美しい、数のかぞえ方
「二十歳」は「はたち」?「にじっさい」?
「今年二十歳を迎えた人たちの『二十歳のつどい』が各地で行われました……」十八歳が成人と変わってからは、「二十歳の成人式」もなくなりましたね。「成人式」が「つどい」に替わったのも何となく落ち着かないのですが、テレビのニュースで、「二十歳」を「にじっさい」と言っていたのが何となく気にかかりました。
「十九歳」を「じゅうきゅうさい」と呼ぶのですから、「二十歳」を「にじっさい」と呼ぶのはあたりまえ、という考えのようです。つまり、単に数の話なのです。
しかし、文学的な表現の場合、「にじっさい」っていかにも無粋。『二十歳の原点』は「はたちのげんてん」である必要があります!
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
1971年新潮社刊
学生運動に身を投じ、実存と社会のはざまで悩み立命館大学在学中に命を絶った、高野悦子さんの日記の冒頭です。「ハ」「タ」「チ」という音感は、「にじっさい」のように、濁点や促音がなく、凛として歯切れよく、さわやか。いかにも青春の入口に立った女子大生が語るにふさわしい、音楽のようなひとことだと思うのです。
意外と知らない呼び方
では、「三十路」は? こちらは30代と誤解されがちですが、30歳の1年間のみを指しています。
四十路……よそじ
五十路……いそじ
六十路……むそじ
などとなっていて、いずれもそれぞれの一年間のみ。しかし、もっと幅広い年代を指せることばとして、アラフォー、アラフィフ、アラカンといった呼び方が登場してきました
これは年齢をストレートに言わないための策としてファッション誌が始めたらしいのですが、「さんじゅうだい」などと、濁点を使っていないので、「ハタチ」と並ぶほどではありませんが、やはり軽やか、さわやかさを感じます。
定着するかどうかは、意味がわかるかどうかも大切ですが、音感やリズムが重大な鍵を握っています。