Yahoo!ニュース

海外協力隊員が中米に蒔く野球の種【世界の野球から】

阿佐智ベースボールジャーナリスト
昨年12月、グアテマラでの「親善試合」に出場したJICAメンバーたち。

 中央アメリカにあるグアテマラという国を知っているだろうか?少なくとも野球ファンには全くと言っていいほど馴染みのない国だが、ここにウィンターリーグが存在し、世界各地からやってきた上位プロリーグへの移籍を目指す選手たちが、毎年秋から冬にかけて汗を流している。数年前まではこのリーグはプロを名乗り、わずかながら選手には報酬が支払われていたものの、昨冬からは、チャンスを掴むため逆に選手が参加料を支払って参加するトライアウトリーグとなってしまった。

 このリーグにも、日本人選手が複数名挑戦していた。そして、その中からは、北米の独立リーグでプロ契約を掴み取った選手も出た。

 それが原因で多くの日本人選手がやってきたというわけではないのだろうが、実は日本とグアテマラは野球を通じた絆を深めている。

地球の裏側にある小国で行われた「国際親善試合」

 昨年、12月初旬。この国唯一の本格的な野球場、「エンリケ・トラポ・トレビアルテ」で「国際親善試合」が行われた。

のんびりした雰囲気漂うグアテマラのスタジアム
のんびりした雰囲気漂うグアテマラのスタジアム

 このイベントの旗振り役となったのは、JICAグアテマラ事務所。外務省所管の独立行政法人・JICAは人を通じた政府開発援助を行う機関で、様々な分野で国際協力隊員を途上国に派遣している。その一分野にスポーツもあり、「お家芸」の野球はもっとも派遣実績のある種目となっている。そして「野球隊員」の最大の派遣先は意外なことに中南米で、グアテマラは国別で1位のブラジルに次ぐ2位の派遣先となっている。

 この「国際親善試合」は、ウィンターリーグのレギュラーシーズン最終盤の休養日に実施された。

 ウィンターリーグに所属する日本人選手が協力隊員と「チーム・ジャパン」を結成し、グアテマラ人選手・コーチにドミニカやパナマからやってきた選手たちが加わった「チーム・グアテマラ」と対戦した。会場となった、普段リーグ戦が行われているこの国唯一の本格的な野球専用球場(ただしこの近くに少年野球場はある)には、JICAスタッフに加え、グアテマラ野球連盟の会長まで観戦に訪れた。

観戦に訪れた現地野球連盟会長を出迎えるJICAスタッフ
観戦に訪れた現地野球連盟会長を出迎えるJICAスタッフ

 日が沈む頃にアナウンスもなく始まった試合は、アメリカのマイナーリーグでプレーした経験をもつ選手も複数いる「チーム・グアテマラ」が優勢かとも思われたが、協力隊員が務めた先発投手の前になかなかヒットを繋げることができず、また、ジャストミートした当たりも野手の正面をつくなどなかなか得点を挙げることができなかった。一方の「チーム・ジャパン」の方は、実力的には格下の感は否めなかったが、お家芸の「スモール・ベースボール」よろしく、詰まった当たりでも野手の間に落ちるなど、少ないチャンスをものして得点に成功。勝敗の行方は最後まで分からないものとなった。

両軍には、この試合に際してユニフォームも提供された。
両軍には、この試合に際してユニフォームも提供された。

 結局試合は、がたいのいいラテン系プレーヤーたちを「中米のサムライ」たちが下した。

「中米一危険な国」に野球を広めにやってきた理由

 学生時代以来ひさびさにゲームをしたという協力隊員Aさんに話を聞いた。まだ20代半ば、ウィンターリーグに参加している選手たちと同世代だ。本格的なプレーとはしばらく離れていたというが、マイナーリーガーたちと堂々と渡り合った。ウィンターリーグでも十分やれるのではないかと話を向けると、「もう、プレーヤーは十分です。怖いですよ」とはにかんだ。

 野球を始めたのは小学校1年の時だという。大学1年まで硬式野球部で本格的にプレーたものの、故障のため、プレーは断念した。10年以上打ち込んできたものが突然目の前から消え、自分になにができるのかと煩悶しているうちに思いついたのが、それまでプレーしてきた野球を伝えるという国際貢献だった。JICAの海外協力隊に応募し、見事採用された。大学2年の時のことだった。

