モイネロ「ホークス初」外国人左腕10勝で調べてみた。かつて偉業に最も近づいた“意外な名前”
福岡ソフトバンクホークスのリバン・モイネロ投手が球史に名を残す偉業を成し遂げた。
27日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)に先発し、序盤は苦しみながらも6回1失点と好投して今季10勝目を挙げた。
キューバから来日して8年目。昨年までは通算135ホールド、同40セーブを挙げた名リリーバーとして活躍した。通算100ホールド以上を達成したのちにシーズン2桁勝利をマークした投手は増井浩俊(当時日本ハム)以来2人目で、外国人投手としてはNPB史上初の快挙となった。
また、「初」の記録がもう1つあった。
長い球団史を考えれば…意外!?
球団として外国人左腕の10勝は、南海やダイエー時代も通じて初めてだったのだ。球団は1938年創設。外国人の左投手という限定要素はあるものの、シーズン10勝というハードルをこの長い期間で誰も越えられなかったのは正直意外だった。
ただ、遡ると輝かしい成績を残した“助っ投”はたしかに右投手ばかりだった。ホークスの外国人投手でシーズン2桁勝利を挙げたのは次のとおり。
ジョン・サディナ(1959年10勝)
ジョー・スタンカ(1960年17勝、1961年15勝、1963年14勝、1964年26勝、1965年14勝)
D.J.ホールトン(2009年11勝、2011年19勝)
ジェイソン・スタンリッジ(2014年11勝、2015年10勝)
リック・バンデンハーク(2017年13勝、2018年10勝)
リバン・モイネロ(2024年10勝※今年8月30日時点)
というわけで、モイネロは球団史上6人目のシーズン2桁勝利を挙げた外国人投手となったわけだが、特筆した実績を誇るのは“伝説級”の投手でもあるスタンカだ。在籍6シーズンでの通算94勝は球団外国人投手の歴代1位でもある。
記憶に新しい投手も多かった。ホールトンは19勝を挙げた2011年には最多勝に輝き、チームのリーグ優勝とソフトバンクとしての初の日本一に大きく貢献。この年は和田毅や杉内俊哉も好成績を残しており先発陣が盤石だった。
バンデンハークは2015年からソフトバンクでプレーし、デビューから14連勝のNPB記録も樹立した。
また、勝利数には結びつかないもののリリーフとして活躍しファンを熱狂させた投手たちも殆どが右投げだ。ホークス福岡移転後初優勝の立役者だったロドニー・ペドラザ(セーブ王2度)やブライアン・ファルケンボーグ(攝津正、馬原孝浩と共にSBMリレーで活躍)、そしてデニス・サファテ(セーブ王3度)あたりの名前はすぐに思い出されるだろう。
モイネロ以前の、最も勝った鷹の助っ人左腕
では、ホークスに在籍した左腕投手で2桁勝利に最も近づいたのは誰だったのか。
シーズン8勝投手が2人いた。1人目はダイエー時代の1997年の1シーズンだけプレーしたデビッド・ウエストだ。メジャー31勝の実績を引っ提げて来日。黄金時代夜明け前のチームで工藤公康、若田部健一、吉武真太郎らとローテを組み8勝5敗の成績を残したが防御率6.38と安定感を欠いて1年限りの在籍となった。
もう1人もダイエー時代。2004年に8勝3敗、防御率4.24の成績を挙げたリンゼイ・グーリンだ。この左腕はコアなホークスファンのあいだでは今も語り継がれる、ある意味で伝説の助っ人投手だ。外国人投手には剛腕を期待することが多かった時代に、グーリンは身長190cmの長身だったが、体重77kgでひょろりとした体型から140キロ前後の直球と大きなカーブを投げ込んで、のらりくらりと打者を抑えた。見ているだけでは、なぜ抑えられるのか不思議なほど。そんな特徴からファンに強烈な印象を残した投手だった。
親会社がソフトバンクになった以降だと、2018年6勝と2019年7勝のアリエル・ミランダや2020年6勝のマット・ムーアが2桁勝利を挙げても不思議ではない実力者だった。
特にムーアはメジャーでシーズン17勝を挙げた実績があり、日本シリーズでは巨人相手に7回無安打無失点の“ノーノー”投球を見せたこともあった。この年は新型コロナウイルス蔓延に伴い調整が難しく、かつ短縮シーズンだったことを考えれば万全で臨むシーズンを見てみたかったが、日本でプレーしたのは1年限り。現在はロサンゼルス・エンゼルスに在籍して今季も50試合以上に登板している。
(※肝心のウエスト投手とグーリン投手の写真は保有しておらず。また、掲載できる写真も見つかりませんでした。あしからず。)