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【落合博満の視点vol.64】首位争いの大詰めで岩瀬が打たれた時、落合監督は何と言ったか

横尾弘一野球ジャーナリスト
絶対的な守護神の岩瀬仁紀が打たれた時、落合博満監督は……。(写真:ロイター/アフロ)

 阪神の岡田彰布監督やオリックスの中嶋 聡監督の試合運びを見て、会見などの言葉を耳にしていると、勝てるチームの指揮官の視点や言葉はひと味違うと実感する。では、常に優勝を争って中日に黄金時代を築いた落合博満監督は、勝負どころで起きたプレーについてどう考えていたか。印象的なシーンと落合監督の言葉を振り返ってみたい。

 2010年のセ・リーグは、4連覇を狙う巨人に、中日と阪神が首位争いを繰り広げた。首位・阪神を0.5ゲーム差で追う中日の129試合目は、甲子園に乗り込んだ9月9日の直接対決。中日が2対1とリードして9回裏を迎え、中日のマウンドは8回から続投する浅尾拓也だ。

 浅尾が先頭の浅井 良を三振に仕留めると、守護神の岩瀬仁紀が登板。岩瀬は城島健司に左前安打を許すも、代走・大和(現・横浜DeNA)の二盗を谷繁元信が刺す。あとワンアウトで首位は入れ替わる。だが、代打の藤川俊介がライトへライナー性の当たりを放つと、藤井淳志の頭上を越え、藤川俊は快足を飛ばして三塁へ。ここで、とっておきの代打・桧山進次郎が送られ、見事にライト前に弾き返して同点となる。3連打された岩瀬は、マット・マートンを何とか遊ゴロに打ち取り、試合は延長に突入する。

 流れは完全に阪神に傾いたが、中日は小林正人、鈴木義広、清水昭信と延長で3投手を注ぎ込み、何とか2対2の引き分けに持ち込んだ。

 この試合後は、土壇場で同点とした阪神の粘りとともに、優勝をかけた勝負どころで痛打された岩瀬に対する不安がクローズアップされる。確かに、岩瀬が本調子なら9回裏の頭から登板させるはずだ。しかし、落合監督はこう言った。

「岩瀬に関しては、何も心配していないよ」

 そして、この試合のポイントを尋ねると、こう口にした。

「最後の場面で、藤井はどこを守っていた?」

 そうだ。9回二死で、打者は藤川俊だ。一発の心配はさほどないが、足を生かされるのは嫌なケースだった。こうした場面で外野手は、頭だけは越されてはならない。極論すれば外野フェンスにへばりつき、本塁打以外の打球はすべて自分の前に落ちるように守れば、二塁打まではあっても、三塁打は防ぐことができる。

「そうでしょう。走者が二塁と三塁では、桧山に対する攻め方も、守備位置も変わってくる。万が一、藤川俊に一発を打たれたら岩瀬と谷繁の責任だ。でも、一発のある城島はシングル(ヒット)で止め、代走の盗塁を刺した。これ以上、バッテリーに何を求めろと言うの」

 また、落合監督は藤井には何も言わなかったという。

「もう5年目でしょう。うちの選手なら、ケースごとの守備位置を理解していなければいけないし、理解できていないと思うなら担当コーチが理解するまで指導しなくちゃ。拙いプレーというのは、それに関わった選手だけの責任ではない。最終的には、私の監督不行き届きだ。まぁ、負けなくてよかったよ」

 嫌な負け方をした時ほど、落合監督は冷静に試合のポイントを分析し、それが時間を置かずに解決できるものか否かを見極めていた。だからこそ、悔しい敗戦でも翌日に引きずることなく、ズルズルと連敗してしまうことがなかったのだ。

 この時も、翌10日からの横浜(現・横浜DeNA)との3連戦でも藤井をスタメンで起用し、藤井は3戦目に本塁打を放つなど勝利に貢献。3連勝で首位に立ち、そのまま4年ぶりの優勝を飾っている。

 落合監督は、「選手のミスはコーチの責任。コーチのミスは監督の責任」と口癖のように言っていた。そして、「勝ったのは選手の力だが、負けた責任は選手、コーチ、監督の全員で取らなければいけない」と。その上で、勝敗をチャンスで打てなかったこと、ピンチで打たれたことだけに結びつけず、試合の流れも含めた本質的な原因を分析し、すぐに改善に努めていた。そうした考え方が、常勝を支えていたのだと感じている。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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