ビジネスの世界で「率先垂範」という言葉は死語にしたい
部下の意識や行動を変えるには、まず自分が変わらなければ何も始まらない、と信じて疑わない上司がいます。やたら「率先垂範」だ、と口にする人がいます。ということは、その上司が変わらないことには、部下も変わりようがない、ということなのだろうな、理想はそうかもしれないが、本当にこれで良いのだろうか、そんな手順で部下育成を考えて良いのだろうか、馬鹿マジメすぎないか、自分のことをもう少し棚に上げたほうが現代の上司たちは精神的に追い詰められなくていいのではないか、と私は考えています。
私がセミナーで目標「絶対達成」の考え方、メソッド、仕組みについて講義すると、受講されている企業管理者の多くが、「まずは私がやってみます」「私がやらないことには部下にやらせることなんてできませんから」などと言われます。
私はそのように言われると必ずこう言いかえします。
「あなたが変わらなくてもいいですから、部下は変えてください」
と。「変わらない部下を責めるのではなく、部下を変えられない自分を責めるためにあえてそういう言い方をしていませんか」というフレーズを飲み込みながら、です。「まずは私が変わります」という人のほとんどは、何もやりません。口癖のように言っているだけです。
本当に変わる人は、そんな大まかな精神論的宣言をしないものです。具体的な行動に移すため、「このプロセス指標はどう分解したらいいですか」「顧客との接触カウントの定義について教えてください」といった質問をしてくるものです。
そして「やります!」などと大声で明るくガッツポーズなどは見せず、淡々と行動します。セミナー受講後、会社に戻り、部下を呼んで「明日からこれをやりなさい」と落ち着いて指示します。本当に部下を動かす人は、自分を奮い立たせるような物言いはしないものです。
自分が変わらなくてもいいではないですか。部下は上司であるあなたを逐一チェックしているのではないのですから。
どうしても自分も変わりたいというのであれば、部下と一緒に「用意ドン!」で変わればいい、と思います。部下の成長をせき止めているのが自分自身だという自覚がないのはいけません。ニュースにはブラックな企業のブラックな上司たちが連日取り沙汰されていますが、現場にいると、そんな上司はごく一部。というか、ほとんどいません。現代の上司たちは、過剰に部下の言動を恐れ、マジメという表現で包み込んだ「すべて自分の責任です、と言いたい草食系」上司が多いのです。現場で研修やコンサルティングセッションをしているとき、もう少し理不尽になってもいいのに、といつも私は思っています。