「もう無理かな」。矢井田瞳が音楽を辞めようと思った2つの出来事と母になっての思い
“ヤイコ(815)の日”となる8月15日に恒例のライブ 「矢井田瞳 夏の元気祭り2021OSAKA野音~Yaiko to Band~」(大阪城音楽堂)を開催する矢井田瞳さん(43)。昨年は20周年という節目の年でしたが新型コロナ禍でことごとく計画がとん挫。困難の中でも「音楽にしかできないことがあると信じたい」との思いを持ち続けました。前へ前へと歩みを進めますが、これまで「もう無理かな」と音楽をあきらめかけたことが2回あったと言います。
音楽にしかできないこと
私事ですけど去年は20周年イヤーということもあって、いつも以上にいろいろなことを計画していたんです。でも、コロナ禍で変更せざるを得ないことがたくさん出てしまいました。
その中で何周も考えが頭の中をまわるというか「音楽は必需品じゃない」という思いも何回も出てきました。
ただ、コロナ禍の中でも何回か有観客でライブもさせてもらったんですけど、やっぱり来てくださったお客さんと音楽をナマで共有する喜びは他の何にも替えられない。それをライブをするたびに痛感しました。
ステージの上のバンドのグルーブ、波みたいなものが段々大きくなって客席全体を大きな渦として包み込む。そんな瞬間があるんですよね。この感覚はナマの音楽じゃないと味わえないし、ライブの意味を今一度感じた1年半でもありました。
当たり前に音楽ができている状況だったら感じなかったのかもしれませんけど、こんな世の中になったからこそ感じることができたのかなとも思います。
やっぱり、どんな時でも希望は見つけておきたいですし、上を向いておきたい。そして、音楽にしかできないことがあると信じておきたい。そんな気持ちはより一層強くなったのかもしれません。
「もう無理かな」
2000年から活動を始めて、これまでの21年で「もう無理かな。音楽を辞めた方がいいのかな」と思ったことが2回ありました。
1回目はデビューして4~5年目の頃。アルバムを3~4枚出した頃で、そこで自分に限界を感じたというか、全部出し切っちゃったというか、立ち止まっちゃった感覚になったんですよね。
2000年に出した「My Sweet Darlin’」で私のことを知ってくださった方も多いと思いますし、実際に露出も増えました。「“ダリダリ”のねぇちゃん」という感じで認知していただいたのはすごくうれしいことだったんですけど、一つ“名刺”みたいなものができると、どうしてもそればかりを求められる。
「次の曲もそんな感じで」みたいなことが続くと、逆に天邪鬼的な感じでシブい曲を書きにかかったりもして、そんな重みやひずみみたいなことが4年目くらいに一番ズッシリ来たのかもしれません。
ただ、本当に人に恵まれていたというか、身近なミュージシャンの先輩に相談すると「一人で全部抱え込むからしんどくなってしまう。うまくいかないなとか、技術的に分からないとなったら、できる人と一緒にやればいい」と言ってもらって。
その言葉が本当に大きくて、確かにその通りだし、それにも気付かないくらい意識が凝り固まっていたことにも気づかされました。その言葉をもらって、そこからまた新しい景色が少しずつ見てきた感じでした。
今から思うと、天邪鬼的にやっていたことはすごくもったいなかったなという思いもあります。「My Sweet Darlin’」みたいな元気な曲を書いてと言われたら、分かりましたと言いながらも、また違う形の自分のパワーを入れた曲を出していけば良かったんですけど、考えが凝り固まっていたからか、それがしんどさや負担につながっていったんだろうなと。
でもね、これは本当に幸いというか「My Sweet Darlin’」という曲を嫌いになったことはないんです。たまに自分の過去の曲がネックになって歌えなくなる人もいるんですけど、私にはそういうことは一切なくて。
歌っていても毎回楽しいですし、この曲を好きでいてくれる人がいることがありがたいし、私も好きだし。その気持ちが今も続いているのはうれしいことです。
2回目は自分が母になった時でした。1年くらいお休みをいただいてたんですけど、その穏やかな時間の流れの中で、こういう音楽と離れた日常を大切にしていくのもいいのかなと思ったんです。
先ほどのしんどさからの「もう無理かな」とは違って穏やかさを求める中での変化だったんですけど、そんなことを思いながらも、ふと気づくと新しいメロディーを録音してるんですよね。
そこでいかに自分が音楽と深く結びついているか。そして、自分にとって喜怒哀楽を出すもの、社会とつながるものとして音楽が存在していたのかを痛感することにもなりました。
子どもが生まれて
子どもが生まれて得たものは本当にたくさんあって、まず、単純に生活のスタイルが変わりました。
生まれるまでは深夜まで曲を書いて、そこからまた飲みながら書いて、さらに映画を見てから寝ようとなると、朝の7時くらいになっている。
子どもができてからは午前中に起きるようになって、午前中の良さを知り(笑)、頭の回転を知り、音楽に携わる時間も変わりました。
そうなると、不思議と健康的な言葉が生まれるようになってくるんですね。“深夜のラブレター”みたいな曲もいいんですけど、健康的な言葉に満ちた曲も書けるようになったかなと思っています。
あと、自分より大切な存在に初めて出会った。これはとてつもなく大きかったです。自分でも知らなかった感情がたくさん生まれてきて、曲にするテーマみたいなのもたくさん出てきたような気がします。
例えば「ずっとそばで見守っているよ」という新曲があるんですけど、その中に「差し伸べようとした手をそっと私は隠す 強い自分になろうとしている君を信じているから」という歌詞があるんです。
以前なら、大変そうだったら一緒に手伝うとかそういう感覚が出ていたと思うんですけど、今は信じて手を離すことも愛なんだと思えたり。日々、新たなことを学ばせてもらっています。
次の節目となると30周年ですか。その時も歌ってたいですし、ライブをしていたいですね。20年以上やってきた今でも、毎回ライブごとに違う感情をもらっているんです。同じ曲を歌っても、毎回違う。それを30年経った時にも味わえていたらうれしいなと思います。
20年と聞くと長いんですけど、目の前のこの曲を仕上げたいとか、次のライブでこんなことをやりたいとか、目の前のことを追いかけていたら、いつの間にか20年経っていました。
なので、ここから先の10年も目の前のやりたいことを追い続けて「え、もう30年経ったん?」とビックリするくらいが理想的だなと思っています(笑)。
(撮影・中西正男)
■矢井田瞳(やいだ・ひとみ)
1978年7月28日生まれ。大阪府出身。関西大学卒業後、2000年にメジャーデビュー。同年に発売した「My Sweet Darlin’」がミリオンヒットとなる。07年に音楽関係の一般男性と結婚。09年に第1子となる長女を出産した。昨年には新型コロナ禍で尽力する医療従事者やエッセンシャルワーカーを応援するため、新曲「あなたのSTORY」を制作。今年8月15日には恒例のライブ 「矢井田瞳 夏の元気祭り2021OSAKA野音~Yaiko to Band~」(大阪城音楽堂)を開催する。また、11月11日にリリースされる「SPEED」のデビュー25周年記念したトリビュートアルバム 「SPEED SPIRITS」 にも参加している。