認知症だけど辛くない。なぜか幸せを感じる映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が話題 1/5
ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が大きな反響を呼んでいる。
2018年11月3日から東京・ポレポレ東中野で上映されるや、口コミで広がり、現在、60館と全国に拡大公開されている。ドキュメンタリー映画では6千人がヒットと言われるなかで、動員数5万人を超える異例の大ヒットとなっている。
その映像を手がけた信友直子監督に、2018年の年末、ロングインタビューをおこなった。
広島県呉市出身、広大附属高校から東大へ進んだ一人娘、信友直子監督、東京在住。テレビドキュメンタリーのディレクターとして活躍している。その姿を誇りに思う、父、98歳、母、90歳、呉在住。信友監督が、両親の穏やかな日常を撮り始めたのは2001年。それが……。
完璧なスーパー主婦だった母がアルツハイマー型認知症と診断された2014年から、家族の生活は徐々に変化していく。
フジテレビ系情報番組『Mr.サンデー』で2016年9月に2週に渡って特集。継続取材をして、2017年10月、BSフジで放送されたのが、大変な話題となり、今回の映画化が実現した。
「認知症」という厳しい現実を見せながらも、「幸せになる」「前向きになれる」ドキュメンタリー映画として、大評判になっている。介護、看護の渦中にいる家族、その経験者、介護、医療従事者など、当事者、専門家たちだけでなく、人ごととは思えない高齢化社会、老老介護問題など、多くの課題を知る機会としても、学生たちも鑑賞する映画となっている。
切ないけれど、なぜか、優しい気持ちになれる。
瀬戸内海の呉の風景とともに、穏やかな家族の物語が、今、問いかけるものとは?
このページでは、プロインタビュアー 佐藤智子が、あらゆる職業、地域、年齢、性別、国籍を超えて、さまざまな方にインタビューいたします。
エンターテインメント以外にも、トラベル、教育、ビジネス、健康、美容、芸術、カルチャー、ライフスタイル、スピリチュアルなどのジャンルから、インタビューを試みます。
取材をさせていただいた方のキャラクターや言い回しをリアルに感じていただくために、あえて、インタビューを会話形式にそのまま再現しています。これは、インタビュアーにとって、勇気のいること。ですが、その場にいるような、臨場感を感じていただければと思っております。
―― 映画を拝見して、まず私が思ったのが、信友監督、すごく声がかわいいですね。言われます?
信友 言われます(笑)。
―― ご自身でされているナレーションも素晴らしいし。まず声、言葉が優しい。言葉遣いが優しいというんですか。
信友 そうですか。言葉遣いが優しいって言われたことはないけど、「アニメ声だね」っていうのは、若い頃から言われていて。
―― やっぱり。
信友 電話で初めての人と、例えば取材のお願いとかでしゃべると、私もう57歳なんですけど、20代だと思われて。アニメ声の人だから、なんかすごいかわいい子が来るんじゃないかと思ったら、このおばさんが行って、「ええー」みたいなギャップは結構あります。声だけ聞いたら、アニメ少女だと思って。
―― 声だけではなくて、言葉の使い方とか、声がけが優しくて、映画を見て、本当に親子の会話が優しいトーンじゃないですか。あれは昔からなんですか。
信友 そうですね。昔からあんな感じです。
―― 例えばお母様が大変そうな時も、「直子が手伝おうか」という言い方とか。あれを観て、親にもうちょっと優しくしようと思う人も多いんじゃないかなと。
信友 声質がこうだから、優しく聞こえるだけで(笑)。
―― いや、映画を見て、多分いろんな方が信友監督のことを「優しい方だな」って、思ったと思うんですけど。ずっと笑顔だしね。
信友 ありがとうございます。褒め言葉としていただいておきます(笑)。
―― いや、本当に。それは、一番に言おうと思っていたんですけど。映画を見させていただいて、私なんか冒頭から、ものすごい涙が、何の涙か分かんない。もうとにかくいろんな涙があって、まず現実としては切ない話だけど、すごく心があったかくなるし。
観客は、介護経験者、従事者、
若者から80代以上までさまざま。
「幸せを感じる映画」と言われるゆえんは
―― 今回、私、下北沢の映画館「下北沢トリウッド」に行ったんですが、平日でもすごい人で。
信友 へえ、そうなんだ。ありがたいですね。
―― 平日13時からなんですが、皆さんお仕事とか、どうされているのかなという感じで、わりと若い人も多かったんです。「下北沢トリウッド」の方に取材させてもらったんですが、観客数は非常に安定していて、普通は公開すると上がって、徐々に下がってくるけれど、ずっと安定していると。特徴的なのは、40代、50代の女性が多いのと、初めてのことだけど、80代の方も来られている。地方から来られている方も多い。電話の問い合わせも多いと。
信友 はい、そうですね、そうですね。
―― 腰が曲がった方が見に来られたり、若い方だと、介護の勉強をされている方とか。そして、皆さん、涙で目を腫らしている人もいるけれども、前向きなイメージで帰られていると。
信友 そうですね。本当にそうです。まさにそんな感じです。
―― 皆さんから、「幸せを感じる映画」と言われていることに関して、ご自身としては、どう思われます? ご自身の作品ですが、どうして幸せを感じるんだと思います?