 希望に胸膨らませていたAさんにあのコロナ・パンデミックが襲い掛かった。世界中を席巻した疫病の前に、海外協力隊は活動を停止せざるを得なくなったのだ。Aさんは予定していた休学を取りやめて、大学に籍を置きながらコロナ禍が収まるのを待った。

 しかし、時だけは過ぎてゆく。そのうち3年に進級し、周囲は就活を始めた。Aさんにも決断の時は迫ってくる。協力隊派遣再開の目途が立たぬまま、それを待って大学を卒業するというわけにもいかない。Aさんは、広告制作会社に就職することにした。いつの間にか2年という月日が経っていた。

 しかし、Aさんの中に、途上国に日本野球を伝えるんだという情熱の灯はともり続けていた。入社して1年社会人経験を積んだ後、彼は職を辞し、海を渡ることにした。せっかく得た職だったが、それが若さの特権というものだろう。Aさんは、その決断をあっけらかんとこう振り返る。

 「元からその予定でしたから。就職の時に、もう、1年で辞めますって伝えていたんで」

 任地のグアテマラは自ら希望した。「危険地帯」と言われている中米にあっても最も治安が悪いと言われている国である。どうしてそんな地を選んだのだろう。

 「うーん、なんででしょう(笑)。文化ですかねえ」

 元々中南米に興味をもち、社会学を専攻した大学ではコーヒーのフェアトレードを卒業論文のテーマに選んだという。それを聞くと、コーヒーの産地として知られているグアテマラに興味をもったのもうなずける。

 「それでグアテマラのことをいろいろ調べるうちに、マヤの文化とか、スペイン植民地の歴史だとかそういうこともいろいろ分かってきて…。(仕事辞めるっていうのは、)むちゃでかいですけど、こっち優先というか、こっちの方が僕の中では大きかったんで。」

 若者の好奇心の前には、治安の悪さなど小さいものだ。いや、それさえも興味の対象になったのかもしれない。

 任期は2年。すでにグアテマラで1年半を過ごし、あと少しで帰る予定だという。帰国後の青写真はいまだ描けてはいないが、なんらかのかたちで野球にはかかわりたいと思っている。

首都グアテマラシティでの少年野球風景。地方に行くとこのような「野球場」はない。
首都グアテマラシティでの少年野球風景。地方に行くとこのような「野球場」はない。

サッカー場で野球普及

 グアテマラに赴任し、派遣されたのは、大学時代の研究テーマだったコーヒー栽培の中心地、コバンだった。人口約14万人の静かな町だが、ここにも野球の灯はともっている。コロナ前には野球連盟に登録されたいくつかの少年野球チームが活動していた。田舎町ということでなにかと不便ではあるが、安全面からJICA職員は出歩くことはないという首都・グアテマラシティと違い治安面の心配はしなくていい。

 一方で、野球をする環境は首都とは雲泥の差だ。

 国際大会も行われるスタンド付きの立派なスタジアムの他、少年野球場が市内に数か所ある首都と違い、この田舎町には「野球場」はない。

 「グラウンドって言っても、原っぱですよ。動物もうろうろしているし、油断すると牛のウンチ踏んだりします」

 Aさんは屈託なく笑う。

 そのグラウンドは、普段は主にサッカー場として使われている。マウンドを作ってみたこともあったが、「サッカー勢」にすぐに削られてしまった。だから、この町のピッチャーたちは平たい「マウンド」しか知らない。

 Aさんがこの町に赴任してきたとき、この町の野球の灯は消えかけていた。コロナパンデミックによる移動制限が多くのチームを活動停止に追いやってしまっていたのだ。Aさんは指導者がたった2人という現実を踏まえ、まずはとにかく野球をする人数を集めようと、複数あったチームをひとつにまとめた。しかし、そのチームの拠点がセントロ(中心部)から離れたところあったため、交通インフラが決して整っているとは言えないこの町では、その地域の子供しか通えないという事態になってしまった。それでも、Aさんたちは、その地区を拠点に野球の普及に努めている。

 実は、グアテマラシティでの「親善試合」のきっかけをつくったのはAさんである。所用でグアテマラシティに行った際に、ウィンターリーグの試合を観に行ったのだ。そこで同リーグの日本人選手たちと知り合いになったAさんは、その場で、コバンに来てもらうよう、選手たちに申し入れたのだ。

