「人生で起きる強制リセットを楽しむ」 時代を読む人気作家・本田健が語る不測の事態の生き抜き方(1)
累計800万部のベストセラー作家である本田健さんに、2019年の年末にインタビューし、記事を配信してから約1年。世の中は、新型コロナウィルスの影響で大きく変化し、多くの人が生活を変えざるを得ない状況となった。本田さん自身も、2019年、著書『happy money』の40カ国以上での出版が叶い、いよいよ2020年、念願の海外セミナーを次々と開催する予定だった。
その予定が全て中止。長年の夢、前々から計画したことが崩れたとき、本田健さんならこの事態をどうとらえるのか。投資家としても成功し、「お金」の専門家としても活躍、「ビジネス」「人間関係」「願望達成」などのテーマでミリオンセラーを連発する、時代を読むことに長けた人気作家として、また、自身の経験も踏まえての話を聞いた。(前半)
世界デビューの年。武漢からセミナーを始める予定だった
―― 去年の年末にインタビューをさせていただいたときに、2020年は著書『happy money』を引っ提げて、世界中で講演する予定だったじゃないですか。あのときはまさかこんな事態になるとは思っていませんでしたよね。
本田 そうですね。
―― もともと、今年のセミナーはどういう予定だったんですか。
本田 それがね、まさに、世界ツアーは、中国の武漢からセミナーが始まる予定だったんです。それから、アイルランド、イギリス、オランダ、スイス、ドイツ、ドバイというのを考えていたんです。
―― なんと!!
本田 武漢のセミナーは、2019年の11月に依頼されて、2020年3月末に出演予定でした。千人規模の大きなイベントがあるので、そこで日本からのゲストとして話してくださいと。
―― では、現地の方とやりとりされていたんですね。
本田 はい。だからこそ、いち早く武漢の様子を知れた。プロモーターの方から、「武漢がすごいことになっている」というのを聞いていたんです。
影響はすぐに日本に来ると直感した
―― いつぐらいから「これはやばいぞ。セミナーは無理だ」と分かったんですか。
本田 1月の時点です。武漢で何か肺炎みたいなものが流行っているから、できるかどうかわからないと聞いたんです。実際にいろいろな状況を聞いてみると、「これって武漢だけでとどまらないんじゃないの?」と思ったんです。
―― ただならぬものを感じたわけですね。
本田 僕には、武漢、北京、上海に友人がいるので、中国の情報を早い段階で知っていたんです。それで、僕がまずすぐ調べたことは、武漢から直行便があるかどうか。昔と違って、飛行機に乗ったら数時間で簡単に日本に来れる、ということがわかりました。ということは、これはすぐに日本にも感染が広がると、僕はそのとき直感で判断したんです。後に聞いた話では、武漢封鎖前に9,000人もの人が成田に到着していたんですね。
―― 武漢のセミナーをやるかやらないかは、どの辺で判断したんですか。
本田 やれるんだったら連絡するみたいな感じだったんですよね。1月下旬には中止が決定しました。
予期せぬことが起きたとき、どう気持ちを切り替えるか
―― 予期せぬことが起きて、どんどん世界の状況が変わっていく中で、「2020年は自分にとって長年の夢の世界デビューの年にする。いろんな国に講演に行くよ。日本にほとんどいないよ。世界中飛び回るから」と言われていたじゃないですか。
本田 それがずっと日本にいた(笑)。
―― どこにも飛べないということになったんですけれども、そういう現実が押し寄せたときに、どう気持ちを切り替えていったんですか。オリンピック選手も今年に懸けていたわけじゃないですか。長年の夢、計画していたことが大幅に変更されたときにはどうしたら。
本田 目の前が真っ暗ですよね。「え?」と。1年間海外に行こうと思っていたのも無理だし、日本でのセミナーやリアルイベントも開催できないとなったら、何かいきなり無職みたいな感じですよね。夢だったものにシャッターがスーッと下りてくるような感じです。
―― そういうときはなかなか気持ちが切り替えられないでしょうが、本田さん的には「だったら仕方がない」と思うんですか。それとも「これはチャンスだ」と思うんですか。
本田 事実としてできないんだったらできないということを受け入れるしかないですよね。
―― まず、現実を受け入れる。
本田 はい。普通は「そんなはずないだろう」みたいな否定から入るんです。
―― 「何とかしてやる」「何とかしないと」みたいな?
本田 でも、感染が広がったら実際できないわけだから、それは受け入れるしかない。
―― 確か最後のリアルのセミナーは、2月11日じゃなかったですか。
本田 そうです。その後は難しくなるだろうと思って、全部キャンセルしたんです。
―― それは勇気が要りましたね。
本田 勇気というほどのものでもないです。だって、駄目なときは駄目なんですよね。それは僕の今までの人生で知っていたことだから。アメリカでビザを取ろうと思っても取れなかったり、行こうと思っても急にシャッターが閉まるようなことが、これまで何度もあるんです。そういうときは、僕は「そっちじゃないよ」と言われているように受け止めるんです。
「そっちの道じゃない」と知らせてもらえている
―― お知らせ的な感じで?