信友 多分、父も母も、母はもうちょっとぼけたから分からないけれど、父も私も別に不幸だと思ってないからだと思います。
―― そこがね。認知症に対するとらえ方がね。
信友 なんだかんだ言って、最初のうちは母に「私は馬鹿になった」とか、「どうしたらいいんだろう」とかって言われると、私もディレクターとして、(撮影する上で)人の気持ちを想像する訓練ができているから、必要以上に母の気持ちを想像してしまうんです。本当に辛いんだろうなって。今まで何もかもできていたんですよ。結構完璧な主婦だって、子どもの私が見ても思っていたから。自分でも自慢にしていたし、そこが自分のプライドだったのに。私と父の面倒を見るのが生きがいだったのに、それができないばかりか、面倒をかけてしまうというのが一番、母としては傷つくことだと思うんです。
―― そうですね。ちょっとプライドというか、傷つくんですよね。
信友 認知症だから治らないし、一生これが続くんだ、私はどうしたらいいんだろうと。父と私に迷惑をかけないために、どこかに行きたいんだけど、その行き先も分からないし、だから死にたい、みたいなことになっちゃうんです。母の理論からすると。
―― ご自身が、そういうふうに思っちゃう。誰かにそう言われたわけではなくて。
信友 全然、全然。もう自分の中で。それを聞いていると、やっぱり、こっちもどうしてあげることもできないから、一緒に泣いたりしていたんですけど、初めは。だけど、だんだん私も学習してくるのは、母って、自分の頭で対処できなくなると、疲れて寝ちゃうんです。そうして、寝て起きたら、普通に戻っているんです。
―― それは性格で? それとも認知症の症状的に?
信友 いや、多分症状がそうなんだと思う。本当に寝たら、別のモードに切り替わるんです。それは認知症がそうなのか、私の母がたまたまそうなのか、分からないけど。だから、もう後半は、とにかくそうなったら、「もう寝なさい、寝なさい」って、寝かせる。
―― あれも優しいなと思って。「もう寝んちゃい」みたいな。
信友 で、「よしよし」って、子守唄みたいにして寝かせるっていうふうになって。だから最初のうちは、お母さんかわいそうと思って、私がそのモード入っちゃって、つられて泣いていると、母が寝て起きた時に、「あんた、何泣きよるん?」と言うので、「ええー」みたいな(笑)。「お母さんが泣かしたんでしょ」みたいに思うんだけど。でも本人は、もう言っても分かんないわけだから、これは翻弄され損だなと思って(笑)。
―― そうか、本人が悩んだこともいい意味で忘れちゃうから。
信友 そう、忘れているわけだから。だから引きずったほうが損だなと思って。
―― 確かに。
信友 だんだんそれに気が付いてきて、というか、学習してきて。
―― お母様は元々、楽天家なんですか。
信友 元々、楽天家です。父も母もそうだった。「なんとかなるよ」みたいな。あと、ブラックジョークとか、自虐的なことをよく言う人で。私が乳がんの時にも、「お母さんの垂れたボインで良かったら、あげようか」とか、「そんなおっぱいの1つや2つ、外に出して歩くわけでもあるまいし」とか。
「私は馬鹿になった」と。
スーパー主婦だった母が認知症に
―― そういう意味で、言葉が立っているというか、ドキュメンタリー向きというか、ちょっとありますよね。ご自身は認知症になる前は、認知症になられた方やその状況に対して、何か言われたことあります? 「自分が認知症になったらどうしよう」とか、周りの人の話とか聞いて。認知症になる前ですよ。
信友 祖母が認知症だったんです。だから、「おばあちゃんみたいに、なりたくない」とは言ってました。否定的なイメージを持っていたし、今も持っていると思います。いまだに「私は馬鹿になった」とか言って。
―― 完璧なスーパー主婦というのは、例えばどういうところが、ですか。
信友 料理はうまいし、料理といっても、そんなハイカラなものは作らないんで、本当に家庭料理みたいな和食が主ですけど。裁縫は完璧だし。
