読んでも理解できない古典作品。音声で聴いたら感動&吸収できる?
●今朝の100円ニュース:100通りの人生響きあう(読売新聞)
ビジネス誌やビジネス書を読んでいると、「最新のビジネス書100冊よりも、100年以上読み継がれている古典1冊のほうが有意義。市場淘汰に耐えてきた古典のほうが世界や人間に関する洞察が深いから」といったアドバイスに触れることがある。ビジネス書の自己否定のような気もするけれど、ハウツーものが好きな僕はそのたびに「なるほど!」と興奮して書店に急ぐ。
しかし、たいていの古典は小説であっても体に染み込まない。単語や構成が難解だったり、時代背景に共感できなかったりして、読み終えることが目的化してしまうのだ。読書中は文章を目で追っているだけで、せっかくの「深い内容」に感動することはほとんどない。これでは本を読んだとは言えないだろう。
翻訳物の哲学書や評論集になると、さらに気が重い。10ページぐらい読んだら一休みしたくなり、再びページを開く気持ちになれなかったりする。本棚の肥やしになっている古典も少なくない。論理や知識を吸収する読書は僕には向いていないのかな……。
ならば感性を磨こう。日本の古典文学だ。先日は『方丈記』(角川ソフィア文庫)を買って読んだ。訳者によるざっくばらんな前書きと読みやすい現代語訳、豊富な注釈。それでも、内容が頭に残らなかった。思わず読み返してしまうような一節がない。山の中に隠遁したいという枯れた心境に共感できないのもあるけれど、古文に馴染みがなさすぎるのが原因かもしれない。
今朝の読売新聞によると、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんが、BGM付きの朗読CD『百人一首 恋の歌』を発売した。『源氏物語』や『徒然草』をはじめ、日本の古典作品を朗読してきた実績がある加賀美さん。今回は自らが現代語訳し、和歌の原文、訳文、そして原文をもう一度朗読する構成らしい。「朗読の技巧を考えず、ごく自然に作者の心を伝えたつもり」という。
音声としての言葉の歴史は、文字よりもはるかに古い。現代でも、言葉を耳から聞いて口から発することの繰り返しが人間関係の基礎を形作っていると思う。昔の人が発した慣れない言葉であっても、音声であれば子守唄のように素直に吸収できるかもしれない。
鼻づまりで口下手な僕は言葉を文字で書いて伝えることを仕事にしているけれど、インプットの手段は必ずしも文字に限ることはない。豊かな音声の力も利用して伝統文化に触れていきたい。