「キャッチャーをやりたい」―小山一樹(兵庫)の一念岩をも通す《2019 ドラフト候補》
■憧れたのはキャッチャー
「キャッチャーがやりたい」―。
関西独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズの小山一樹捕手にとって、キャッチャーは小学生のころからの憧れのポジションだった。
小学2年で野球を始め、ピッチャーとショートをしていたが、中学2年のときに監督から肩の強さを見込まれて念願のキャッチャーに就けた。
少年には嫌がられるポジションではないだろうか。防具は暑くて重い。ワンバウンドやファウルしたボールは容赦なく襲ってくる。最も生傷の絶えないポジションだ。
しかし小山選手は違った。なんといっても「キャッチャーはかっこいい」そうだ。「思いっきり盗塁を刺すのが魅力的」と目を輝かせる。
「投げるのが好きだったしピッチャーも嫌いじゃなかったけど、やっぱりキャッチャー」と、プロ野球を見ていても、ただただキャッチャーが走者を刺す矢のような送球に惹かれた。
「どの選手が」ではなく「キャッチャーが」好きだったという。
「(ほかのポジションの)人とミットが違う」という道具の違いと、「ひとりだけ向こうを向いている」ことから、キャッチャー願望が芽生えた。
そして「けっこう人を見たりする。前に突っ走っていくほうじゃなかったんで、どっちかっていうと支えるほうが向いてるのかなと」と自己分析する性格からも、キャッチャーが合っているのではないかと思った。
もちろん小学生のころにそこまで考えていたわけではないが、「ピッチャーを、チームを引っ張りたいという気持ちはあった」と振り返る。
■上武大1年の秋、右肩に違和感
高校は強豪校である済美高に進学した。親元を離れる県外の高校を希望したのは自立心の顕れでもあるし、漫画「ダイヤのA」を見て「寮で野球に打ち込める環境っていいな」と影響を受けたということもある。
その後、上武大に進んだ。ところが1年の秋ごろ、右肩が「力が抜けるような感じ」で、思いきり投げられなくなった。しかし大して気にはとめず、違和感はありつつもファーストなどをして練習を続けていた。
すると冬に入ったある日、右肘がパンパンに腫れ上がった。はじめて大きな病院で診てもらったが、診察を受けるころにはアイシングによって腫れは治まっていたので、「なんともない。疲れがたまっているだけ」と診断名すら出なかった。
肩の休養が必要だと言われ、「キャッチャーをやりたかったけど我慢して」引き続きファーストを守った。当時、7〜8割の力でしか投げることができなかった。
2年に進級すると気持ちに焦りが出てきた。「同級生は試合に出始めているし、1年生も入ってきていいキャチャーもいたし…」。
これまでは肩を休ませれば治ると信じていた。しかし、このままでは先が見えないと思った。
なによりキャッチャーがやりたいのだ。ファーストで試合に出たいわけではない。だが、このまま休ませるだけで肩の違和感がなくなるとは思えなかった。
上武大は“全員野球”を標榜している。ひとりだけ離脱してリハビリに専念したいとは、とても言い出せなかった。チームに迷惑をかけることも嫌だった。
しかし、右肩は日増しに異常を訴えてくる。
「病院でなんともないと言われたけど、自分では不安があった。ちゃんと検査して、リハビリしてしっかり治して、またキャッチャーがやりたい…」。
そう願いつつも、せっかく入った大学だ。「こんなすぐ辞めるなんて、来た意味あるのか」と逡巡した。
それでもやはり最後は「どうしてもキャッチャーがやりたい」、その思いで決意した。
辞めたあとの将来の心配より、そのまま続ける不安のほうが大きかった。ようやく退学して肩の治療に専念しようと覚悟を決めたのが、昨年の6月だった。
■治療、リハビリ、そしてトライアウトへ
実家に帰り、まずは病院を探した。ネットで調べたり知人に当たったりしながら、いいと聞けばすぐに足を運んだ。そんな中、ようやく原因がわかった。
「右肩ベネット障害」。肩甲骨の関節がすり減って、傷がついているという診断だった。
「これまでなんともないと言われていたから、わかってホッとした」。これで安心してリハビリに向かえる。
と同時に、進路も考えた。目指してきたのはプロ野球選手だ。大学は辞めてもそれは変わらない。
「いろいろ調べた。大学を辞めた選手がどういう道に進んでいるのか。そしたら社会人より独立リーグのほうが多いってわかった」。
次に独立リーグについて調べた。おもなところで四国アイランドリーグ、BCリーグ、そして関西独立リーグの3つがあることを知った。
「高校が愛媛だったんで四国を受けようとか、それとも芦屋大に編入してブルーサンダーズの2軍というのも考えた」
親御さんに相談すると、「それならブルーサンダーズ1本に懸けたほうがいいんじゃないか」と助言してくれた。
自身は将来のためにも大学を卒業しておいたほうがいいのではないかという堅実な考えもあったが、親御さんは「今しかできないんだから、若いうちに挑戦したほうがいい」と背中を押してくれた。「普通、逆ですよね」と小山選手は笑う。
そこで家から通えるブルーサンダーズに狙いを絞った。
「NPBとも交流戦をしているし、実際にNPBに行った選手もいる。中学時代から知っているチームだったし」。
目標が定まると、11月のトライアウトを目指してリハビリとトレーニングに励んだ。メニュー自体はかなりきつかった。しかし担当の先生の言葉が常に前を向かせてくれた。
「先生は『必ず治るよ。しっかりやれば大丈夫』ってずっと言ってくれていた。だから、これをやったら治るんやと思ったら、頑張れた」。
そして迎えた5ヶ月後のトライアウトでは、自分でもビックリすることが起こった。遠投のテストで、なんと100mを計測したのだ。
