、「社会党の牙城」参院大分失陥の衝撃
今次衆院・参院補欠選挙は、岸田内閣に対する事実上の中間評価であると同時に、野党第一党である立憲民主党・泉健太代表体制への中間評価でもあった。2021年11月末に枝野氏に代わって選出された泉新代表は、2022年夏の参院選挙の洗礼を受けたが、振るわなかった。
とは言えこの選挙期間中に起こった安倍元首相銃撃事件、加えて巻き起こった旧統一教会と自民党議員等との関係性の批判など、参院選以降から今年にかけて政治情勢が激変する中、泉代表の指導力が問われた補欠選挙であったことは言うまでもない。また加えて、泉代表体制下で維新の会との共闘(現在は、小西議員の所謂”サル発言”を巡り停止中である)を行ったことに対する立民支持者の評価という側面も多分にあった。
結果として、衆院山口2区、同4区の補選は、従前から自民党有利の公算が大きく、自民候補の勝利はまず想定の範囲内である。和歌山1区補選は立民が候補を立てていないから、注目は千葉5区、参院大分の2区の情勢であった。千葉5区は不祥事で辞職した薗浦健太郎氏の補選であるから、当然野党系がかなり有利とみなされたが、ふたを開ければ自民党新人の英利アルフィヤ氏に立民公認の矢崎堅太郎氏が競り負けたのは立民支持者にとってはショックが大きい。
矢崎氏は千葉5区の最南部、千葉県浦安市選出の県会議員の経歴を持ち地元浸潤が厚く、さらに千葉5区全体が市川・浦安といった東京隣接の新興住宅地帯で、地元の地縁・血縁に無関係な新住民が多いことから元来無党派層が多い。よってリベラル気質がやや強い選挙区にもかかわらず、自民新人に敗北したことはすわ立民執行部の責任追及の機運にもなろう。
また千葉5区以上に、参院大分補選の敗北は立民への中間評価という意味において決定的な意味を持つ。大分は保守色が強い九州において、珍しくリベラル気風が強く、衆議院では社会党党首の村山富市元総理を輩出したいわば「社会党の牙城、サンクチュアリ」であり、現・社民党支持者には「大分から党勢を挽回したい」と言わしめ、その状況はまるで「アラモ砦」と形容するのは言い過ぎでは無かろう。
加えて今回の補選は与野党一騎打ちであり、野党候補(立民公認)は社民党元党首の吉田忠智氏である。当然、立民支持者はもとより吉田氏への支持を表明した社民党・日本共産党支持者は同氏に入れるわけだが、この大分で数百票差とは言え、自民新人の白坂亜紀氏に吉田氏が競り負けたのは、千葉5区の失陥より遥に政治史的な衝撃が大きい。補選終了後、泉健太代表は「補選全敗の責任を取って代表を辞職する考えは無い」旨を表明したが、選挙は結果がすべてである。なぜ立民は極めて重要な補選で全敗を喫したのか。旧統一教会問題などで本来追い風となるはずの立民・泉体制の何が評価されなかったのだろうか。
・立維共闘に支持者からNO
結論から言うと、まず第一に、現在は刹那停止中とはいえ、泉健太代表の示した維新の会との共闘方針に対し、立民支持者が否定的な判断を下したことである。維新支持者が立民に融和的だったのだとすれば、参院大分の敗北の説明ができない。
刹那共闘したとしても、立民と維新はその政策的に水と油で、立民公認候補への投票には寄与が少ないと認められたこと。千葉5区では、立民候補矢崎氏と、維新候補である岸野智康氏等が野党分裂したが、岸野氏は約23,000票を取って有効票に対し約13.9%を獲得した。仮に維新の岸野氏が出馬しなければ、この23,000票は立民の矢崎氏に行っていたのか、と問われると厳しい。
NHKの出口調査において、維新支持層はおおむね岸野氏で固めており、矢崎氏は維新の会支持層から10%余りしか支持を固めていない。岸野氏立候補なくば、これらの支持層は自民、国民民主(岡野氏)に流れるとみられ、英利氏と矢崎氏との票差はより離れたとも考えられる。維新支持層が立民票に味方するとは考えづらい。
そして第二は、維新との共闘方針への否定的評価もさることながら、党の顔たる泉代表が、とりわけ代表就任以来「ネット右翼(ネット保守とも)」的なるものに秋波を送った結果、立民の伝統的支持層たるリベラル、進歩派有権者等から一定程度の違和感・拒否感を持たれたからである、と私は結論する。これはどのような意味か。
・「ネット右翼的なるもの」への融和路線に違和感
私は、2021年11月末に泉健太氏が立民の新代表になった際、「批判型野党」ではなく「提案型野党」たらんことを堂々披瀝したときから泉氏の党運営方針に対し強い違和感を持った。ネットの保守層は、野党、とりわけ立憲民主党が数次の国政選挙でも党勢拡大ができないことに対し、決まって「野党は批判ばかりで提案をしないから」と評した。「批判、攻撃ばかりで国政の足を引っ張っている野党第一党の立憲民主党―。」このような評価が、ネット世論の影響を受ける格好で、一部メディアやコメンテーターの発言の中に混入するようになる。
