【昭和100年】お忍びでやってきた夏目雅子 武勇伝を残した勝新太郎 あの名湯に昭和のスター達も寛いだ
お忍びの夏目雅子 武勇伝を残した勝新 「薫山荘 31 番」を利用したのは、昭和の名女優・夏目雅子だ。
「夏目雅子さんは着物姿にレースの羽織をかけていらっしゃいました。まだご結婚前の伊 集院静さんと一緒とのことでした」と常務の岡村国男さんが法師温泉で伝えられてきた逸話を聞かせてくれた。
夏目雅子は、法師温泉から車で五〇分程の群馬県沼田市にゆかりがある。夏目の母親が 沼田市出身で、親族が沼田で老舗和菓子店「かねもと」を経営しており、法師温泉の予約 も「かねもと」からだった。
「お忍びだから、あまり騒がないように」という条件付きの予約だった。
「うちにいらした直後に、夏目さんは伊集院さんとご結婚されましたので、あの日の着物の装いは伊集院さんを沼田の親族に紹介したのかな、とみんなで話していたんです。この 時は一泊でしたが、また来てくださいまして、その時も『薫山荘 31 番』を使われました」
「薫山荘 31 番」は一階の角部屋で一〇畳に四畳の踏込(履物を脱ぐ場所)が付いている。 縁側からは流れの速い法師川が眺められ、室内にいても涼やかな川音が聞こえてくるし、 窓からは山々のまばゆい緑の光が入ってくる。
ちなみに「フルムーン」で撮影に訪れた高峰三枝子の部屋は「薫山荘 34 番」。 薫山荘の二階の部屋に三連泊したのは、多くの破天荒なエピソードで知られる俳優・勝新太郎。
国男常務の妻の則子さんによれば、「勝新太郎さんは仲間とともにお嬢さんと息子さんも連れて、ご一家で来られました。三日間、ずっとお部屋で麻雀をしていましたね。奥様の中村玉緒さんが、夜中でもフロント にタバコを一カートンごと、何度も買いに来ました。タバコをふかし、お酒を飲みながら 麻雀していたんでしょうね。勝さんが深夜に『あんみつが食いたい、食いたい』と騒がれ ましたが… …、さすがにご用意できませんでした。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。