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シェイク・ティオテ。30歳で急死した”コートジボワールの巨星”の偉大な軌跡。

河治良幸スポーツジャーナリスト
豪快なタックルと展開力を誇ったティオテ。ブラジルW杯では日本を苦しめた。(写真:ロイター/アフロ)

1人の偉大なフットボーラーが亡くなった。シェイク・ティオテ。ベルギーの名門アンデルレヒトでプロデビューしたコートジボワール人MFはオランダのローダJCで頭角を現し、同国の名門トゥエンテに移籍すると、09-10シーズンにはアヤックスなど強豪クラブを押しのけて初優勝の立役者となる。そしてプレミアリーグのニューカッスルでは中心的な選手の1人として、6年半に渡りプレーした。

コートジボワール代表ではトゥエンテ在籍時の2009年にデビューを果たすが、そのティオテを初めて招集したのが他でもない、現・日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチだった。W杯のアフリカ予選で母国代表の本大会出場に貢献したティオテは続くアフリカネーションズカップでMFとしては異色の9番を背負う。

その大会は残念ながら準々決勝で敗れ、ハリルホジッチも解任されてしまったが、チームを引き付いたスベン・ゴラン・エリクソンのもとでも主軸を担い、スイスのシオンで行われたW杯前の日本戦(相手エースのディディエ・ドログバが骨折してしまった試合)でもディディエ・ゾコラ、トゥーレ・ヤヤと強力な中盤を形成し、遠藤保仁や阿部勇樹に激しい”デュエル”を挑んでいたことを今も思い出す。

豪快なボール奪取とダイナミックな展開を誇ったティオテ。2014年にはW杯の本大会で日本がコートジボワールと対戦した時の先発メンバーでもあり、セルジュ・オーリエのクロスによるウィルフリート・ボニーの同点ゴールの起点となったのがティオテだった。

2017年の2月から中国・甲級リーグの北京控股足球倶楽部に加入していたティオテに突然の発作が襲ったのは昨日、5日の練習。グラウンドから病院に救急搬送されたが、そのまま30歳の若さで帰らぬ人となった。

母国代表の同胞であるドログバは自信のTwitterで「No Words(言葉が出ない)」と発言し、代表チームでも特に親しかったヤヤ・トゥーレは「僕の兄弟シェイク(・ティオテ)。君が逝ってしまうなんで信じられないよ。僕は君を忘れない」とメッセージを贈っている。

また彼が全盛期を過ごしたニューカッスルは「CHEIK TIOTE RIP」として悲しいニュースを報告。彼がミドルレンジから決めた衝撃的なゴールの動画のツイートは1日足らずで5万リツイート、7万いいねを超えるなど、国際的な名選手の死による衝撃をものがたる。

筆者としても現場で取材した選手の死、しかもこういう形での死はショックが大きい。症例の研究が進み、今後少しでもこうした事例が無くなることを願うばかりだが、シェイク・ティオテという選手のプレーを忘れることはないだろう。

どうか、やすからに。

スポーツジャーナリスト

タグマのウェブマガジン【サッカーの羅針盤】 https://www.targma.jp/kawaji/ を運営。 『エル・ゴラッソ』の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。セガのサッカーゲーム『WCCF』選手カードデータを製作協力。著書は『ジャイアントキリングはキセキじゃない』(東邦出版)『勝負のスイッチ』(白夜書房)、『サッカーの見方が180度変わる データ進化論』(ソル・メディア)『解説者のコトバを知れば サッカーの観かたが解る』(内外出版社)など。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。NHK『ミラクルボディー』の「スペイン代表 世界最強の”天才脳”」監修。

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