―― じゃあ、今日は疲れたから何かできなかったという日はなくて、完璧にやるべきことは全部やる。
信友 母が元気な時は、朝起きると、母はもう絶対起きているんです。私、高校は、呉から広島に通っていたんですけど。6時何分の電車で。母は4時に起きて、お弁当を作って、私を起こして。夏休みとかでも、母が横になって休んでいるところを見たことがないんです。
―― 働き者で。
信友 いつもエプロンして、なんか家事をやっているという感じで。
―― それも、はつらつとして、元気そうですね、活発な。以前の映像を観ても。
信友 ちゃきちゃきしているし、わりと社交的だったので、聞き上手なんですよ。だから近所の人が相談に来る。「こんにちは」と言って玄関を開けて、「信友さん、ちょっと聞いてや」と言って、母はお茶を出して「そうなん、そうなん」と言って、聞いてあげる。
―― じゃあもう人気があったんですね、元々。
信友 そうです。よろず相談員みたいな。
―― そういうところ、ちょっと信友監督、似ているんじゃないですか、やっぱり。人の話を聞いたりするのが好きとか。それが取材につながっていますもんね。
信友 それ、母の血を引いていると思います。
―― そして、活動的。
信友 そうです。母は、趣味で書道もやっていたから。私が大学に行って手が離れてから、60代かな。最初は近所の主婦4~5人で集まって、呉市内の先生に習ってたんですけど。そのうち、面白くなったみたいで、「物足りない」と言って、最後は、結構有名な書家の方に神戸まで習いに通っていたんです。月に何回かは行ってた。
―― すごいバイタリティーですね。自分がやりたいことに対してのエネルギーというのが。信友監督もそうじゃないですか。
信友 そうですね、やりたいことは。
―― やっぱり遺伝子が。
信友 そう、そう。
―― すごいなって。今回、信友監督にお会いしようと思ったのは、映画もそうなんですけど、やっぱりテーマが親子の話で、ちょうど年末年始って帰省するじゃないですか。東京とかで離れて暮らしている人も、みんな実家に帰って愕然とするわけですよ。「えっ、こんな年を取った?」と親の老いを急に感じるとか。そういうことが、1年のうちでも、里帰りするこの時期に、一番切に感じられる季節だろうなと思って。
信友 本当にそう思います。
1館から始まった映画館が、
1ヶ月近くで50館近くに、
どんどん全国公開されて
―― それにしても、映画、すごい反響ですよね。常に数字が更新されているんですけど、今、動員数は何人って聞いています?
信友 多分、12月22日の段階で2万9,000人、ですか。(*現在は5万人を超える)
―― すぐに3万人超えますね。全国拡大公開されていますが、今決まっているのは何館ですか。
信友 49館。(*現在は60館)
―― すごいですね。
信友 びっくりですよ。最初は、「ポレポレ東中野」という1館から始まったので。
―― それって、11月の3日ですよね。それから1ヶ月ちょっとで、ということですよね。
信友 そうですね。私、広島県出身なので、広島の映画館はその11月3日の公開前にはもう決まっていたんですけど。でもなんか、ポレポレがすごい満員になっているからと言って、全国で「じゃあうちも」「うちも」と。
―― それもシネコンとか。『ボヘミアン・ラプソディ』と並んでやっている、みたいな。
信友 広島は、やっぱりご当地だから、広島弁とかも細かいニュアンスが伝わるじゃないですか。だから余計、皆さんの感情が乗るみたいですごい人気で、最初にやっていた「横川シネマ」というミニシアターが、もう収まりきれなくて。
―― 何人ぐらいなんですか、「横川シネマ」に入るのは。
信友 80席くらいですが、130人くらい入って。地元、呉の「ポポロシアター」では、初日からたくさんの人に来ていただいて。209席数の映画館で、呉って映画館が1個しかないんです、小さい町だから。人口20万人ちょっとの町で、映画館の人もそんなに来るとは思ってなかったんだけど、どんどん来て、結局250人ぐらいに。
―― すごい!!
