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【富田林市】富田林市中野、すぐ傍まで行けるお亀石古墳に歴史散歩!新堂廃寺との関係もここに?

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林市内には古墳が本当に多くありますね。さくっと見ただけでも錦織公園内にある堂ノ山古墳や、伏見堂にある西野々古墳群、住宅地にぽつりと存在する。彼方丸山古墳などが出てきます。その中でも富田林駅から比較的近い場所にお亀石古墳があります。

「お亀石」という名前も他の古墳と比べて身近に感じますが、それ以上に富田林の中心部近くにあって比較的行きやすい場所。ただ少しわかりにくいところにあるので、行き方を紹介しながら、お亀石古墳とは?についてご説明します。

私がお亀石古墳の存在を知ったのは意外なところでした。それは喜志の宮こと美具久留御魂神社(みぐくるみたま神社)に参拝した帰りのことです。

帰り際に見つけたこちらの道標に記載している、お亀石古墳と新堂廃寺の文字。新堂廃寺については、後日セミナーを受ける機会があり、こちらに詳しく紹介しました。

さて、お亀石古墳についてはこの道標を見つけたときには、別の予定があって行かなかったのですが、やはり気になったので、後日改めて行ってみることにしました。

まず地図で位置関係を確認します。大阪外環状線(国道170号線バイパス)から見ると、星野珈琲店とドンキホーテの間に、お亀石古墳に入る道があります。

地図にもあるように、お亀石古墳側に向かう道は何本かあります。私は、地図上に赤い線で記したルート、水道のポンプ場の南側に通じてあった道から行ってみました。

ポンプ場とテニスコートの南側にある細い道をまっすぐに進みます。

しばらく歩くと、散歩やピクニックによさそうな雰囲気のところに出てきました。

この日は天気も良いので、本当に風景が映えています。

ところがしばらく歩くと、目の前に赤いゲートがありその先には入れません。このゲートの先には企業のグラウンドがあるからなのですが、左手に道があります。お亀石古墳に行くためにはこの道を進みます。

途中に史跡の表示板がありました。オガンジ瓦窯跡と言われる史跡です。ここはお亀石古墳と新堂廃寺とセットで、ひとつの国史跡「新堂廃寺跡 附 オガンジ池瓦窯跡 お亀石古墳」として扱われていました。

この池は御観寺(オガンジ)池という名称で、池の堤の中に窯跡が発見されたとか。この池からみて、ちょうど南東の位置にあったとされる新堂廃寺、そこに供給する瓦を焼くための窯だったのではと推測されています。飛鳥時代から白鳳時代に稼働したそうですね。

オガンジ池の横の道をさらに奥に進みます。

途中でベンチがあります。実はこの近くにお亀石古墳に上がる道があったのですが、私は最初間違えて、池沿いにさらに奥に進んでしまいました。

道は先に続いており、気が付けばオガンジ池のさらに上にある池のあたりまで歩きました。しかし、この先は藪の中に続く道。「これはおかしい」と引き返しましたが、それは正解でした。

先ほどのベンチの近くまで戻ると、このように上に向かって続く道があります。これがお亀石古墳に向かう道。ヒントは「山火事注意」と書かれた看板です。

山火事注意と書かれた看板の下に小さく「お亀石古墳」とありました。ちょっとわかりにくいので注意しましょう。

改めてお亀石古墳を目指します。訪問したのはまだ冬の寒さが厳しい時期だったので、風景が今とは違うので注意してください。ちょうど落ち葉が多く落ちていたときのためか、足元が滑りやすかったです。

丘を登りきるとお亀石古墳が見えてきました。情報によればお亀石古墳は羽曳野丘陵にある飛鳥時代の古墳で、標高約97メートル地点です。

こちらがお亀石古墳です。築造当時は、北側、西側、東側が尾根に囲まれ、南側には谷があったとか。そこには水が流れていたそうです。

羨道(せんどう:遺体を収容しておく玄室から、外部に通じる通路)です。ただしお亀石古墳の特徴として玄室がないとかで、石棺(せきかん:石でできた棺)を玄室の代わりとして用いられていたとか。

説明版によると、現在は別の場所に保管しているそうです。

奥の石室部分を拡大しました。南河内地域の古墳でよくみられるという横口式石槨(せきわく:棺を納める室)の形態です。

お亀石古墳は、当初円墳と考えられていたそうですが、その後の調査で古墳の東西が21メートルある方墳と推定されました。

肝心の埋葬者ですが、新堂廃寺の近くにあることや、古墳に積まれていた平瓦が、新堂廃寺と同じ百済系の種類であることから、新堂廃寺を建立した人物ではないかと想像されています。

埋葬者が百済系の渡来人か、元々この地にいた有力者かどうかは今後の調査結果を待ちたいところ。

ところでなぜ古墳名に「お亀石」という名前がついているかです。古墳の上の部分、家形石棺の棺蓋に六個の縄掛突起があるそうで、それは古くから露出していたらしく、亀の形に似ていたからそう名付けられたとか。

古墳の上の部分から撮影しましたが、今は土に覆われてその突起物が確認できませんでした。仕方がないので以前発掘時に公開されている写真をもとに描いてみました。

こんなイメージ。この形からお亀石古墳という名前が付いたそうです。

最後にお亀石古墳の位置から富田林の市街地方面を眺めてみました。金剛・葛城・二上の山々を望めるそうで、今回はそれらの山がはっきり特定できませんでしたが、富田林市の東に連なる金剛の山々ははっきり見えました。

その気になればすぐに行けるお亀石古墳。少しだけ道がわかりにくいのと、上り坂が少し足場が悪いですが、歴史を感じる場所なのでプチ散歩におすすめです。

お亀石古墳
住所:大阪府富田林市中野
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩16分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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