女子校から共学化の折尾愛真、甲子園初戦敗退でもいつかは済美のような強豪に
「すみません」
人柄なのだろう。折尾愛真(北福岡)・奥野博之監督は、初出場の甲子園初戦で日大三(西東京)に大敗すると、恐縮して敗者のお立ち台に足をかけた。
「僕のミスです。ここ1週間の調整ですごく選手たちが落ち着いていたので、そのいい感じのままで試合に入りました。それが甲子園独特の雰囲気に飲まれ、初回の7失点を招いたとすれば、もっと引き締めてから入ればよかったと思います」
初回、上地龍聖の犠飛で幸先よく先制したが、その裏、先発の小野剛弥が4連続四死球のあと、連続適時打を浴びて打者7人でKO。救援した下柳涼も勢いを止められない。日大三といえば、高山俊(阪神)、横尾俊建(日本ハム)らの強力打線で2011年の夏を制し、奥野監督はその年、山口県で開かれた国体で、その打線を目の当たりにした。こういう打線を作りたい……以来、日大三打線はあこがれだった。そして、いざ対戦が実現してみると、相手打線の猛威に大量失点。奥野監督はいう。
「三高さん打線のパワー、技術は日本でトップクラス。ゆるい球にも大振りすることなく、しっかりとコンパクトにつないできました。自分たちもずいぶん振ってきたつもりですが、全国で勝つためにはこういうレベルじゃないといけないと、あらためて勉強しました」
男女共学化から強豪という方程式
折尾愛真という名前を知ったのは、04年だった。福岡の知人夫婦と話していると、次男が共学になったばかりの同校野球部に、1期生として入ったのだという。監督は? と聞くと、
「奥野さん。三重の明野で甲子園に出ている人だよ」
「あ〜、大道(典嘉・元ダイエーなど)と主軸を打った人ね。明野は1986年の夏、春夏連覇を狙う池田(徳島)に勝ったんだけど、その試合でホームランを打った……」
「! さすが、よく知ってるね」
「そのころから取材していたからね」
つまりは男女共学化を機に、力のある監督を招いて野球部を強化し、学校の知名度を上げようという経営戦略だろう。
近年、そうした手法はよく見受けられる。少子化の進行とともに全国各地で学校の再編が進むなか、女子校を共学化するのは私学の生き残り策だ。そして甲子園では、共学化した学校のスピード出場が目立つ。たとえば遊学館(石川)なら、女子校だった金城が1996年に共学化して名称変更すると、01年に創部した野球部が、2年目の夏に2年生だけで早くも甲子園に出場。ベスト8まで進んでいる。その02年に共学化して創部したのが済美(愛媛)。宇和島東で88年のセンバツを制した上甲正典を監督に招へいし、創部3年目の04年センバツに初出場優勝すると、夏も決勝に進出し、あわや春夏連覇と思わせた。
鹿児島の神村学園も、90年に串木野女子から共学化して名称変更。04年に創部した野球部は、女子ソフトボールの名将・長沢宏行を招いて強化し、05年のセンバツで準優勝した。長沢はその後の10年、ベル学園から共学化した岡山の創志学園に移り、その年は全員1年生で秋季中国大会準優勝。11年のセンバツに出場している。創部2年目のセンバツ出場は、史上最速記録だ。済美と創志学園は、100回大会のこの夏も甲子園にも出場して初戦を突破しているし、ルーツが女子校というチームはほかにもいくつかある。
残念ながら折尾愛真は、初出場の甲子園で分厚い壁に阻まれた。群雄が割拠する福岡にあって、確かな地位を築いていくのはこれからだ。