これ以上誰のいのちも失われてはならないカリタス卒業生の一人として
防げなかった暴力の連鎖
川崎・登戸での痛ましい事件直後に、私はカリタス学園の卒業生という立場からやりきれない思いを綴った。
「犯人を容易に許すことはできないけれど、憎しみが暴走し、また別の誰かが傷つけられることだけは避けなければならない」
これは私一人の思いではなく、SNSなどで繋がる卒業生たちの切なる願いでもあった。
ところが事件から1週間が経過し、事態は最悪と言えるような状況に至っている。
5月31日、福岡市では40代の息子が70代の母親と姉を刺す事件が発生し、その後、息子は死亡。背景にはひきこもりの問題があると指摘された。川崎の事件と共通した背景があることから、一気に報道は過熱し、これまでほとんど報じられたことがなかった8050問題などの高齢ひきこもり問題が各メディアで一気に取り上げられた。
ひきこもり=犯罪者扱いされる状況に危機感を抱いたひきこもり当事者や支援団体が声明文を発表。ひきこもり女性の当事者団体「ひきこもりUX会議」の林恭子さんのもとには不安と恐怖にかられた当事者、とりわけ親たちからの連絡が相次いだという。
そして6月1日、元農林水産事務次官の男性が息子を刺し殺すという衝撃的な事件が起こったのだ。
8050問題の本質
理不尽な事件によって亡くなられた栗林華子さん、小山智史さん、お二人の死を悼む間もなく、新たに暴力的な事件が引き起こされる状況に私は激しく動揺している。
私はカリタス学園卒業生であると同時に生きづらさ、働きづらさをテーマに記事を書いてきた者である。本欄(yahoo! 記事連載)のテーマは「誰もが生きづらさを感じない社会へ」であり、ここで一番最初に取材執筆したのが、今回の事件で矢面に立っている「ひきこもりUX会議」だった。
「ひきこもりUX会議」は当事者が出会い、悩みを分かち合える場として「女子会」を全国で開催している。記事では当事者の高齢化によって差し迫る介護や貧困の問題についても取り上げた。社会から孤立したまま途方にくれていても、声を上げることすらできない。ゆえに社会も彼らの存在に気づかないーー。これが8050問題の本質である。
ひきこもり=犯罪予備軍ではないという当然過ぎることをここで繰り返し書くつもりはない。現在、ひきこもりと言われている人の数は15−64歳までの生産労働人口(7600万人)の中で120万人程度いると推計されており、単純に計算すれば50人に0.8人程の割合となる。
「友人や親戚などの知り合いの中にひきこもりがちな人がいる」という人は少なくないはずだ。その知り合いのこと(長年会えていないのなら最後に会った時の姿)を思い浮かべて欲しい。
一連の事件には当事者たちの抱える生きづらさがあると指摘されている。そして生きづらさの背景には必ず社会構造上の問題がある。背景を丹念に掘り下げていくことにより、原因を個人のみに求めるのではなく、社会課題として解決していくことは重要だ。しかしあまりにも早急な分析や決めつけは過ちのもとであるということを、今回のことで自戒を込め、感じている。
溢れんばかりの花の中で
昨日、登戸に向かった。駅はすっかり新しくなり私が生徒だった当時の面影はないが、昔、バス停に向かう通学路となっていた南武線沿いの細い道はまったく当時のままだった。献花で埋め尽くされているバス停の光景は報じられているとおりである。捧げられたお花やお供物はすぐにいっぱいになってしまうので、同窓生たちが交代でカリタス学園へと大切に運んでいるという。
それにしてもなぜこのような不条理な出来事が続くのか。現場に供えられたたくさんの花束を前にした時、この事件が起こった後、新たに失われたいのちのことが頭をよぎった。彼らに花はたむけられただろうか。
かけがえのないいのちが次々に失われていく状況は、日本中の誰も望んでいないはずだ。
これ以上、誰一人のいのちも失われてはならない。