【体操】7度目五輪を目指して視界良好!チュソビチナ
40歳が跳馬でDスコア7・0の最高難度技に挑む
女子体操の名花、オクサナ・アレクサンドロブナ・チュソビチナ(40歳、ウズベキスタン)が、女子の跳馬で伝説の大技とされる「プロドノワ(前転跳び前方抱え込み2回宙返り)」を切り札に、リオデジャネイロ五輪を目指していることが分かった。
「プロドノワ」は踏み切りの際に前転跳びをしながら跳馬に手をつき、さらに2回宙返りを行う動き。見た目から「3回宙返り」とも呼ばれるダイナミックな技で、男子では「ローチェ」の名がついている。
技の難度を示すDスコアは7・0で、男女を通じて最も点数が高い(男子のローチェは5・6)。跳馬の形状が今とは異なる細長い台形だった1990年代に、ロシアのエレナ・プロドノワが成功させ、「プロドノワ」の名がついた。
跳馬が現在のような手前に丸みのついて形状になってからは女子でこの大技に挑む者はほとんどおらず、最近ではドミニカ共和国の女子体操で初の五輪選手としてロンドン五輪に出場したヤミレ・ペナ・アブレウや、インドのカルマカルが挑戦しているくらいだという。
チュソビチナは、13年から契約している朝日生命体操クラブの一員として全日本シニア選手権(9月20~22日、福井県鯖江市)に出るため、現在は日本でトレーニング中。リオデジャネイロ五輪出場権獲得につながる10月の世界選手権(英国グラスゴー)に向けて徐々に技を仕上げているところだ。
「世界選手権まで1カ月あるのでピークではないですが、今の調子はまずまずです。全日本シニア選手権は世界選手権に向けての第一段階の試技会と考えています」と、順調な仕上げに自信を見せている。
3つの“国籍”で体操女子史上最多6度の五輪に出場
チュソビチナは1975年6月19日に旧ソ連のウズベキスタンで生まれた。体操を始めたのは8歳のとき。最初は先に体操教室に通っていた兄と一緒に男子クラスでトレーニングをし、男子の種目である鉄棒やつり輪、あん馬などにも取り組んでいた。
「両親が共働きだったので私1人を家に置いておけないということで体操教室に行くようになりました。体操を始めた年齢は遅かったけど、とても楽しく練習していました。男子の競技会に出たこともあるんですよ」
13歳だった1988年に、旧ソ連の全国ジュニア選手権で個人総合優勝を飾り、90年にソ連ナショナルチーム入りした。16歳で出た91年世界選手権で団体金メダルを獲得し、ソ連が崩壊した後は独立国家共同体(EUN)のメンバーとして92年バルセロナ五輪で団体金メダルを獲得。以後はウズベキスタン代表として96年アトランタ五輪、00年シドニー五輪、04年アテネ五輪に出場した。
その間、97年に同郷のレスリング選手、バボディル・クルバノフさんと結婚し、99年11月16日に長男アリーシャ君を出産。アキレス腱断裂というアクシデントに見舞われながらも、それを乗り越え、幸せな日々を過ごしていた。
ところが、アリーシャ君が02年に急性リンパ性白血病を発症。チュソビチナは生活拠点を医療の整ったドイツに移し、息子の治療費を稼ぐために賞金大会に出ながら活動を続けることになった。周囲の助けや理解があり、06年にドイツ国籍を取得。08年北京五輪と12年ロンドン五輪にはドイツ代表として出場した。6回の五輪出場は女子体操選手としては最多だ。
13年からは再びウズベキスタンに国籍を戻して活動している。13年、14年にはウズベキスタン代表として世界選手権に出場し、昨年は仁川アジア大会種目別跳馬で銀メダルを獲得。健在ぶりをアピールしている。
そんなチュソビチナの最大の活力はアリーシャ君(15歳)の成長だ。幸いなことに今はドイツの学校の9年生になり、健康な毎日を過ごしている。夫はウズベキスタン・タシケントの体育学校の校長。しばしばドイツにも行っているという。
「彼の人生の先を考えてドイツを選びました。両親の役目としては彼に教育を受けさせること。将来はドイツなのか、ウズベキなのか、米国あるいは日本なのか、どこで働くかは彼が決めることです」
目標はリオ五輪。その先は「人生の流れによって変わってくると思う」
チュソビチナがウズベキスタン代表としてリオ五輪に出場するための選考条件は、10月の世界選手権でいずれかの種目で3位以内に入るか、来年4月にリオで行われる五輪テストイベント(兼世界最終選考会)で個人総合での出場枠を獲得することだ。
跳馬で大技の「プロドノワ」を成功させればメダルも見えてくるが、「今のところはリオを目指しています。リオでの目標は
出場権を獲ってから話すことにしましょう。その先は人生の流れによって変わってきます。先のこともそのときに言うことにします。今から言うのは好きじゃないのです」と微笑む。
チュソビチナは98年と09年にアキレス腱を断裂している。息子の大病という試練もあった。もちろん、少女時代に旧ソ連が崩壊したことは大きな出来事だった。
「でも、体操界にいると、どんなときも必ず、体操仲間が助けてくれるのです。私はそれを肌身に感じて生きてきました。それが体操の魅力です。今、お世話になっている朝日生命も私を助けてくれています。良い成績を収めることができているのは、日本で練習し、試合に出られる環境があるからです。感謝しています」
東京都世田谷区にある朝日生命体育館。チュソビチナは10代の選手と一緒に精力的にトレーニングをしていた。鍛え抜かれた身体、抜群のバネ。跳馬の「プロドノワ」の練習は、圧巻だった。155センチメートル、43キログラムの身体は高く跳ね上がり、高速で回転した。補強練習では体重68キログラムの男性コーチを肩車してスクワットを繰り返していた。
「自分では40歳とは思っていませんね。それに、誰が私を40歳と言うでしょう。自画自賛ですけどね」
強く、美しい笑顔を浮かべた。