【昭和100年】「温泉はいいね~」湯上りに頬を赤らめて上機嫌だった田中邦衛 定宿で見せた気さくな素顔
山形県小野川温泉は、小野町が美しさを磨いたとされる温泉。
温泉街には一五軒の旅館と二つの共同浴場、飲食店が連なり、浴衣でそぞろ歩きするにはほどよいサイズ。
寒い この時期は、温泉で栽培した二〇センチもの長さで、食べ応えある「小野川豆もやし」が 名物。温泉街の中華屋では豆もやしラーメンもいただけるが、長細いものは麺なのか、も やしなのか、混同してしまうラーメンだ。
そうした小さな集落を見下ろせる小高い丘に、その宿はある。
三階の角部屋「三〇四号室」は、一〇畳の広さだが、二方面に大きな窓が設置され、部 屋の面積以上の開放感がある。窓から眺められる大空や木立の風景までが、部屋の一部の ようだ。 私が訪ねたのは夏の晴天の日で、青空に浮かぶもくもくとした積乱雲を見ていた。空が すこし暗くなったと思ったら、いきなりの豪雨。雨音がうるさいほど大粒の雨。その雨で 美しい風景が一切見えなくなった。だが二〇分程で雨は止み、すっと霧が引いて、今度は 光が差し込んだ。 旅館の部屋にいるはずなのに、まるで自然のなかに佇んでいるかのような時間を過ごせた。
ここは小野川温泉「宝寿の湯」。
昭和三十六(一九六一)年から順次公開された加山雄三主演の明朗青春映画「若大将」 シリーズで、敵役の「青大将」を好演。その後も数々のヒット作に出演し、テレビドラマ「北の国から」で黒板五郎役を演じて国民的俳優となった田中邦衛の定宿だ。 「宝寿の湯」三〇四号室は、田中が八年にわた り、年に二回やってきては滞在した部屋である。
田中邦衛は、山形でイベントや講演会の仕事 がある時はスタッフに連れられて来たが、プライベートで来る時は夫婦だけで米沢駅からタク シーでやってきた。 いつも、田中は「来たよ」と手を挙げて宿に入って来た。
フロントでチェックインを済ませると、三〇四号室へと向かう。
館内にはエレベーターがな いため、すこし急な階段で三階まで登る。部のテーブルに置かれたお茶とお菓子で一服し、浴衣に着替えるとまた一階に降りてきて、 宿泊棟の横にある湯小屋へ向かう。
湯小屋の露天風呂を楽しみ、出てくる。 湯上りは頬を赤らめ、いつだって「若(わか)~、いいお湯だね~。ここの温泉はいいね~、落ち着くね~」と、フロントに立ち寄った。
田中邦衛に「若」と呼ばれていた「宝寿の湯」の若旦那・関谷寿宣さんは、 「田中さんは平成十七年に、交友があった山形のアナウンサーと一緒に来たのが最初でし た。それから二十五年まで、山菜が美味しい春と、芋煮の時期の秋に、きっちりと年に二 回来られていました」 と誇らしそうに語る。
田中が通い始めた頃、関谷さんはまだ二十代で、フロントに立って間もなかった。大俳優を前に緊張気味だったそうだが、「シャイな方だと想像していましたが、とても社交的 でした。他のお客様と廊下ですれ違うと、写真や握手を求められれば気さくに応えていま した。芸能人という感じはまったくしなくて、肩の力が抜けていて、謙虚な方でした」。 田中が自然体で過ごしたエピソードを聞かせてくれた。
「田中さんは普通に大浴場にも入っていました。だから、お客様が『男風呂に入っている のは、もしかして田中邦衛さん?』と、血相を変えてフロントにやって来ることもありました。一度や二度ではなかったです」と、関谷さんは思い出し笑いをした。
関谷さんが一枚の写真を見せてくれた。中央に田中、右脇に恥ずかしそうに下を向く関 谷さん、左脇には女将の姿。田中は関谷さんと女将の肩に手を置き、満面の笑みを浮かべ ている。撮影されたのは、平成十七年に田中が初めて来た時というから、田中は初対面で 関谷さんと女将のことを気に入り、たちまち居心地のいい宿となったのだろう。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。