シリア内戦を一般市民の女性の目線で。世界で反響を呼んだシリア人女性監督の渾身作
今年7月に埼玉県川口市のSKIPシティで行われた<SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019>で来日した世界の映画人にインタビュー取材。第2回はフランス生まれのシリア人というバックグラウンドを持つ『私の影が消えた日』のスダーデ・カダン監督に訊く。
少しだけ舞台裏を明かすと、最後まで冷や冷やだったのがスダーデ・カダン監督の来日だった。ビザの都合で来日はほんとうに映画祭期間ギリギリに叶った。映画祭関係者もほっと胸をなでおろしたに違いない。
そういうこともあり取材で挨拶を交わすとスダーデ監督はすぐに来日の喜びを語り始めた。
「ほんとうに来日できてよかったわ。自分でも間に合うのかと思っていたから(苦笑)。今回、日本に来るのは初めて。この映画にとっても、わたし自身にとってもひじょうに豊かで貴重な場になりました」
シリア内戦が自分の意識を初長編に向かわせる
彼女のプロフィールをみると、シリアの大学で演劇批評を学んだ後、レバノンの大学を卒業。アルジャジーラ(※カタールのドーハにある英語とアラビア語でニュースなどを放送する衛星テレビ局)でドキュメンタリー番組を監督、プロデュースしているほか、ユニセフやBBCの映像の制作も手掛けてきた。これまで短編映画をいくつか発表しているが、それも国際的に高い評価を受けている。こうしたキャリアを経て発表をされた初の長編監督映画が『私の影が消えた日』だ。
「もともとドキュメンタリー番組を数多く手がけてきたのですが、もちろん長編映画を撮る気持ちはありました。ただ、初めて監督にトライする人にあるような『自分の最初の映画はこの題材で!』というものが自分にはなかったんですね。
それでいろいろと模索していたんですけど、初の長編映画へと意識を向けさせたのは、シリアの内戦でした。
正直なことを言うと、内戦が勃発した当初の2011年ごろというのは、作品を作る意味を見出せなくなりました。創作活動の休止を考えるぐらいでした。というのも、映画で戦争の現実をはたして描くことができるのか、どんなにがんばっても戦争の現実には到達しないのではないだろうかという無力感に苛まれたんです。
でも、だんだんと時間が経つうちに、自分の内なる声が出てきたというか。自分がシリアの内戦で感じていることや抱いた感情などが少しずつ整理されて、ひとつのイメージに集約されていきました。それを形にしようと思ったのです」
自分の内なる声に導かれ、シリア内戦を描くことを決意
作品は、アサド政権と反政府軍の闘争に、イスラム国などの過激派組織も加わり、緊迫化する社会情勢にあるシリアが舞台。その日、食料を入手できるかさえわからない状況の中、主人公のザナは愛する息子に温かい食事を食べさせようと配給先へ向かう。だが、食べ物は手に入れられず、別の配給先へ向かうことに。ただ、その旅路はいつ危機に見舞われてもおかしくない。
爆撃の恐怖にさらされ、明日のことさえも考えられない。そんな死と隣り合わせの彼女の数日間が身に迫るような臨場感あふれるドキュメンタリータッチの映像で描かれる。
「戦時下の状況を観客のみなさんにも体感してほしかったのです。手持ちカメラを使って、その場で起きている現状をあたかもカメラがキャプチャーしようとしているように撮ることにしました。
戦争の中で、先がみえない。すべて五里霧中で、希望も夢ももてない。死がすぐそばにある。いつ自分の身に何が起こるのかわからない。その不安や恐怖を表現しようと思いました。戦争の中にいる人間の心の在り様を知ってほしかったのです」
このように内戦のリアルを徹底的に追求する一方で、ザナの心模様はイマジネーションの世界とでもいおうか。ファンタジックな表現も併せて描かれる。
「もともと表現をひとつにしぼるより、いろいろと組み合わせることが好きなんです。今回はリアリズムに徹した手法をメインにしながら、そこにファンタジー的な表現も組み込みました。みなさんも、いままさに自分がそこに立っていろいろと身体的に感じて過ごしている世界がある一方で、いろいろと考える頭の中の世界がありますよね。そのように現実の世界と頭の中のイメージの世界を同時に表現できたらと思ったのです」
その人の心の内にあるファンタジーの世界を象徴しているのが「影」。タイトルにもなっている「私の影」=「ザナの影」を前にしたとき、こちらはザナの運命の行く末に思いを馳せることになる。
「これまでいろいろな国で上映されているのですが、面白いことにいろんな解釈がされているんですね。ある観客の方は『これは恐怖の象徴だ』といいました。ある人は『影が消えていくということは、恐怖から解放されることなんだ』といいました。
正解はないと思います。じゃあ、私自身はどういう思いをあの影に込めたのかというと、人のトラウマを象徴しているものだと考えています。トラウマを抱えてしまった人間の心の中にずっとつきまとう闇なのではないかと考えています」
さまざまな解釈のできるこの「影」だが、日本人の感性からするとなにか実体がなくなるような。消えゆく命のようにも感じられる。
「おもしろい解釈ですね。そういう意見を伺うと、まさに映像は言葉よりも力を宿しているのではないかと感じます。
ヨーロッパでは、ある種の臨死体験だろうという意見が多いです。さきほどおっしゃっていただいた死を意味するのではないかという意見ははじめてです。
もしかしたら、日本の死生観につながっているのかもしれませんね。生の世界と死後の世界の境界線が何となく曖昧なという考え方が日本にはありますよね。そこに起因した意見かもしれません。とても美しい解釈だと思いますし、興味深い意見です」
シリアの現状を知ってほしかった
この作品はシリア、レバノン、フランス、カタールの合作。ここから察しがつくように資金集めは苦心したという。
「シリアで映画を作ることはほぼ不可能ですし、こういう戦争映画というのはなかなか資金が集まりにくいんです。
でも、内戦が起きて、やはりこの事実は形にしなければならない。なるべく早く知ってもらわないといけないという焦燥感もありました。いま、わたしの国で起きている現状はこういうことなんだ、シリア人が感じていることはこういうことなんだ、この内戦においてこんな目に遭っている人がいる。それをどうしても語りたかったんです。
だから、いろいろなところに資金を募り、どうにか集まって、脚本を書いたのは2011年のこと。完成にこぎつけ、プレミア上映できたのが2018年です。
ということで、足かけ7年間の制作工程。その険しい制作工程も、シリアの現状をそのままなぞるかのような感じでした。
途中で、『無謀な挑戦すぎる』といわれたこともありました。でも、作らねばならないと、なにかに背中を押されるようにわたしは突き動かされたのです。そうした思いのつまった作品が世界をめぐり、日本にまで届けることができた。ほんとうに信じられないことです」
場面写真はすべて(C)KAF Production