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家康は織田信長に負けず劣らずの「新しいもの好き」だった

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
懐中時計。(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」では、西洋かぶれで黒マントの織田信長が登場する。実は、家康も織田信長に負けず劣らずの「新しいもの好きだった」ので、その点について考えることにしよう。

 新しいもの好きといえば、西洋の文物に強い関心を持った織田信長が有名である。実は、家康も好奇心が旺盛で、西洋の文物に興味を抱いていた。家康は晩年になってから、時計を所持していたことが知られている。

 久能山東照宮(静岡市駿河区)には、重要文化財の洋時計が所蔵されている。この時計には由緒があった。慶長14年(1609)、スペインの船サン・フランシスコ号が御宿(千葉県御宿町)に漂着した際、大多喜藩主の本多忠朝の家臣が船員を救助した。

 慶長16年(1611)、スペイン国王のフェリペ3世は、船員を救助してくれたお礼として、その洋時計を家康に贈ったのである。この時計は、ハンス・デ・エバロが1581年にスペインのマドリードで作製したもので、日本で現存最古のゼンマイ式の時打付時計として有名なものである。

 このほか、家康は砂時計、日時計を所有したといわれており、実に好奇心が旺盛だった。家康は時計だけなく、ほかの西洋の文物にも強い関心を示したのである。

 家康が愛用したという鉛筆は、久能山東照宮に所蔵されている。この鉛筆は日本最古のもので、芯はメキシコの黒鉛、軸はアカガシの木が使われ、長さは約6cmである。スペインまたは、その支配下にあったメキシコ、フィリピンから贈られたと考えられている。

 家康が使用したという眼鏡も、久能山東照宮に所蔵されている(目器という)。わが国の古眼鏡として極めて貴重なもので、レンズの直径は約4cm、横幅は約9cmの鼻にかけるタイプの眼鏡である。家康が晩年に使用したとされ、重要文化財に指定されている。

 家康は、このほかにもコンパス、天秤も所持していたという。具足も日本古来のものだけに限らず、南蛮胴具足を着用していた。関ヶ原の戦いで着用していた南蛮胴具足は、日光東照宮(栃木県日光市)が所蔵している。家康は、南蛮胴具足を渡辺守綱らにも下賜した。

 家康はキリスト教を禁止する一方で、スペインとは積極的に貿易を行っていた。最終的には、それも断念してしまうが、西洋文化に強い関心を抱き続け、強い好奇心を抱いていたのは疑いないだろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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