映画「長崎の郵便配達」から東京の中高生が学んだこと。核兵器廃絶のために私たちに何ができるのか?
被爆地の郵便配達と戦勝国の空軍パイロットの人生が交わる
8月5日から「長崎の郵便配達」というドキュメンタリー映画が全国公開されている。ピーター・タウンゼンドという、イギリス出身でフランスに暮らした作家の同名のノンフィクション小説を頼りに、作家の娘であるイザベル・タウンゼンドが長崎を訪れ、1945年8月9日に長崎で何が起こったのか、なぜ父は長崎を訪れたのかを知っていく。
・「長崎の郵便配達」予告編
ピーター・タウンゼンドは、イギリス空軍の大佐で、のちに王家の侍従武官を務める。そこでエリザベス女王の妹にあたるマーガレット王女と恋仲になり、国中を騒然とさせる。その騒動が、オードリー・ヘップバーン主演の名画「ローマの休日」のモチーフだともいわれている。
長崎の郵便配達とは、当時16歳にして郵便配達中に被爆した谷口稜曄(すみてる)さんのこと。映画では、当時の谷口さんが背中に大やけどを負い、治療の痛みに顔を歪める動画も挿入されている。よくこんな状態で生きていられたと驚くほどの重症だ。1年9カ月うつ伏せを続けたために、胸が床ずれで腐り、えぐれてしまったというから壮絶だ。
谷口さんは、自らの体験を語り、自らの体に残った傷跡を世界に晒すことで、核兵器の恐ろしさを実感として世界に伝えようと活動した。そこにピーター・タウンゼンドは共感し、作品を描いた。そして今回、その作品に感銘を受けた映画監督・川瀬美香さんが、イザベルさんを訪ね、ともにピーターの足跡をたどった。
核兵器や戦争の悲惨さを伝えるとともに、時空を超えたひとのつながりを描く。片や被爆地の郵便配達、片や戦勝国の空軍パイロットだった二人の人生が交わる。35年以上の時を超え、父が訪れた土地を訪ね、父が残したオーディオテープの音源を聞き、イザベルさんの感情が沸き立つ。
私が個人として印象に残ったのは、映画の中でイザベルさんが述べた次のようなコメントだ。「私が若いころ、『自分が亡くなってから君は僕の本を読むだろう』と父に言われました。当時は反発心を覚えましたが、いま、彼の言ったとおりになりました」。
私の子どもたちも私の本をまったく読もうとしない。それでいいのだと思う。でも、自分が亡くなったあとに、何冊かだけでも目を通してくれて、いつの日か、父親が何を必死に伝えようとしていたのかをそこから感じとってくれたら嬉しいと思う秘かな楽しみがある。映画を見ながらこのとき、私は、ピーター・タウンゼンドの父親としての想いに共鳴していた。
立場や文化や時間すら超えて、ひとの心は交感できる。ならば、いまは亡き谷口さんの想いを伝え続けることだってできるはずだ(谷口さんは映画のプロジェクトが進行中だった2017年に亡くなった)。そんな想いがつまった作品である。
長崎にルーツをもつ中高一貫校の生徒たちが受け取ったバトン
この映画を全校生徒で鑑賞した学校がある。東京都八王子市にある東京純心女子中学校・高等学校だ。純心はカトリックに基づく教育を行う学校。1934年に長崎で純心聖母会が創設され、1935年に純心女学院ができた。学園を創設したシスターは江角ヤス。しかしそれから10年後、被爆。生徒・教職員214名が殉難した。
江角は悲しみに暮れ、いちどは祈りを捧げることで一生をすごそうと決意するが、学校を再開してほしいという声に後押しされ、学校を再建する。1964年には東京にも学校をつくるにいたる。
東京純心の生徒たちは、学校の源流ともいえる長崎に研修に行く。自分たちの先輩が、どんなに理不尽な苦しみを味わったのか、目を背けずに学ぶ。
そんな縁があり、今回、映画「長崎の郵便配達」を全校生徒で鑑賞し、そのうえで、監督の川瀬美香さんと、主演のイザベル・タウンゼンドさんと、オンラインで学校の講堂を結んでの意見交換会が実現した。2022年8月9日の、まさにその日にである。
長崎での研修を終えた高2、高3の生徒たちからは、「長崎で見た風景が映画にもたくさん出てきた」とのコメントがあった。これから長崎研修に行く生徒たちにとっては、今回の映画鑑賞は予習の意味合いがある。
「核兵器のない世界にするために中高生にできることは何か?」という生徒からの問いに、イザベルさんは、「この映画を見てもらって『わかった』という感覚、自覚をもってくれたはず。それをこんどは自分の方法でひとに伝えていくことが大事です。伝え方にはいろいろな方法があるはずです」と答えた。
「戦争のない平和な世界を実現するために最も大切なことは何だと思うか?」と問われた川瀬さんは、「わからない。わからないからこの映画をつくりました。でも、少なくとも、地球で何が起こっているのかを知り、過去に何が起こったのかを知り、身の回りの日常を大切にすることを通じて、みんなが世界全体のことを考えられるようになるのではないかと思います」と答えた。
イザベルさんは最後に「人間は意見を発信し、ときにそれを戦わせることで理解し合える。長崎で自分が知ったことを伝えるのが、みなさんのミッションです」と言って、谷口さんからピーターさんへ、そしてイザベルさんへと受け継がれたバトンを、東京純心の生徒たちにも渡した。創立者江角ヤスや、戦争で命を落とした先輩たちから受け継ぐバトンに、さらに強力な想いが加わった。
「学校とは、本来知識の詰め込みをするところではなく、『知の教育』と『こころの教育』のバランスをとりながら、生徒たちが成熟した大人になってゆく過程の鍛錬の場です」。東京純心の校長の言葉だ。
科学技術の進歩にともなって、たとえば戦争で使う兵器を扱うために必要な知識や技術は複雑になったが、戦争を起こしてしまう愚かさは、原始人時代に部族間闘争をしていたころから何も変わっていない。だったら、いくら時代の変化が激しいといっても、それはあくまでも科学技術の進歩の話であって、人間の心を育む教育の本質がそう簡単に変わるはずがない。
「時代は変わっているのだから教育も変わらなければいけない」は、一見正しいが、危なっかしい発想だ。時代が変わっても、絶対に変えてはいけない部分が教育にはある。東京純心の長崎平和学習への取り組みを知れば、そのことが痛いほどにわかるはずだ。
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監督・撮影:川瀬美香 構成・編集:大重裕二 音楽:明星/Akeboshi
エグゼクティブ・プロデューサー:柄澤哲夫
プロデューサー:イザベル・タウンゼンド、高田明男、坂本光正 プロダクション・アシスタント:坂本肖美
企画制作:ART TRUE FILM 製作:長崎の郵便配達製作パートナーズ
出演:イザベル・タウンゼンド、谷口稜曄、ピーター・タウンゼンド
2021年/日本/日本語・英語・仏語/97分/4K/カラー/2.0ch/日本語字幕:小川政弘 フランス語翻訳:松本卓也
The Postman from Nagasaki Film Partners
配給:ロングライド