それまでは「徐々に良くなってきてて8割くらいは投げられるようになってたけど、怖くて10割は投げられなかった。痛くはないけど、体が怖がって…」と、ビビッていた。
無理もない。体は正直だ。自己防衛反応が働き、無意識のうちに制御してしまっていたのだろう。トライアウトもリハビリ明けすぐで、非常に怖かったという。
ところが人生を懸けたトライアウトで10割の力が出せた。つまりリミッターを解除できたのだ。
「そこで自信がついた」。
もう大丈夫。たしかな手応えが戻ってくるのを感じた。
■独立リーグでの初めてのシーズン
飛び込んだ独立リーグの世界は、これまでと全然違った。済美高、上武大と今までいかに恵まれた環境で野球ができていたのか、痛感させられた。
しかし、今の環境だからこそ得られたこともあるという。
「練習時間も短いけど、その分1球1球、1つ1つを大事にするようになったかなと思う。以前も何も考えずにやってたわけではないけど、バッティング練習も自分が打ちたいときに打てた。今は1人当たりの時間も限られているから、その中で考えながらできるようになった」。
貴重な時間と場所。その中で1球ずつ考えながら取り組む打撃練習によって、集中力もアップした。
■キャッチャーとして工夫できた
チームには当初キャッチャーが4人いたため、ファーストやDHも兼務しながら39試合に出場したが、キャッチャーとしてはさまざまな工夫ができたと胸を張る。
「捕るのが仕事だけど、それはできて当たり前。僕はジェスチャーを多く、大げさにしている。たとえば空振りを取りにいく変化球だったら、しっかりワンバンでもとミットを地面につけたり」。
タイムをとるタイミングも、行き当たりばったりではなく、計算してとるなどした。
山崎章弘監督(読売ジャイアンツ―日本ハムファイターズほか)が同じ捕手出身であることから、その教えもとことん吸収した。
「技術面は自分のスタイルがあるんで。それより考え方だったり、キャッチャーはどういないといけないとか、そういうことを教わった」。
自分の感覚と、ピッチャーとのコミュニケーションを大事にしろと説かれた。
そして所属するピッチャー全員の持ち球を、それぞれ順位づけてノートに書くことを課された。当初10人いたピッチャーのすべての球種を、それぞれ順序づけて記した。
「その球種の順位とその日のピッチャーの調子を照らし合わせて配球することを教えてもらった」。
書くことでより頭に叩き込まれ、実戦で冷静に対処できる。
ピッチャーの状態が悪いときこそ腕の見せどころだとばかりに、自分なりのリードができたと自負している。
■勝負強いバッティング
バッティングにも自信がついた。
「けっこう点につながるような打撃が多かった。追い込まれてからの粘り強い打撃、状況に応じて考えた打撃はできていたんじゃないかと思う」。
そう振り返るとおり、得点圏打率は.405とチャンスにめっぽう強かった。そのワケは得点圏で打席に入るときの考え方にあった。
自ら「キャッチャーらしいかも」というその考え方とは、「最高の結果と最低の結果、それと最悪の結果を思い浮かべる。そうすると頭の中を整理して、楽に入れる」というのだ。
最高の結果とは「一番いいのはヒットやホームラン」、最低の結果とは「最低限の仕事はできている。犠飛や内野ゴロで点が入る」、そして最悪の結果とは「空振り三振とかゲッツー」ということだ。
実は野村克也氏の本を愛読しており、そこからヒントを得た考え方だという。
また、実際に野村監督のもとでプレーした橋本大祐ピッチングコーチ(元阪神タイガース)からも、その当時教わったという「ノムラの考え」を伝授されている。
本もよく読む。本屋の店頭で手に取って選ぶが、どうしてもメンタル系の本が多くなるそうだ。
こうして、捕手としても打者としても大きく成長したと納得できる1年を終えた。
■勝たせるキャッチャーに
関西独立リーグでは給料が出ない。そこで週3回、ジムでアルバイトをしながら野球に打ち込んだ。しかしマシンを使わせてもらえるというメリットもあり、苦にはならなかったという。
それより独立リーグでは、たとえ1年でもNPB入りできる可能性があることに魅力を感じた。
大学に通い続けていれば3年生の年だ。もし今年のドラフト会議で指名があれば、同級生より1年早くプロ入りできることになる。
意を決し行動してよかったと、しみじみ思う。そしてその行動の礎にあったのは、自身の「キャッチャーがやりたい」という強い思いだった。
抑えて褒められるのはピッチャーだし、打たれて責められるのはキャッチャーだ。しかし、それらをすべて受け入れて、ピッチャーを引っ張っていくことができるのが、この小山一樹という男だ。
「キャッチャーとしての楽しさ?盗塁を刺せると嬉しい。それと、人が嫌がることをしたいなと。あ、でもそれは野球のときだけは、ですよ(笑)」。
そんな小山選手に“理想の捕手像”を尋ねると、「憧れの選手はいない」とキッパリ。ただ、「勝たせるキャッチャーになりたい」と力を込める。
NPBに行ったとしても、それは変わらない。チームを、ピッチャーを勝たせるために小山選手は全精力を尽くす。
【小山 一樹(こやま かずき)*プロフィール】
1998年12月16日生(20歳)/兵庫県出身
180cm・85kg/右投右打/O型
済美高校→上武大学→兵庫ブルーサンダーズ(2019~)
【小山 一樹*今季成績】
39試合 打率.321 139打席 112打数 36安打 7二塁打 0三塁打 3本塁打 22打点 21三振 22四球 2死球 3犠飛 2盗塁 2併殺 6失策 出塁率.432 長打率.464 得点圏打率.405
(表記のない写真の撮影はすべて筆者)