【土浦市】ハッケン!まち歩き水郷都市・川口川の面影を辿るその3~土浦最初のデパート「豊島百貨店」
桜橋跡からさらに歩みを進めて土浦の繁華街へ。川口川の水運が発達したことで街は活気にあふれ、大正初期には土浦初のデパート「豊島百貨店」が誕生しました。
土浦初のデパートとして誕生した「豊島百貨店」
川口川の右岸だった場所、現在は大きな駐車場となっている地には土浦初のデパート「豊島百貨店」とその隣には土浦繭糸市場がありました。大正期の土浦は、養蚕が盛んなところであり、全国一の繭取引高を誇ったこともあるほど。
大正6年(1917)、土浦繭糸市場が創業し、取引を行わない閑散期には「豊島百貨店」として営業しました。
上の写真は土浦市の名所をポストカードとして販売していたものの1つで「豊島百貨店」をはじめとした街の賑わいが描写されています。「豊島百貨店」は写真の左奥。ドーム型の屋根が目印です。
呉服や時計・宝飾品、玩具、文房具などの日用品全般まで幅広く取り揃えた百貨店で、中には食堂もあり、戦時中は予科練生の指定食堂にもなっていました。
「豊島百貨店」のすぐ近く、土浦駅側に向かうビルが立つ場所は江戸時代には醤油醸造が行われていたところ。江戸時代に国学者として大きな足跡を残した色川三中(いろかわみなか)を生んだ色川家が営む醤油醸造所でした。
川口川沿いに大きな醸造所を構えていた色川家は、江戸時代から明治37年(1904年)まで代々醤油醸造業を営んでおり、土浦でも有数の生産量を誇っていました。
「川口川沿いに醸造所があったのは、醸造した醤油をすぐに積み出しできて便利だったからです」と教えてくれるのは、土浦市立博物館の学芸員・木塚久仁子さん。
当時の土浦は霞ヶ浦と北浦、それにつながる利根川水運の物資の集散地として栄え、醤油醸造業の盛んな土地のひとつでした。また、川口川沿いには醤油蔵だけでなく、穀物などを扱う倉庫群も立ち並んでいたといいます。
個人商店が軒を連ねた川口川の左岸
木塚さん「この通り沿いには個人商店がたくさんあったんですよ」
私たちが歩いているのは、中城通りと本町通りを結ぶ歩道を渡ったところ。川口川に架かる桜橋を渡るイメージで川の左岸へとやってきました。
昭和初期に入ると川口川は上流からの水量が少ないことで土砂の堆積がひどくなり、さらに両岸の市街地の生活排水の流入が加わって、次第に水が汚れてしまいます。また、時代の流れで水運から陸運へと輸送手段の需要が変化したことから川を暗渠しにして埋め立てられることが決定します。
川が埋め立てられた跡に「ハイカラなショッピング街を」ということで誕生したのが祇園町です。
現在は亀城モールとなったこの通りには、傘を専門に売るお店や甘納豆屋、洋品店、カバンのお店など個人商店が軒を並べていました。
祇園町の誕生とともに創建された「幸福稲荷神社」
川口川が暗渠化され、地上から姿を隠すと同時に新市街として現われたのが祇園町でした。祇園町の町名は公募によって決定したもので、町の誕生とともに昭和10年(1935年)に、京都伏見稲荷大社より分霊を迎えた幸福稲荷神社が遷宮されました。
幸福稲荷神社の社号は、京都伏見稲荷大社より賜ったもので、本社と同じく狛犬ならぬ狛狐が神様を守っています。
土浦の繁栄の歴史を語る上で欠かせない祇園町誕生の物語。
感謝の気持ちを込めて参拝をして次へと向かいます。
神社参拝後は安くておいしい削り節をお土産に
幸福稲荷神社に向かう途中に「ムトウ削節店」というお店があります。
創業90年を超える歴史ある削り節の専門店で、削りたてのかつお節(1袋40g300円)とさば節(1袋40g200円)を購入することができます。
お手頃な価格でとてもおいしいのでお土産にぴったりです。出汁としてだけでなく、ふりかけとして味わうのもおすすめです!