本田 はい。10年前、アメリカのビザが取れなくて、日本に帰ってこなくちゃいけなくて、アメリカの資産を全部売ったんです。6,000坪の家に住んでいたけれども、家具を全部引き払って帰ってきたわけです。
―― 手放して。
本田 手放したというか、僕のものじゃなくて借りていたものですけれども。でも17部屋の家具は自分のものでしたから大荷物で。引っ越しは大ごとでしたから、予定が大きく狂いました。でもラッキーだったのは、その直後にリーマンショックが起きたんです。なので、僕のドル資産は全部円の現金に替わっていたんです。株も全部、清算していたから。
―― 危機一髪でしたね。
本田 あのままアメリカにいたら、とんでもないことになっていたと思うんです。相当お金を損した。そういうことがあったので、僕の人生でストップというか、目の前にシャッターが下りるときは、「ああ、そっちじゃないんだな」と直観的に思うようにしているんです。
予定変更は、僕の中では『進路変更』というイメージ
―― 本田さんは願望達成の本も書かれているし、自分の未来予想を持って動かれているでしょう? その点から、予定が急に変更になったとき、事態をどうとらえます?
本田 変更の度合いによると思うんですが、僕の人生で、ポーズ(一時停止)ボタンを押されたときと、ストップといって強制終了されたときが、何回かあるんです。
―― 今回は、強制終了というイメージですか。
本田 僕の中では、進路変更みたいな感じです。考えてみたら、海外セミナーがなくなったというだけなので。僕は30歳の時から、つねに大体5つぐらいのシナリオで動いているんです。
―― すごい。それは?
本田 A、B、C、D、Eとあって。お金持ちの人は、そう考えています。例えば、大災害が起きたら日本に住めなくなっちゃうでしょう? だから、海外にお金とか家を用意していたりしています。大企業の社長は東京オフィスと大阪オフィスに同じ間取りの社長室を用意しているわけです。自宅と別荘に全く同じ間取りの書斎を持っている方もいます。どこに行ってもすぐにビジネスができるように。つねに幾つかプランを持っているんです。
―― それはリスクヘッジという意味ですか。
本田 そうですね。僕の場合は、ライフワークがいっぱいあって、投資もそうですし、セミナーもそうですし、本を書くという作家業もやっている。去年から、オンラインで書き下ろしの本が読める『本田健書店』というプロジェクトを計画していた矢先に、今回のコロナ騒動になったんです。
―― こういう事態が起きてからじゃなくて、もともとそういうプランでやっていた。
本田 そうなんです。だから、どれかがダメになっても大丈夫なようにしていましたけど、タイミング的に本当にラッキーでした。
いくつかのプランをつねに用意してきた
―― それを一般に置き換えた場合、例えば、レストラン経営をされている方が食事を提供するのを店だけじゃなくて、ちょっと形態を変えるとか、いろんな方法をつねに考えておいたほうがいいということですか。
本田 僕がもしレストランの経営をやっているんだったら、自分のレシピのレトルトカレーを作ったり、ギフトセットを作ったり、万が一、お店が開けなくなっても何かできるように、準備をしておくと思います。また、不動産の収入とか、他の収入が入ってくる算段もしていたでしょうね。
―― つまり、お客さんが、仮に全然来なくなっても、自分のスキルを別の形で提供できるようにしておく、ということですよね。
本田 そうです。普通は、収入源が1個だけなんです。ですけれども、収入源がいくつもあれば、まさかの時にも心配しなくてすみます。
―― 9.11の時にニューヨークのレストランが、誰もお店に来なくなったという時に、オーナーシェフたちが、Twitterで、「今日はここで屋台をやるよ」ってつぶやいたら、常連客が集まってきたという話がありましたけど、そういう、ファンみたいな人もいますものね。
本田 はい。だから、そういった意味で、何かが起きる可能性があるということをつねに考えて、どんなシチュエーションになっても、対応できるように準備していました。
何が起こるかわからない世の中。切り替えは、2、3分でできる
―― ただ、皆さん、やっぱり自分がこうしたいと思っていたこと、例えば、本田さんでいったら、世界でセミナーをすることは長年の夢だったわけじゃないですか。
本田 はい。
―― 去年、世界40カ国以上で出版されて、計画通りにいっていて、自分としてもいけると思っているときに出鼻をくじかれるというのは結構ショックが大きいじゃないですか。普通だったら、1カ月ぐらい寝込むかもしれない。本田さんは切り替えにどれくらい時間がかかりましたか。
本田 ショックは大きいんですけれども、気持ちの切り替えは、ほんの2、3分ですよね。
―― 2、3分?! それはすごいですね。
本田 もう20年以上も訓練してますから(笑)。僕がボストンに住んでいた時にね、昔、デルタ航空はミネアポリス経由とデトロイト経由の2つの便があったんです。しょっちゅう行っていると、今回はどっち経由で行くのか分からなくなったんです。隣の人に、「この飛行機って、ミネアポリスとデトロイト、どっちに行くんでしたっけ?」と聞いたら、「え?」とすごいびっくりした顔をされたんです(笑)。何度も乗っていると、どっち経由かにあまり興味なくなります。最終的にボストンに行くことは分かっていますから。
