【富田林市】意外に知らない?美具久留御魂神社の神様や由緒、そして三輪山との関係と秋祭り情報も紹介
秋祭りシーズン真っ只中。今年はお祭りが中止や縮小の所が多く、少し寂しい年になりましたね。お祭り以外でも、願掛けをしたい時、初詣や厄払い、七五三など、なにかと近所の神社におまいりして神頼みをしている人は多いと思います。
ところで、その神社にどんな神様が祀(まつ)られているか、あるいはなぜそこに祀られているのか。神社について意外に知らないことも多いのではないでしょうか?
そこで、いまさら聞けないことを、神社を訪問しながらご紹介していきます。
今回は「喜志の宮さん」と親しまれている神社、正式名称は読み方も難しい、美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)に行ってきました。
喜志の宮さんは、位置的には国道170号線バイパス(大阪外環状線)よりも西側にあるのですが、入口の一の鳥居は東側、旧国道170号線(大阪府道23号線)の位置にあります。
また鳥居のすぐ横にあるのがは美具久留御魂神社御旅所(おたびしょ)。ちなみに御旅所とは、神社の祭礼(神幸祭)で神輿に乗った神様が途中で休憩や宿泊する場所のことです。
一の鳥居から、道なりに西方向に行きます。レインボーホール(富田林市市民会館)と近鉄長野線の踏切、そして外環状線を越えると、いよいよ神社の境内が見えてきました。
鳥居の後ろは緑に覆われてとても美しい森が広がっていますが、実は喜志の宮さんは大阪府自然環境保全地域で、かつ「大阪みどりの百選」に選ばれているんだそうです。
ここからが神社の参道。先に見える鳥居までの間に、参拝者用の駐車場があります。
駐車場の行き方ですが、この場所が見えたら左側の道に入ってください。そうすれば、参拝者駐車場の入り口があります。(右側からも行けますが、道が狭いです)
二の鳥居をくぐると、全部で6700坪あるという境内に入ります。ここで喜志の宮さんこと美具久留御魂神社をおさらいしましょう。まず神社名になっている美具久留御魂(みおぐくるみたま)大神をメインに祀っています。
この神様の正体は、大国主命(おおくにぬしのみこと)。因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の神話でもおなじみの、あの出雲大社の神様です。
この美具久留御魂大神を主祭神(メインにお祀りしている神様)として、左殿に、水の分配をつかさどる天水分神(あめのみくまりのかみ)と弥都波迺売命(みずはのめのみこと)を祀っています。
そして右殿には国水分神(くにのみくまりのかみ)と、祓(はらえ)の神の1柱、須勢理比売命(すせりひめのみこと)。
この祓(はらえ)とは、神話で国を作った神様とされているイザナギが、黄泉(よみ)国から帰還した際に、穢(けが)れを払うために禊(みさぎ)をおこない、その際に生まれた神々のことです。
ちなみに上に書いたように、神様のことは、ひとりふたりではなく、1柱(はしら)2柱と数えます。
境内の案内図を確認すると、本殿は眞名井ケ原(まないがはら)という山の中腹にあります。その手前が上拝殿で、階段の下に下拝殿を配置。また本殿が鎮座する山そのものが御神体とされています。
手水舎です。ここで手を清めてお参りしましょう。喜志の宮さんの歴史は古く、なんと紀元前88年ごろの時代にさかのぼります。10代天皇・崇神(すじん)のときに、この場所に大蛇が頻繁に出没したことに由来。
実際に天皇がそれを視察したときに、天皇が「これは大国主(おおくにぬし)の荒魂(あらたま)である」と言われたそうです。その後、丹波の氷上(ひかみ)にいた氷香戸辺(ひかとべ)という首長の子供に、突然神託(しんたく:神様のお告げ)が下りました。
それを聞いた天皇が「やはりこれは大国主を祀る必要がある」と考え、皇太子を使わせて、この場所に大国主命を祀らせました。
