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2009年のドラマを最後に俳優活動を休止。大学院進学、出産、産後うつ、育児を経験して映画監督の道へ

水上賢治映画ライター
「ポーランドに行った子どもたち」より

 チュ・サンミ。日本でも彼女の名前に聞き覚えのある方は多いことだろう。

 俳優のチュ・ソンウンを父に持つ彼女は1994年に俳優デビュー。ハン・ソッキュとチョン・ドヨンと共演した「接続 ザ・コンタクト」、ホン・サンス監督の「気まぐれな唇」をはじめ、女優として数々の映画に出演してきた。

 映画「ポーランドへ行った子どもたち」は、彼女の映画監督デビュー作だ。しかも、韓国国内でもほとんど知られていない歴史に光を当てたドキュメンタリー映画になる。

 1950年代、朝鮮戦争の戦災孤児たちが北朝鮮から秘密裏にポーランドへ送られたという事実を知り、衝撃を受けて本作を作り上げたという彼女に訊く。(全四回)

映画「ポーランドへ行った子どもたち」で初監督を務めたチュ・サンミ
映画「ポーランドへ行った子どもたち」で初監督を務めたチュ・サンミ

2009年に俳優としての活動を休止した理由

 作品の話に入る前に、ひとつきいておきたいことが。これは作品の中でも少し語られていることではあるが、彼女は2009年に俳優としての活動休止を発表。そこから大学院へ進み、映画を学びはじめている。今回につながる映画監督への意欲があってのことだったのか訊くと、本人はこう明かす。

「まず、俳優活動を休止して大学院に進んだのは、映画監督も含まれるのですが演出についてきちんと学びたいと思ってのことでした。

 それは急に思い立ったというわけではなくて、さかのぼると大学生のときから実は演劇に興味があってシナリオ作家になることを夢見ていました。

 というのもご存知の方もいらっしゃると思うのですが、わたしの父は舞台俳優で、昔から舞台公演をよくみにいっていました。わたしは幼い頃から演劇になじみがあった。

 それで、大学ではフランス文学科に進学して、そこで大学内で演劇活動をするようになってシナリオにも俳優にもかかわることになりました。

 当時、大学生の自分としてはシナリオ作家を第一に考えてはいました。ただ、これはありがたいことに、父が有名な演劇俳優ということもあって役者として演劇に出演する機会の方が先に入ってきたんです。

 するといろいろと声をかけていただくようになってテレビドラマや映画にも気づけば出るようになっていました。

 いろいろな作品にかかわらせていただいて、ほんとうに自分は役者として恵まれた順調なキャリアを歩めていたと思います。

 ただ、大学時代を含めると20年ぐらい役者として活動してきたときにちょっと立ち止まったといいますか。

 ある時期から、似たような役柄や役割を求められることが増えてきて、それはそれでありがたいことではあるのですが、一方でひとりの演じ手として自分はこのままでいいのか疑問を持ち始めた。『もっと表現の幅を広げるような新たな試みも必要ではないか』といった気持ちが出てきたんです。

 それから、子どもをもちたい気持ちもあって体の準備をしようと思いまして、2009年のドラマを最後に俳優活動をいったん休止することにしました。

 そして、その年に大学院に通い始めて、演出について学びはじめました」

目指すシナリオ作家より、映画監督の方が向いているのではないか

 大学院で学ぶ中で、映画監督への気持ちが動いていったという。

「はじめは、大学時代からの夢であったシナリオ作家を考えていました。

 ただ、大学院で学ぶ中で、自分のこれまでの俳優としての活動、舞台、映画、ドラマでの現場で積んできた経験を活かしながらできることを考えたときに、シナリオ作家よりもむしろ、映画監督の方が向いているのではないかと思いはじめたんです。

 それで、単にシナリオを書くだけで終わらせるのではなく、自分で書いたものを自ら演出して表現するという方へと意識が向いていきました。

 実は、2010年に出産する前に、3本の短編映画を完成させていて、釜山国際映画祭や全州映画祭に出品しています」

「ポーランドへ行った子どもたち」より
「ポーランドへ行った子どもたち」より

出産してひとりの子どもの母親となったとき、襲われた大きな不安

 いま話に出たように2010年に出産、本人の意向もあって、しばらくの間、育児に専念することになる。

 その中で、産後うつを経験、それが実は今回のドキュメンタリー映画「ポーランドへ行った子どもたち」へつながっていくことになる。

「わたしは14歳のときに父を亡くしているのですが、ほんとうにある日突然、目の前から父がいなくなってしまって心の整理がまったくつかなかった。その哀しみはいまも心のどこかに傷となって残っている。

 そういう経験があったからか、子どもは確かに欲しかったのですが、きちんと母親として育てることができるのかという不安は常にありました。

 そして、実際に出産してひとりの子どもの母親となったとき、大きな不安に襲われて、作品でも触れていますけど、子どもがいなくなるという悪夢を繰り返し見るようになりました。

 すぐに精神科の先生に相談したところ、『おそらくお父さんの突然の死が起因で、とても愛していた人が急に亡くなった経験から、とても愛する存在の子どもの身に同じようなことが起きてしまうのではないかと不安になってしまうのかもしれない』と言われたんですね。

 それでうつ病と診断されたんですけど、その症状はほんとうに苦しいもので。

 たとえばニュースで子どもの巻き込まれる事件や事故を見ると、それを自分の子どもに重ねてしまってとてもいたたまれなくなる。

 また、みなさんもご記憶にあると思うのですが、韓国ではセウォル号の事故で多くの高校生が亡くなりました。

 あのような悲劇的な子どものニュースが流れるだけで、もう辛すぎて気持ちがひどく落ち込む。この期間というのはほんとうに情緒不安定で辛い状態が続きました。

 このように自分が不安定な母性の中にいて、この辛い経験を乗り越えるためにも長編映画に挑戦してみようと思って題材を探しているときに、偶然目にとまったのが、北朝鮮の孤児たちについて書かれたものでした。

 いまは運命的な出合いと思っているのですが、ここから韓国の知られざる歴史をひもとくわたしの旅がはじまりました」

(※第二回に続く)

「ポーランドへ行った子どもたち」メインビジュアル
「ポーランドへ行った子どもたち」メインビジュアル

「ポーランドへ行った子どもたち」

監督:チュ・サンミ

出演:チュ・サンミ、イ・ソン

ヨランタ・クリソヴァタ、ヨゼフ・ボロヴィエツ、ブロニスワフ・コモロフスキ(ポーランド元大統領)、イ・へソン(ヴロツワフ大学韓国語科教授)ほか

公式サイト http://cgp2016.com

ポレポレ東中野ほか全国順次公開

写真はすべて(C)2016. The Children Gone To Poland.

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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