8月に川が凍った、約200年前の冷夏
現代の日本では連日のように記録的な猛暑が続いており、猛暑に悩まされる人も多いです。
しかし過去には記録的な冷夏が起こった年もあり、中には夏が全くない年さえありました。
今回は夏がなかった年、1816年について紹介していきます。
夏がなかった1816年
1816年は「夏のない年」として知られています。
この年、アメリカ北東部、カナダ東部、北ヨーロッパを中心に異常気象が広がり、多大な影響をもたらしました。
春から夏にかけての気候は通常であれば安定しており、アメリカ北東部やカナダ南東部といった地域であれば平均気温が20度から25度で安定しており、気温が5度を下回ることはまずありません。
夏に雪が降ることはほとんどありませんが、1816年は異例の寒波に見舞われました。
5月には霜が発生し、農作物に壊滅的な被害を与えたのです。
6月にはカナダ東部とニューイングランドで二度の大きな吹雪が発生し、多くの人が亡くなりました。
ケベックでは30cmもの積雪が観測され、農作物が深刻な被害を受けたのです。
この異常気象の影響で、地域全体で飢餓や伝染病が発生し、やはり多くの人が亡くなりました。
7月と8月にはペンシルベニア州南部で湖や河川の凍結が観測され、気温は急激に変動したのです。
またニューイングランド南部では農作物の一部が成長しましたが、トウモロコシや穀物の価格が急騰しました。
中国北部では植物があまりの寒さに枯れてしまうことが続出し、稲作や水牛が被害を受けました。
またインドでは季節風の遅れにより激しい雨が降り、コレラが蔓延しました。
なお日本では大規模な飢饉こそ発生しなかったものの全国的には冷夏が記録され、四国・東海・関東で暴風雨と洪水が頻発しました。また静岡では不作に伴う一揆や強訴が発生しました。
原因はインドネシアの火山噴火
1816年の気候異常は、前年に発生したタンボラ山の大噴火が原因とされています。
この噴火は火山爆発指数で最大級の7に分類され、膨大な量の火山灰が大気中に放出されました。
加えて、当時は太陽活動が低かったダルトン極小期(1790年 - 1830年)でもあり、これがさらなる気温低下を引き起こしたのです。
他にも、1812年から1814年にかけてセントビンセント島のスフリエール山やフィリピンのマヨン山など、複数の大規模な火山噴火が相次ぎ、既に大気中に火山灰が多量に存在していました。
これにタンボラ山の噴火が加わり、太陽光が遮られて気温が大幅に低下したのです。
この気候異常の結果、農作物が不作となったのです。
アメリカでは「夏のない年」によりこれまでの人口の集積地帯であった東部から人口が流出し、中部や西部に開拓に行く人が増加しました。
ヨーロッパでは、ナポレオン戦争の終結後に農作物の不作が続き、食糧不足から暴動が発生したのです。
スイスでは暴動が激化し、政府が非常事態宣言を発令するに至りました。
さらに、ハンガリーやイタリアでは噴火の影響で茶色や赤い雪が降り、清では夏の異常な低気温で稲作が壊滅し、広範囲で飢餓が発生したのです。
1816年の気候異常は、地球規模での異常気象の一例として、現代にも教訓を与えています。
自然の力の前では人類は無力であることを再認識し、気候変動に対する備えが求められているのです。