いよいよ見えてきたのが下拝殿です。歴代天皇の崇敬(すうけい:あがめうやまうこと)が厚い神社として、850(嘉祥3)年の時点で、神階(神社の位)が、「従五位上」と呼ばれる地位に進んだとの記録があります。
さらに927(延長5)年に成立した延喜式(えんぎしき)という律令の施行細則の書類にも、河内国石川郡に「美具久留御玉神社」が存在したという記録が残っています。
下拝殿の奥に70段の大階段があり、この階段を上がれば上拝殿に参拝できます。
その後の歴史ですが、中世には楠木正成が新しい社殿を作りました。しかし豊臣秀吉が和歌山の根来寺攻めを行った際に発生した兵火で、その社殿が焼け落ちます。
そして、社殿は江戸時代1660(万治3)年に再建されました。明治時代に制定された「近代社格制度」で郷社という位置づけになります。
下拝殿には、神輿が飾られていました。なお新型コロナウイルス感染症対策の為、10月15・16日に行われる秋季大祭では、神輿の渡御などが規模縮小で行われるなど、通常の予定を変更して実施されます。詳しくはこちら公式ページより確認してください。
下拝殿の横に、マザーリーフが置いてありました。自由に持って帰ってよいとのことだったので、ありがたくいただきました。幸福の葉っぱと言われているマザーリーフ、水に浸けておくと、そこから小さな芽がたくさん出て来るんだそうです。
下拝殿の横から上拝殿に向かう大階段。この階段を登れば一気に本殿の前にある上拝殿まで行けますが、急な階段なので、横のなだらかな参道を使う方が楽に上がれます。
喜志の宮さんは、このようにこの山自体が御神体です。ハイキング気分では登らないようにしましょう。
山の参道を上がっていくと、ところどころに小さな祠(ほこら:神を祀る小さな建物)がありました。この辺りが非常に神聖なところであることがわかります。
上拝殿に来ました。この奥にあるのが本殿。ところで喜志の宮さんの山は御神体ですが、それに加えて古墳群(美具久留御魂神社裏山古墳群)となっています。
この古墳群は、古墳時代前期の前方後円墳1基と古墳時代後期の円墳3基から構成されています。1930(昭和5)年ごろに発掘調査が行われており、その際に円筒埴輪と銅鏡が出土しました。
神の鎮座する神聖な場所に古墳があることは、ほかの神社ではあまり見聞きしない珍しいことです。
こちらは上拝殿から大階段を見た画像。階段が下拝殿に続いています。ところで本殿から拝殿そして鳥居の向きが、東にある「二上山(にじょうさん)」を向いているとのこと。
さらに二上山のさらに奥、奈良盆地を抜けたその先には、そうめんの名産地でも有名な、三輪山(みわやま)があります。実はこの三輪山も御神体として祀られており、そこには日本最古とも伝わる大神神社(おおみわじんじゃ)が存在。
ちなみに山そのものを御神体としているのは、この喜志の宮さん(美具久留御魂神社)と大神神社しかないともいわれています。東西の直線上に、山そのものを御神体としたふたつの神社があるというのも不思議な話。歴史的なロマンを感じます。
案内図では山の裏手に一の宮参拝道があるとのこと。古代の行政区分にあった一の宮を祀る8本の神木がこのようにあります。しかしこの参拝道はあまり人が踏み入った形跡がなく、道が少しわかりにくいのが残念。山道に慣れている人でなければあまりお勧めできません。
ということで喜志の宮さんを参拝しました。
最後に神社のキャラクター「みぐくるん」を紹介しましょう。頭の帽子が二上山で、首には大蛇を鎮める勾玉(まがたま)をかけているとのこと。神社という少し敷居の高いところに、こういうゆるキャラがいると思わずなごみます。
神社からの帰り道、目の前にフタコブラクダのような山が見えました。これがあの二上山です。
美具久留御魂神社(喜志の宮さん)
住所:大阪府富田林市宮町3丁目2053
電話番号:0721-23-3007
問い合わせ時間:9:00~16:00
アクセス:近鉄喜志駅から徒歩13分