信友 初日の、私の挨拶の回に。
―― それは親戚一同が集まったわけじゃなくて(笑)。
信友 なくて(笑)。私の友達も初日に来てくれたけど、映画館はビルの4階にあるんですね。予約制じゃないので当日行って並ぶんですけど。友達は、エレベーターで4階に上がったら、「行列の最後尾に並んでください」と言われて、行列に沿って階段を降りていったら結局また1階まで降りちゃったって。
―― ちょっとアイドルの握手会みたいな感じになっていますね。すごい!!
信友 すごいことになっていて、私もびっくりしました。で、映画館の人も、「事務所にある椅子、全部持って来い!」って。それでも椅子が足りなくて立ち見になってました。
―― 呉って、そういう意味では、大ヒットしたアニメ『この世界の片隅に』とか、結構そういう、いつも舞台になったりしますよね。
信友 だから結構それで。
―― 『海猿』とか、古くは『仁義なき戦い』とか、『戦艦大和』とか、いろいろ話題になるじゃないですか。
信友 そうです、そうです。そうなんですよ。
―― だから、ドキュメンタリーの中の、瀬戸内海の呉の風景と、家族の話がすごいマッチしているというか。映像が優しいトーンでそのものの感じで。
信友 父も連れて行ったんですよ、初日。そうしたら、父もすごい喜んで、サプライズで、舞台に上げて。舞台挨拶をするんですが、「わしは、もう長うないですが、娘の人生はこれからなんで」って。
―― 泣いちゃいますよね。
信友 なんか客席も大泣きで。
―― そうですよね。でも、お父さん、98歳で、元気ですよね。
信友 そう、すごいですよね。
―― 観客の方の反応というのは、どうですか。いろいろ舞台挨拶をされて、どういう方たちが来られています? 舞台上から見た感じだと。
信友 やっぱり年齢層は高いです、一般的に。
―― それは、実際にもう介護に直面しているような感じですか。
信友 私ぐらいか、私よりちょっと上ぐらいかな。
―― じゃあ、まさに、介護の渦中だったり、介護を経験された方とか?
信友 そう、そう。だから日によっては、「亡くなった母に会えたような気がします」という人もいます。
―― そう言われてどうですか。
信友 すごい嬉しいです。「本当に亡くなった母に会えたような気がして、すごいいい時間が持てました」とかって言われると、すごい嬉しいです。
認知症の厳しい現実を知る映画だと思いきや、
なぜか、「前向きになれる」と評判に
―― 現実の話としては厳しいし、老いや介護のことは、誰もが迫り来る現実じゃないですか。避けて通れない、みんな老いていくことだから、自分もそうなるかもしれないし、家族がそうなるかもしれない。だから本当は、ああいうのを見せられたら、苦しくなるでしょう。でも、それが、「なんだろう、この幸せ感?」という不思議な現象が吹きまくっているんですけど。実際、見られた方の感想は、どんな感じでしたか。
信友 皆さん、そうおっしゃっています。認知症の映画だから、多分、暗い映画だろう、と思って敬遠して。
―― 覚悟して。
信友 「敬遠していたんだけど、友達に、すごい良かったよと言われて、本当かなと思って見に来たんだけど、本当に、前向きになれるし、明るい気持ちになれるし、年を取っていくのも悪いことじゃないなと思えたし、元気になりました」と言って帰っていく人が多い。「私も前に進みたいと思います」みたいな。
―― お友達2、3人で来られたり、リピーターの方もいるらしいですね。
信友 そうなんです。良かったから今度は別の友達に紹介して、その人を連れて来たとか。
―― 映画の波及効果がすごいですね。お母さんはどうですか。ご存知なんですか。すごい反響があるということ。
信友 いや、映画がヒットしている話はしてないです。
―― でも、その周りの方、病院のスタッフの方たちは、もちろんご存知ですよね。
信友 病院の人はみんな知っています。呉では、父も母も超有名人です(笑)。
―― そうでしょう。それで思ったのは、お父様、お母様、信友監督、みんなお優しいんですけど、この地域の方たちが、なんか呉の人って善人しかいないの? っていう良い人揃いで、魚屋さん、ドクターもそうだし、あと、ヘルパーの方、デイサービスの方、皆さんお優しい。介護の現場はみんなあんな感じなんでしょうか。
信友 どうなんだろう。本当にいい人たちに恵まれたなとは、本当に思いますよね。でも、うちは、この作品を作ることで認知症をカミングアウトしたわけですけど。やっぱり、ちょっと偏見というか、認知症だと言ったら「えー!?」みたいな引かれる感じになるかと思ったら、結構、皆さん優しいんだなと。「うちがそうだったから、皆さんもそうしてもいいと思いますよ」とは言えないけれど、案外カミングアウトしてみたら、周囲は優しいもんだなと思います。