このような一部のとりわけネット言説上の野党批判を真に受けてか、泉健太代表が就任後、最も強く打ち出したのが「提案型野党」という概念だが、基本的に言葉遊びの範疇であり、何の意味もないと私は思う。なぜなら、そもそも日本語文脈のなかで、「批判という言葉そのものに既に、”提案”という概念が含意されている」からであり、逆に「提案という言葉にも既に”批判”という概念が含意されているから」である。
より詳しく述べると、例えば「ヘイトスピーチは絶対にいけない。そのような言辞を弄する議員や、言論界隈の風潮も掣肘するべきだ」という批判の中には、「ヘイトスピーチを根絶すること自体が、より良い社会の形成につながる」という提案が含意されている。また「民族や出自を基準としない言説を大いに盛り上げていくべきだ」という提案の中には、「ヘイトスピーチは許されない」という批判が含意されている。
要するに、「批判型野党」か「提案型野党」か、の違いは”批判のトーン”の濃淡に過ぎず、本質的には同じなのだが、とりわけネット世論からの「批判ばかりで何もしない」という声を真に受けたことが「提案型野党」という泉氏の決意に繋がったのだとしたら、それは繰り返すように単なる言葉遊びである。もし泉代表の中に、「提案という言葉の中に批判は存在しない」という概念が存在するとしたら、もしかするとそれは国語センスの欠如であろう。そうだとしたらネット世論の言説を過大評価しそれを真に受けすぎているといえる。
・泉健太代表の歴史認識の欠如
また泉代表の歴史にまつわる認識も、総じてリベラル、進歩派有権者から疑義を持たざるを得ない状況と言え、これも選挙時にはマイナスの要素として映ったといえる。私が泉代表の野党第一党党首としての歴史認識に、ややもすれば強い違和感を感じたのが、所謂今年年初に泉氏が乃木神社を参拝したことを公表した件、についての騒動であった。
泉氏は2023年の新年を迎えるのにあたり、乃木神社を参拝したことをSNS上で明かすや、「軍国主義の礼賛ではないか」という批判が殺到したことを受けて、「近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが「軍人を神と崇める行為」とされるとは…。」(原文ママ)などと反論した。この是非について議論が昂じ、例えば維新の会の音喜多駿議員は「僕もひろゆきさんと同じで、何も考えていなかったと思う。おそらく近くにあったのが、投稿されたこの看板だったのではないか」(ABEMA TV)などと評した。
音喜多氏の評が正しいとすれば、むしろ「何も考えていない」ことこそが最大の問題である。乃木希典の人生を肯定するかどうか、ということが問題なのではなく、野党第一党の党首がそのような神社に参拝したことを公にすることが、どのような政治的ハレーションを巻き起こすのか、に思慮が向かないところこそが問題なのである。
仮に、ドイツの野党第一党の党首が、プロイセン時代の軍人の墓に「近所だから」という理由で献花したら、ドイツ世論はどう思うだろうか。
そういった思慮がないのは、端的に日本近現代史の知識や素養が足りていないからである。明治国家にとって、日露戦争は大戦争であり、明らかに明治日本の対外拡張の足がかりの原初である。乃木は明治天皇大喪の礼に際して夫婦で殉死している。乃木は天皇制国家へ忠誠を尽くした軍人であったことは間違いないし、その乃木をどう評価するかは個人の自由だが、野党第一党の党首・公人が、それを「何も考えずに」披瀝するということ自体、その人の歴史観が第三者からどのように思われるか、を決定する要素のひとつであるという認識がまるでないのではないか。
また泉代表は2023年の念頭にあたり、「本日は伊勢神宮参拝と年頭記者会見の予定です。「皇室の弥栄」「国家安泰」「五穀豊穣」を祈願するとともに、やはり全国民皆様の「平和」と「生活向上」が大切。そのために一層働くことを誓ってまいります。」(2023年1月4日、同氏のツイッターより)などと披瀝した。
私も皇室の安寧は強く祈念することであるが、三重県の伊勢神宮への政治家への参拝は、靖国神社参拝の是非と同様に、たびたび政治問題化しているのは周知の通りである。同三重県ではかの有名な「津地鎮祭訴訟」(1977年最高裁判決)を巡り、日本国憲法第20条の謳う政教分離に違反するか否かを問うた国賠訴訟があり、三重県津市が挙行した地鎮祭は政教分離の観点から「違憲」とする判決が二審(高裁)であり、最高裁では結果的に原告請求が棄却されたものの、最高裁判事の意見が別れることになった訴訟である。
ことほど左様に伊勢神宮や該地神社への政治家の関与は、極めて政治的にナイーブなものであるが、そういった歴史的経緯に泉代表が無知なのか、何のエクスキューズもつけずに「伊勢神宮参拝」と言ってしまうところは、既存の立民支持者に違和感を与えるだろう。その一言一句の表現が、支持層にどう思われるのかについて無自覚なところが目立つように思うのは考えすぎだろうか。
