女子少年院の運動会 家族との再会に涙する少女たち
会場に向かう通路にはポップなポスターが貼付されている。子どもたちが手書きで来賓者のために準備をしたのだろうか。それとも自分たち自身のために何かを思いながら作成したのだろうか。女子のための少年院である愛光女子学園で開催された運動会に出席した。
少女たちが緊張した顔つきで会場に入ってくる。指先までしっかりと伸ばした手、ほとんど乱れることのない行進、そして、中学生くらいに見えるあどけない顔つきは、ここが少年院であることを忘れさせる。
現在、認定NPO法人育て上げネットでは、株式会社LITALICO、NPO法人キズキ、認定NPO法人PIECESとチームを組み、愛光女子学園に在院する子どもたちで、高等学校等卒業認定試験に向けた学習支援に取り組んでいる。
学習支援は女性講師が少人数の対面式で教えるため、私自身は子どもたちをこれほど近く、長く見る初めての機会だ。どこにでもある中学校、高校の運動会的であるが、少年院という場所であることから、眼前で躍動する少女たちがどのような子どもたちなのかを考えながら見ていた。
上図の通り、少年院に入院する少年の数は減少傾向にあり、もともと少なかった女子は男子の7.6%にあたる194名となっている。そして非行名を見ると、覚せい剤と窃盗、ぐ犯が半数以上を占める。少年院に入院する少女のイメージと異なるかもしれないが、非行名がどうあれ、いずれも少年院において矯正教育を受けることが適当であるという判断により、一般社会と離れた環境で生活しているのが彼女たちである。
来賓者は、保護司や教戒師、私たちのような外部連携団体など、その数も限られていた。私たちの座席から少し離れた場所には保護者やご家族が少女たちを見守っている。会場には大きなスローガンが掲げられており、そこには「One for all, all for one- どんなときもあきらめないで- 」と書いてある。
運動会のプログラムは玉入れや綱引き、各種踊り(ダンス)など一般的なものであるが、その2時間のすべてのプログラムを少女たちが次々とこなしていく。準備や片付けも彼女たちがそれぞれの役割として担う。休憩はしっかりあるものの、これらをすべて全力でこなすには相応の体力が求められる。
基本的に身体接触のない競技が行われるなか、二組にわかれた少女は懸命に競技者への声援を飛ばす。
「がんばれー!」「負けるな―!」「いけー!」
運動会では見慣れた、聞きなれた風景ではあるが、個々の「名前」が声になることはない。応援に個々の名前がない違和感に気が付いたとき、改めてここが少年院であることを認識した。
プログラム全体の1/3ほどが家族と行う競技となっていることは特徴的なように見えた。少女の母親と思われる女性、父親や兄弟姉妹と思われる方も来場している。身体が密着する距離で行動し、目と目を合わせてコミュニケーションを最後に交わしたのがいつなのかは伺い知れないが、親子競技になると笑顔で何か話している少女もいれば、涙が止まらず母親に肩をなでられながら泣き続ける少女もいた。
なぜ涙を流しているのか。その理由はわからない。家族も少女も私が想像し得ない複雑な感情がそこにあるのかもしれない。少女が、家族が、双方が目を赤くしながらも、ひとときの時間と空間を大切に使おうとしているように見える。
彼女らは最後の最後まで懸命に競技をやり切り、自らのチームの勝利にも、負けた相手チームに対してもしっかりと拍手を送り合った。健闘を称え合う少女の姿に、来賓席からも惜しみない声援と拍手が注がれた。そこには出院後の人生で彼女らが背負わなければならないものと、待ち受けている更生自立への苦難の道をわかっているかのような気持ちも込められていたのではないだろうか。
目の前にいる少女の約3割は出院後、実父母、実母または実父のもとではない場所に帰っていく。身体を寄せて競技を楽しんでいるように見える子どもたちの傍にいるのは実父母ではいかもしれず、仮にそうであっても出院後に寝食を共にすることがないのかもしれない。そのような境遇の中で、仕事にせよ、学校にせよ、ひとりの力で生きていくことが簡単でないのは、すべての10代の子どもたちに言えることだ。
少年院は矯正教育の場であり、出院後に再犯をすることなく更生自立できるよう子どもたちを処遇している。一方、どのような子どもにとっても10代にひとりで自立していくことが難しい社会において、少年院在院中にできることは限られている。
彼ら、彼女らが出院するためにすべき処遇の多くは法務教官、法務技官の方々がされている。その一部を外部の個人や団体が担うことも大切ではあるが、むしろ、少年院から社会に戻ってきた子どもたちの更生自立こそ、限られた一部の大人だけでなく、より多くの大人たちが手を差し伸べていかなければならない。それは出院少年の再犯防止になるだけではなく、新たな加害者も被害者も生むことのない社会につながっていくからである。
彼女たちはいつか少年院を出院し、社会に戻ってくる。そんな彼女たちに対して、私たちは物理的、精神的な準備をすることができているだろうか。いま、少年院や少年鑑別所では一般に開放された見学機会などを設けている(Webサイトがなく、情報発信も十分ではない)。
私自身、初めて少年鑑別所や少年院に足を踏み入れたとき、基本的な統計情報もなく、メディアを通じての印象しか持っていなかった。そして、子どもたちと24時間365日かかわる法務教官や法務技官の方々とのコミュニケーションの機会もほとんどなかった。しかし、一度でも「知る」「見る」を経験するだけで、少年院という場に行くことになった少年少女に対しての偏見や知識不足は変容する。
もちろん、どのように変容するかはわからない。まったく変化しないかもしれない。それでも、この社会でともに生きる少年少女のことをより深く知るためにも、多くの方に見学等の機会を使い、少年院という場所への理解を深めていただきたい。