―― つまりは、この事態は、別に進路変更をしたというだけで、目的地は変わらないと。
本田 そうです。僕からしたら、ニューヨークに行くのに、サンフランシスコ経由なのか、ロサンゼルス経由なのかの違いなんです。
―― でも、自分は絶対にサンフランシスコ経由で行きたかったっていうこともあるでしょう。そこは、あんまり執着しないということですか。
本田 僕の中で、ニューヨークにさえ行けたらどっち経由でもあんまり興味ないんです。
―― そうなんですね。いや、私はてっきり、本田さんは「世界に出る」ということがその目的地だと思っていたから。
本田 違うんですよ。僕の目的地は、「世界中に、お金と幸せな関係を持つ方法を広めていく」ことだから。それは飛行機に乗って現地でセミナーをやることもできるし、オンラインで配信することだってできるわけです。
―― 切り替えが早いということはそういうことなんですね。
本田 「ああ、そういうことか」「そっちだったっけ?」みたいな感じです。サンフランシスコ経由だと思っていたけど、ロサンゼルス経由だった。僕のチケットにはサンフランシスコ経由って書いてあったと思ったんだけど、まあいいやという感じなんです。
どこでも仕事ができるように自分自身を訓練してきた
―― いやだって、特に日本人って真面目だから、命を削るようにしてその予定を組んでいるわけですよね。それが変更するとなると、すぐに切り替えられない。生活の環境も、急に、リモートワークでと言われても、オフィス通いをしていた人が家で仕事をすることになると、家じゃ気が散って仕事ができない症候群になりますよね。
本田 だから、僕は作家として自分自身を訓練したのは、どこでも原稿が書けるようにすること。自宅でも書けるし、オフィスでも、ファミレスでも書けるんです。
―― タクシーの中でも書けるとおっしゃっていましたよね。
本田 はい。1つの場所じゃないとできないと言っていたらすごく不便じゃないですか。どこでも集中できるように自分をずっとトレーニングしてきたんです。
―― それはいつぐらいからやっていたんですか。
本田 それはもう20代からですね。
―― 私は、もう間に合わない(笑)。
本田 だから、どう生きるのかということじゃないですか。毎日自宅で過ごせればいいけど、世界中を旅行するのに、自宅の書斎でしか書けなかったら困るでしょう?
―― そうですね。なんなら、時差も関係なく、行った先の時刻ですぐ馴染んで生きられるぐらいの感覚で。
本田 もちろん。空港からホテルまでのリムジンの中でも書いたりとかね。いい時差ぼけ解消になります(笑)。
多くの困難を乗り越えてきたメンターたちが教えてくれたこと
―― それは何だろう。もともとの資質なのか、20代の頃からリスクヘッジしていろんなプランを考えられるように訓練した結果ということですか。
本田 僕のメンター(師匠)がそういう生き方をしていたんです。それを見ていたから憧れたんですよね。
―― メンターたちに言われたことで何か印象に残っているものはありますか。皆さん、いろんな変更を余儀なくされていますよね。そんなときに、どう考えたらいいですか。
本田 人生にはいっぱいプランがあって、プランAがダメな時はプランB。プランBがダメな時はプランCというふうに、作らなくちゃいけないんです。で、それは、時代によって、その変更方法は違ってきます。今までは何回か自然災害があったけれども、局地的なことでした。今回のことは世界的なことで、70年、80年ぶりなんです。ちょうど戦前、戦後ぐらいの。ゼロになる、ひっくり返るときが長い歴史の中で起こり得るんです。
―― リセットみたいな感じで。
本田 僕の中で、プランAがつぶれ、Bがつぶれみたいな感じですよね。で、今はプランCで実行中という感じです。
―― 例えば、プランCというのは。
本田 プランCは、もともと研修センターとして所有していた八ヶ岳の別荘に、東京を離れて家族3人でしばらく暮らすというシナリオです。電気がもしダウンしたら、自家発電もあるし、水も食糧もある。ネットさえつながれば、世界に向けての配信センターにすることができる。
―― シェルターみたいなことですか。
本田 はい。シェルターよりも、もっと快適ですが……。東日本大震災の後に、シェルターが東京以外にあるほうがいいなと思って、造り始めたのがきっかけです。なので、自家発電もできるし、電気がなくなっても、薪ストーブとかがあるんで、なんとかなります。そこまで来るには、すごく時間をかけて準備してきたんです。
―― どれぐらいの時間をかけましたか。
本田 震災の後からですよね。ああいうふうなことがまた起きたときにすぐ動けるようにと、配信の設備から何から一通り全部そろえてあったんです。
―― では、何かトラブルがあったときに、対岸の火事じゃなくて、それを学びとして、自分でも備えるということをしたということですか。
本田 はい、そうですね。地震、台風、バイオテロなど、いろんなパターンを想定してきました。さすがに核戦争になったら、もう諦めるしかないなとかね。
(後半に続く)