疑問だらけの財務省の教育認識 実態を踏まえた、子どもたちの未来を本気で考える姿勢が求められている
10月11日に開かれた財政制度審議会(財政審)の歳出改革部会に提出された「資料」をみていると、財務省が何を考えているのか戸惑ってしまう。財政審は財務相の諮問機関なので、資料をつくっているのは財務省であり、そこには財務省の意図が込められていると解釈するのが自然である。
|教員数増は認められない大前提
「資料」の「義務教育」というページの最初に「少子化の影響と教職員定数」がある。その冒頭で、「少子化の影響により、平成元年度以降、児童生徒数は約40%減少しているが、教職員定数は児童生徒数の減少ほどには減少していない」と結論づけている。つまり、「教職員定数の引き上げは必要ない」ことを大前提にしているようだ。
教員不足について全国の自治体が具体的な数字で示しているなかで、教員定数を増やせという声も高まりつつある。さすがに財務省も、自治体が示している実態を完全無視するわけにはいかないのか、「資料」には「教員の人材確保①(総論)」という項目が設けられている。「必要ない」との大前提を掲げているにもかかわらず「人材確保」についてふれているのは矛盾しているようにもおもえる。財務省も、ほんとうは教員不足だとおもっているのではないだろうか。
ともかく、そこで教員不足の理由として「資料」には、「近年の大量退職・大量採用に伴う(若手教員の)産育休取得の増」と述べられている。産育休取得者が多いのは事実かもしれないが、それだけで文科省調査でも「教員不足の状況が1年前より悪化している」と答える自治体が約4割にも達するほどの状態になるはずがない。教員の中途退職者の増加、神経疾患による休職者の増加など、いま問題にされている実態について、「資料」はふれていない。
さらに「資料」は、「労働力人口の減少による人手不足の離職や増加は、日本の多くの業種における共通の課題・現象」としている。そして、「『数』に頼らない教育・効率的な学校運営としていく必要があるのではないか」とする。人手不足は学校だけのことではないのだから、「教職員数を増やせ」などといわず、効率的な運営で解決しろ、ということらしい。「ほかも同じなのだから、教育現場も我慢しろ」的な言い方はどうなのだろうか。そんなふうに教育を考えてしまっていいのだろうか。
「効率的な学校運営をしていく必要があるのではないか」という文章の前には、「民間出身者の活用等を行いつつ」との一文が挟み込まれている。教職員数を増やすのは「ダメ」だが、民間出身者を増やすのは「アリ」なのだろうか。正規の教職員を増やすのにくらべて非正規採用の民間出身を活用すれば、コスト的には安あがりになる。「効率的」には合致するから「アリ」なのだろうか。
|効率だけで語ってはいけないのが教育
「効率的」について、財務省は「資料」でコンビニなどでのセルフレジの導入や、航空会社の共同運航、金融機関の支店の統廃合、学習塾のタブレット端末による授業などを参考として並べている。セルフレジと同じように、自動的に答案が採点されるシステムを導入すれば効率的だということなのだろうか。コンビニではセルフレジで会計を済ませて客は品物を持ち帰ればいいのだろうが、教育においては採点を基にした指導がより重視されなければならないはずだ。採点すればお終いにはならないはずで、そこらあたりは、どう考えているのだろうか。
共同運航や統廃合は、これまでもすすめてきた学校の統廃合の加速化を示唆しているようにおもえる。統廃合によって通学時間が長くなったり、コミュニティの破壊につながったりとさまざまな問題も明らかになってきているが、それは財務省には関係ないことなのだろうか。
タブレット端末による授業は、同一の授業をより多くの児童生徒がいっせいに受講できることはできるかもしれないが、教員による指導が疎かになるリスクもふくんでいる。点数をとるためだけの学習には向いていても、一歩すすめた学習のためには教員による指導が必要な場面も増えるため教員を増やす必要がある。そこまでの指導は必要ない、と財務省は考えているのだろうか。
これだけでも、財務省がほんとうに教育のことを考えているのか、疑問ばかりが浮かんでくる。結局、財務省の「資料」から伝わってくることは、「教員を増やすために予算は増やさない」という頑固な意思だけである。その意思を示すために、あれこれ「教員を増やす必要はない」との理由を並べ立てているのだが、どれもが実態を無視しているとしかおもえない。
予算を増やさないために、教育実態に目を背けているとしかおもえない財務省の姿勢は疑問だらけだ。