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難病克服も今季0勝のホークス大隣「来年やらなければ、その意味がなくなる」

田尻耕太郎スポーツライター
フェニックスリーグで登板したソフトバンク大隣(撮影:筆者)

斐紹が満塁アーチ

10月11日、福岡ソフトバンクホークスは、宮崎で行われているフェニックスリーグで北海道日本ハムファイターズと対戦した。

【10月11日 フェニックスリーグ ひむか 120人】

日本ハム   051100110 9

ソフトバンク 004000210 7

<バッテリー>

【F】上原、白村、高良――清水

【H】中村晨、大隣、野澤――斐紹

<本塁打>

【H】斐紹  【F】岡、横尾

満塁アーチを放った斐紹(一番左)
満塁アーチを放った斐紹(一番左)

<戦評>

ホークスの先発は育成の中村晨。140キロ台を常時マークするも全体的に球が高く、甘く入ったところを狙い打たれた。2回は2四球から満塁のピンチを作り太田に走者一掃二塁打と続く岡に2ランを浴びて大量失点した。高めに浮くのはフォームの欠点。かつての石川柊太と同様だ。球に力があるだけに、このオフ期間で修正していけば来季は面白い存在となるだろう。

打線は3回、斐紹に満塁アーチが飛び出した。「秋は強く振れと言われている。カウントが打者有利だったので、直球に絞ってしっかりと振りに行った。ファウルにならずに仕留められたのは良かった」と振り返った。7回は3番に入った茶谷が2点二塁打。先日の一軍戦で楽天則本からプロ初安打を放った若鷹は、心なしか打席での表情にも余裕が出てきた。8回は黒瀬の二塁打でもう1点を返したが、反撃はここまで。ホークスはフェニックスリーグ開幕3連敗。(了)

大隣憲司が来季復活へ、挑戦した2つのこと

三塁側寄りに立ち、ノーワインドアップで投げた
三塁側寄りに立ち、ノーワインドアップで投げた

大隣憲司がこの試合、5回から2番手で登板した。もともと中村晨と「2人で8イニングを投げる」のが試合前の約束事。大隣は“第2先発”の役回りでマウンドに上がったのだ。

しかし、これはCSファイナルや日本シリーズを見据えたものではない。一軍首脳陣によれば現時点では構想に入っていないという。

「今年の成績を考えれば、現実的に厳しいのは分かっていました」と大隣自身も冷静に受け止めていた。

3年前の「ミスターオクトーバー」が今季は構想外

大隣が国指定の難病である「黄色靭帯骨化症」から1軍マウンドに復帰して、まるで野球の神様に味方されたような活躍を見せたのが3年前の‘14年。今と同じ10月だった。

シーズン144試合目にリーグ優勝を決めた「10・2」(10月2日)の大一番で結果を出した。そしてクライマックスシリーズ初戦で好投し、中4日で登板した最終第6戦でも勝ち投手になった。阪神と戦った日本シリーズでは第3戦に先発して、7回3安打無失点で日本シリーズ初登板初勝利を飾った。

あの10月は、大事な試合のマウンドには必ず大隣がいて、すべての期待に応えてきた。日本一に胴上げでは仲間たちの手で胴上げもされた。誰もが認めたヒーローになった。

翌‘15年も春先は好調だったが、今度は左ひじを痛めて手術を受けた。‘16年は1試合登板で1勝のみ。そして今年は一軍に呼ばれたのは4月の1試合だけ。敗戦投手となり、プロ入りして初めてシーズン0勝に終わった。

「今の時期だからやれることがある」

1年を通してマウンドには立てる状態だった。主戦場は2軍。ウエスタン・リーグで規定投球回数をクリアした。しかし、防御率5.20とまるで満足のいく結果ではなかった。

公式戦が終わり、全12球団のファームは今、宮崎に集結している。四国アイランドリーグ選抜や韓国のプロ球団も交えて、10月9日より秋季教育リーグ「フェニックスリーグ」を行っている。

もちろんどのチームも若手主体だ。だが、11月で33歳になる大隣に休んでいる暇などない。

「今の時期だから、やれることがある」

この日の登板では新たな試みに挑戦した。ずっと走者がいない場面でもセットポジションから投げていたが、ノーワインドアップ投法に変えていた。

「背中の手術をしてから、どうも体の動きが悪いというか。静から動がきついんです。遠投の時はいいけど、ブルペンに行くとどうも…。なので、最初から大きな動きをつける意味で変えてみました。(やってみて)違和感はなかったです」

同級生長谷川勇からの助言

そして、立ち位置も変えた。これまでよりも少し三塁側寄りに立って投げていた。

「ハセ(長谷川勇也)が、『楽天の辛島が三塁寄りから投げるようになって、見づらい感じがするようになった』と話していたのを聞いて、やってみようかと」

左投手が三塁寄りに立つとクロスファイヤーの直球が使いにくくなるが、大隣はシュート回転するチェンジアップという武器を持っている。この日は左打者の内角に効果的なチェンジアップを投げており、1つの成果は見せた。

「フォームにしても、立つ位置にしてもまだこれで決めたわけじゃない。今は試す時期なので」

1年間の多くをファームで過ごしたその顔は常に日焼けで真っ黒だ。「苦しい時期もありました」というが、持ち前の明るさは失わずに若手とも積極的にコミュニケーションを図っていた。

「来年、先発で勝負をしたい」

難病というとてつもない苦難に打ち勝った男だ。

「そうですね。来年やらないと、その意味がなくなっちゃう。秋は自分の今やれることをしっかりやって、いい時間にしたいです」

再び這い上がる、絶対に――。

(文中写真も筆者撮影)

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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