「新喜劇の明石家さんまを作る」。間寛平GMの願いと覚悟
吉本新喜劇のジェネラルマネージャー(GM)に就任した間寛平さん(72)。24歳で座長になり新喜劇をけん引してきましたが、再び新喜劇のど真ん中に戻ることになりました。2月9日に行われた就任会見では新劇場構想なども提唱しましたが、大きな決断を後押ししたのは自らの来し方から湧き上がってくる“覚悟”でした。
新喜劇があったらこそ
去年の6月、僕がやらせてもらった全国ツアーの東京公演が終わった後、吉本興業の岡本昭彦社長から連絡があったんです。
嫁と一緒に社長に会いに行ったら、そこで「なんとか、若手を育ててもらえませんでしょうか」と打診されたんです。
正直、僕も70歳を過ぎてるし、自分自身の夢もあるし、新喜劇の現場を離れてもう35年ほど経つ。不安や迷いもあったんですけど、一緒にいた嫁が言ってくれたんです。
「人を育てるも何もあんたがまだ育ってないけど(笑)、せっかくこんなことを言ってくださってるんだから」と。
それでも不安もあるんですけど、幸いなことに嫁ももともと新喜劇にいましたし、今でも新喜劇をものすごく見てるんですよ。若い子のことも本当によく知っていて、もし僕が分からんことがあっても嫁がいてくれたら大丈夫。これやったら、できる。そう思えたんです。
そもそも、僕は高知から大阪に出てきて、東京の芸能界も目指したし、勤め人もやった上で吉本新喜劇に入ったんです。
ただ、新喜劇に入ったとはいえ、落ちこぼれもエエとこというか、どうしようもない人間やったんですよ。
今の世の中やったら何かトラブルがあったら一発アウトのご時世ですけど、当時は横山やすしさんもそうでしたけど、何かあっても周りが「何とかしてやろう」という時代やったんです。
僕も、その優しさにホンマに助けられました。またすぐ近くにいてくれたのが同じタイミングで座長になった木村進やった。今はもう亡くなってしまいましたけど、進ちゃんがいてくれたことでもホンマに助けられました。
進ちゃんはもともと演芸の由緒ある家の出身ですから歌も、芝居も、踊りも何でもできる。その上、男前やし、人気もすごかった。一方、僕は何にもできひんわけです。当時のエライさんにも「寛平が出たら舞台が汚れる」と言われてましたし。
ただ、それでも新喜劇の別バージョンみたいな“ポケットミュージカル”というのがあって、そこには何とか出してもらえた。その場で新喜劇に出られへん分も、そらもうムチャクチャやりました。
そうしたら、当時の吉本の社長さんに「面白い!」と言ってもらえて、そこから「寛平、ホンマにエエわ!」と大事にしてもらえるようになったんです。
進ちゃんとのダブルで座長になったのが23歳。24歳からは僕だけの単独座長になったんですけど、それまでは進ちゃん任せやったのが僕一人では何にもできひん。
初日の公演を終えたら、反省点を踏まえて座長と作家さんらで台本の練り直しをするんですけど、それもようやらん。ほな、吉本の社長がわざわざ来てくれて「こうやった方がエエんちゃうか」と考えてくれてね(笑)。新喜劇という場に、そして周りにいてくれた人にとことん助けられて、なんとかこの歳までやってきました。
環境を作る
だからね、僕が教えることなんて何にもないんですけど、自分もそうやって助けてもらい、チャンスをもらってやってきたんで、今の若い子らにも環境は与えてあげたい。それは強く思っていることなんです。
ありがたいことなんですけど、今の新喜劇には若手がたくさんいてくれます。座員が109人もいます。これはホンマに良いことでもあるんですけど、人数が多いと出番が少なくなるということも起こってしまう。そうなると、気持ち的に腐ってくるというか、やり場のない思いが膨らんでくるということにもなる。
だから、吉本に若い人が出る劇場を作ってほしいと言ったんです。そして、みんなにチャンスを作るために、人気投票で上位30位までの人が出る大きな興行もやりたいと。一生懸命やってる人間が「もっと頑張ろう」と思えるシステムを作りたいんです。
僕なんか何にも分からへんし、何ができるわけでもないんやけど、せめて自分がやってもらったことは新喜劇に返さんとアカンやろうなと。
自分もやってもらったんやからね。そら、お返しはせんと。そこの覚悟というか「もう、これはやるしかない」という思いは、就任したんやから持っておかんとね。