「野球クリニックをしに来てくださいってお願いしたんです」

 学生野球しかしてこなかった自分たちではなく、「本物」をコバンの野球少年たちに見せてあげたいとAさんの思いは選手たちに通じた。選手たちは、試合のない日に、バスで片道6時間もかかる片田舎まで足を運ぶことを快諾してくれた。現役の選手によるクリニックは大好評で、親善試合の後も、選手が再びコバンに足を伸ばしてくれた。

開発援助で野球を広める意味

 コバンで野球にいそしむ少年たちの多くは、豊かな家の出ではない。野球は道具などでとかく金のかかるスポーツである。この町での普及活動では、決して十分ではないものの、政府から野球連盟を通じて道具など用意してもらっているのだが、さして野球人気の高くないこの国で、途上国援助としてわざわざ野球を普及させる必要があるのだろうか?「スポーツを通じた青少年の健全な育成」と言うなら、人気スポーツのサッカーで十分ではないのか。私が抱いたその問いにAさんは2つの答えを用意してくれた。

 「僕の自身のことから言うと、ここ(親善試合)に僕はひとり教え子を連れてきたんです。今日はキャッチャーをしてもらいました。コバンの環境は決して恵まれているわけじゃないんですけど、彼はそういう環境にいながら本当に野球を続けたいって思っているんです。中米では、ジュニア世代から国際大会が結構行われているんですけど、グアテマラでは代表チームって言っても、ほとんど首都の子なんです。だから彼はそういうのに呼ばれることもないし、代表レベルまで野球を続けられるのは、経済的に余裕のある子どもだけなんです。そういう中で、彼みたいな子が僕を頼ってくるんです。彼らが次のステップに行く足がかりを作る。それが僕の存在意義かなあって。出会いのおかげで道ができる、その道を作るのが僕の今の仕事ですね。それと野球をやっていた身として、野球というスポーツが世界中にどんどん拡大していくことですね」

 そのような普及活動の結果、現在、「◯◯国初のプロ野球選手」が日本やアメリカのプロリーグで次々と誕生している。むろん彼らが活躍する舞台はNPBやMLBなどのトップリーグではない。独立リーグやマイナーリーグだ。それでも、彼らがそこで手にする報酬は母国では考えられないほど高額であることがほとんどであるし、なによりも先進国で生活するという体験は、その後の彼らの人生に大きなアドバンテージになる。しかし、その「ビッグチャンス」を手にできるのは、彼らの中でごくごく僅かな者である。ある研究では、スポーツを通じて先進国に渡った者が母国に戻らないことも指摘されている。途上国援助としてのスポーツ普及活動は、途上国から先進国への留学生の多くが、母国に戻らず移住先の社会に貢献することを意味する「頭脳流出」と同じく、「筋肉流出」にしかならないという矛盾が生じているという批判も起こっている。

 しかし、Aさんは実際に現地で活動している目線からそのような批判に対しても、こう反論する。

 「でも、(もし野球を足がかりにチャンスを得たなら、)本人にとってはプラスですよね。僕が行かなければ、そうなっていないでしょう。たとえひとりでもいい、僕が野球普及活動をするなかで、なんらかのチャンスを掴む人間が出て、ひとりでも救えることができたなら、僕はそれでいいと思います」

 それにね、とAさんは付け加えた。

 「僕が、ここに来て思ったのは『選択肢』ってことなんです。例えば、なんでもいい、日本だとたくさん選択肢あるじゃないですか。僕だって、他のスポーツをしてたかもしれないんですが、野球が身近にあったんで野球を選んだんです。ここには野球がないから野球しない子がいて、それって単に選択肢が少ないじゃないかって思うんですよ。その選択肢を広げるって意味で、僕たちの活動はすごくいいんじゃないかって思います」

 確かにそうだ。先進国に住まう我々には多くの「選択肢」がある。ときにその選択肢の多さに辟易とすることもあるのだが、その「選択肢」が我々を幸せにし、社会を健全にしていることを我々は忘れがちである。

 子供が少年となり、大人になっていく時、多くの岐路に当たる。その岐路に思い悩み、決断を下す過程が「大人になる」ということだとすれば、その人生の岐路さえ提供されないということは決していいことではないだろう。

 野球普及を通じて新たな「選択肢」という実をグアテマラの人々の前に提供すべく、「野球隊員」たちは、コーヒーの国で日々汗を流している。

地方にもこのような施設ができることを願い「野球隊員」は日々奮闘している。
地方にもこのような施設ができることを願い「野球隊員」は日々奮闘している。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

阿佐智の最近の記事