・何の意味も持たない「保守接近」
泉代表が、「何の考えもなしに」、如何にもネット上の右派世論が好みそうな、「批判ばかりでなく提案型野党を」とか、「皇室の安寧や弥栄を願って神社に参拝した」と言うのであれば、端的に既存支持者への無思慮と歴史認識やセンスの欠如、無知であり、既存のリベラル色の強い立民支持者や微温的賛同者が他党に入れたり、そもそも棄権したりする行動に拍車をかけているといえる。
また、そのような言動が「保守側の政治的中道を取り込みたい」という政治的思惑に立脚して行われたのだとすれば、完全に間違っている。「ネット右翼」とまではいかないものの、「ネット右翼的なるもの」に幾ら秋波を送ったとしても、私が過去論考で繰り返し述べている通り、彼らの総数は有権者に対して2%、その総数で約200万人である。仮にその秋波が著効したとして、彼らの5%が立民に入れる(投票率を考えればもっと下がるが)といささか過大に想定しても、最大約10万票にしかならない。参考までに2022年参院全国比例の立民の得票数は、約520万票で7議席獲得だが、これが10万票増えて約530万票になったとしても8議席にはならない計算だ。新規開拓を目指すよりも、既存の立民支持者を離さない努力の方が求められることは言うまでもないが、泉代表の方針を観るにつけ、現状は逆を行っている。
ネット右翼は立民の個別議員を蛇蝎のごとく嫌っており、そこに幾ら訴求してもなんの効果もないと思われるので、このような方針を意図的におこなっているとすれば完全なる戦略の間違いであろう。
とは言え、泉代表や立民の執行部は、「ネット右翼」的なるものとは一線を画しながらも、政治的中道の人々にもっと立民の支持を広げたいと思っていることは間違いないだろう。日本人有権者の多くは、排外主義的言辞を弄する者を嫌うし、さりとて政治的革命や権力への徹底抗戦を志向する革新の言い分にも、冷めてしまうきらいがある。この中間層をなんとか取りたいというのは、どの党でも同じであろう。
・リベラル陣営の間違った「保守取り込み」戦略
それがために、「純朴な愛国心」みたいなものに訴求する立候補者が、リベラルと目される候補にも多くなった。要するに排外主義とまではいかないが、「伝統を守る」「伝統を引き継ぐ」云々の連呼である。しかしながら、真に伝統を守ると訴えつつ、政治的には中道の人々に訴求したいのならば、それは乃木神社や伊勢神宮への参拝を正当化する理屈を弄することではない。
そういった言説は保守などではなく、単に「復古主義」の亜種であり、「間違った復古主義」を許容することに他ならないのではないか。それらは日本近代の刹那的”人工的伝統”の文脈をトレースするだけで、真に伝統を守る事にはつながらない。
日本の伝統を守る―、それが真の保守だ―、というのならば、近代以前に存在した「男色・衆道の歴史を鑑み、LGBTqに寛容な社会を築く」とか、「秀吉の朝鮮出兵で断絶した日韓関係を再構築した江戸幕府に学ぶ」などと言うのが正しいはずだが、そいういった掛け声はまったく聞こえてこない。
基本的に人文科学、社会科学、特に日本史についての知識量が絶対的に少なく、であるがゆえに政治的・歴史的なセンスが薄弱なのであろう。とりわけこの傾向を濃密に持つと言えなくもない政治家が、野党第一党の党首になっているという事実は、今後予想される解散総選挙においても、決定的な敗北を招来する大きな要素になるかも知れない。私が仮に立民支持者であれば、泉代表の体制が続く限り、選挙においては棄権すると思うかも知れない。
その声は大きなノイジーだが、実質的には殆ど票に影響をもたらさない「ネット右翼的なもの」に媚びれば媚びるほど、立憲民主党はその存在意義を失う。言わずもがな、そのような性質を露骨に表すのであれば、リベラルに親和性を持つ政治的中間の有権者は、立民に入れる動機がますます存在しないからである。いま野党に求められるのは歴史修正主義や復古的概念への毅然とした対立と言えなくもないが、それを曖昧にして、なおかつそういった価値観への「許容」ともとれる方針を党の代表が示す以上、既存の立民支持者は離反し続け、総じて立憲民主党の未来は存在しえないのではないか。
余談だが、筆者は泉健太氏より8歳年下である。北海道札幌市出身、地元中堅公立高校を経て京都の立命館大学に進学した氏と、学部(泉氏は同大法学部で、筆者は文学部史学科)は違えど、私は極めて似通った経歴を持つ。要するに泉氏は書類上私の先輩にあたるのであるが、それを思うとため息とともにすわ空を見上げてしまうのである。が、その空は冴え渡った晴天などではなく、今にも雨が降りそうな曇天なのであった。(了)