樋口尚文の千夜千本 第120夜「心魔師」(今野恭成監督)
映画の魔は細部に宿る
作品を観終えても『心魔師』というタイトルの意味がわかったような、そうでもないような感じではあるが、むしろそのことが面白かった。この奇妙な題名は香港や台湾のホラーみたいなテイストを狙っているのかなと思いきや、それが洒落ではなかった。東京藝大映像学科出身の中国人の女子が卒業後、北京の映像制作会社に入って、学科同期の28歳の監督にいくつか企画を提示し、選ばれたのがこの作品だったという。そういうまさにこの時代だからこそあり得るユニークな作品の成り立ちが、本作のやや出処不明な魅力を形づくっている気がする。
富士山麓の町で猟奇殺人が発生し、その遺留品から町の療養所が浮かび、癖ありまくりの刑事が潜入を試みると、入院患者はもとより医者も看護師もみんな異様な空気を発して彼を翻弄する。おおざっぱに言うとこういう筋書きなのだが、これはあくまでアウトラインであって、観るべきものは今野恭成監督が人物たちを動かし、語らせ、入退場させる間合い、それを切り取る映像のセンスの妙味である。そもそもなんとも興味をそそる異色の設定なのだが、さらにそれが監督の「語り方」によって大きい映画的跳躍を見せている。神は細部に宿るとはまさにこの映画のためにあるような言葉で、とにかく本作の主役はその「細部」である。
しかし「細部」を仔細に語ろうとすればするほどネタバレは避けられず、これほど誉めるのが難しい作品もないのだが、とにかく監督の繊細で趣味性も濃厚な語りは(年齢を聞いて驚愕したが)もはや老熟の域にある。インソムニアの刑事(この設定もなぜともなくわが意を得たり)に扮した生津徹は、『CURE』『カリスマ』『叫』といった黒沢清作品の役所広司を彷彿とさせるが、作品自体も黒沢清の「語り方」の影響が色濃く感じられる。そこに加うるに、ジョン・カーペンター『ザ・ウォード/監禁病棟』から中川信夫『亡霊怪猫屋敷』に至る病院の怪異の記憶もちらほらと立ちこめ、全篇この構造と匂いにぐいぐいと惹きつけられる。
こういう映画の本質にかかわるホラー表現に秀でた監督は、黒沢清『トウキョウソナタ』のようにホームドラマやコメディを撮ると映画がノンジャンル的な面白さに開かれてゆくと思うので、ぜひ大好きなホラーにとどまらずさまざまなジャンルに挑戦してほしいと思う。