今の座長の小籔(千豊)、川畑(泰史)、すっちー、(酒井)藍ちゃんらとも話をしましたし、今の思いも伝えました。ありがたいことに、みんなしっかりと話を聞いてくれて、うれしい言葉もたくさん言ってくれました。頑張らんとあきません。
新喜劇の可能性
いろいろな価値観の変化で、容姿イジリがアカンと言われたり、笑いのカタチが変わってもいます。もちろん新喜劇も例外ではないです。
そんな中でどんな笑いを新たに作っていけるのか。最近ね、自分が舞台に出ていて思うことなんですけど(池乃)めだかちゃんと僕の絡みのシーンで今までにはなかった笑いが起こる場面があったんです。
あれこれしゃべって、めだかちゃんが「ほな、ちょっと行ってくるわ」と歩きだしたところで、僕が「お前、歩けるんか?」と言うたら、それがものすごくウケてね。
もう、年寄りになってるから、その空気感がハマったのか、見る側の優しさみたいなものと響き合ったのか。今までやったらウケるわけもないシーンで爆笑が起こったんです。
自分でも、なんであんなにお客さんが笑ったのか、ホンマに分からへん。でも、まだまだ新しい笑いは生まれるはずですし、それがあるんやったら、まだ世に出ていない若い子が活躍する場もあるはずやとも思うんです。ヒントはいろいろなところにあるんやろうなと。
そうやって若い子が舞台に立つ中で、次の藤井隆であるとか、島田珠代が出て来てくれたなと思います。ホンマに、ホンマに、思います。
とにかく新しいスター。これなんですよ。そんな子が出て来てくれたら、その子が引っ張ってくれるし、また新たなスターが生まれてくる確率も上がりますから。
藤井隆も、珠代も、島木譲二も育てなあかん。そして、明石家さんまもほしいんですよ。新喜劇のさんまちゃん。これがホンマにほしい。
僕らが座長でやってる頃に、21歳くらいで一気に出てきたのがさんまちゃんで、どこにいっても「キャー!」という歓声です。歓声でネタができひん。あれがほんまもんのスターですわね。そして、そのお客さんが何十年と支えてくださる。
新喜劇を支えるスターも要るし、新喜劇を世に広げるスターも要るし、とにかく新しい力を早く生み出すことが大事なんですけど、新喜劇のさんまちゃん、これがホンマにほしい。これがあれば新喜劇をもっと盛り上げられるし、もうここに集約されてると言ってもいいと思います。どないかなりませんか?ま、それを考えんのがGMの仕事なんですけど(笑)。
とにかく頑張らんとアカンので、僕がへたってる場合ではないので、今も毎日走ってます。
この前も仕事前に公園の外周を走ってたんですけど、10周走ろうと思っていたところ、8周くらいで暑くなってきたんでジャンパーを脱いで植え込みの上に置いておいたんです。ほんで、10週走り終えて植え込みに行ったら、ジャンパーがなくなってたんです!
嫁から「走ってたら暑くなるから車に置いていった方がいい」と言われてたんですけど、そのまま着ていって盗られてしまったんです。それが悔しくて、悔しくて…。分かります?あと2周でおわるところやったし、嫁もそう言ってたジャンパーやのに、なくなってしもて。これはもうね、たまらんよ。分かる?どんだけ悔しいか?もうちょっと、ジャンパーの話、してもいい?
(撮影・中西正男)
■間寛平(はざま・かんぺい)
1949年7月20日生まれ。高知県出身。本名・間重美(しげみ)。70年、吉本新喜劇の研究生になり、74年に座長に就任する。78年に新喜劇の座員だった光代さんと結婚。89年に東京進出し島田洋七とのコンビ結成などでも話題になる。35歳の頃からマラソンを本格的にはじめ、246キロを走破するギリシャのスパルタスロンや日本テレビ「24時間テレビ」のマラソン企画にも挑戦。2008年12月から11年1月にかけてヨットとランだけで地球一周する「アースマラソン」を完遂する。「ア~メマ!」「かい~の」などヒットギャグ多数。MBSテレビ「痛快!明石家電視台」、読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」、ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」などにレギュラー出演中。吉本興業からの強い要請を受け、吉本新喜劇のジェネラルマネージャーに就任した。