―― 隠したりするんじゃなくて、カミングアウトして、理解してもらったほうがいいかも。でも、ご本人が言いたくないという場合もありますよね。
信友 そう、特に初期は、頭がはっきりしているから、隠したいというのはあると思います。
実際、父も母もしばらくは介護サービスも受けなくて、2人きりで引きこもっていた時期があるんです。2年ぐらい。その間は、父もやっぱり、他の人にそういう母の姿を見せたくないから、今まで人の出入りが多かった家なんですけど、あんまり来なくなって。「来るな」と言ったわけじゃないでしょうけど。
―― でも、お元気な時も、人のお話を聞いたり、お世話はするけど、人に世話されるというタイプじゃなかったんでしょう。
信友 母でしょ? そうです。それは全然。
―― 甘えないで、人のために動いて、自分が何かあっても弱音を吐くタイプじゃない。
信友 じゃないです。
―― やっぱりそういう真面目さがあると、なかなか人に頼れないですよね。
信友 そういう自分を許せないんだと思うんです。だけど、父に今まで多分甘えたかったのに、甘えてなかったんですよ。それこそ、スーパー専業主婦としてのプライドみたいなのがあったんでしょうね。だけど認知症になって、たがが外れて甘えているんですよね、すごい父に。「お父さん、お父さん」って。父が「起きろよ」と言ったら、「お父さん、起こしてや」って。
―― かわいい。
信友 私が言っても、シカトなんですよ。私が何か言っても、全部「お父さん、お父さん」。
―― 甘えても、自分は認知症だという、大義名分がありますものね。
信友 そう、そう。本当にやりたかったことを、解放されてやっているのかなとも。それは幸せなのかなと思って。父と母が手をつないだりとか、スキンシップとか、見たことないんです。娘の前では、「父です」「母です」みたいな感じだったから。
―― じゃあもう今、2人が仲良くしていて。
信友 結構、目のやり場に困るみたいな(笑)。
―― でも、娘としては嬉しいですよね。
信友 最初は、ちょっと、母の女の部分を見て、ドキッとしましたけど。でも、それはそれで、ドラマチックで、なんか人間だよな、とか思うし。
―― 女性の部分が出て来たり、子どもみたいなところがあったり。じゃあ、新たなお母さんの一面を見られて、それはそれで良かったということですよね。
信友 そうですね。
テレビドキュメンタリーの監督として、
映画が公開されることは夢のような話
―― 地域の人たちも、結構、素性が分かるじゃないですか。顔とか、どアップで出て、ヘルパーの人たちも。皆さん、映画化されて全国公開になって、どういう感じなんですか。
信友 介護サービスの人に限っては、その当時には、テレビでやることが決まっていたので、テレビに出てもいい人というので、お願いしていたから。
―― 皆さん自然体で。普通テレビに出るとなったら構えた感じになりそうなのに。
信友 多分、テレビカメラが入っているわけじゃなくて、私がプライベートなカメラで、ちょこちょこ撮っているだけだから、あんまり気にならないんだと思います。私も、そういうオーラは消しているし。それが格好良い言い方をすると、プロのやり方だと思っているので。
―― そうですね。だから、信友監督が、ドキュメンタリーの名手だと言われるゆえんだなと。元々、テレビのドキュメンタリーだったのが、映画化されて、全国公開される。これはどうですか、ドキュメンタリーの監督としては。
信友 ものすごい夢のような話です。多分ドキュメンタリーをやっている人って、テレビの仲間とかで飲むと、みんな映画をやりたいはやりたいんです。だけど、やっぱりお金がかかるし、先にお金を出して、後々回収できるかどうか。一種、賭けだから、もしかしたら、すごい借金を背負ってしまうかもしれない。先に出したものが絶対実るとも限らないから、手が出せないっていう感じなんです。特に私は、女性の一人暮らしだから、自分の老後の資金のことも考えなきゃいけないから、まとまったお金を使って、それが借金のまま残ってしまったら、自分の老後が困るじゃないですか。
―― そうですね。出してみないと分からないことですしね。
信友 憧れはあるけど縁はないと思っていたんです。だけど声がかかって、すごい嬉しかった。
―― じゃあ、私はテレビの人間だからテレビでやっていくんだということでもなく。でも、映画監督になりたいとまではなかったですか。
信友 映画監督になりたいとはあまり思ってなかったです。というか、なれると思ってなかったので。
―― でも、こんなふうになっちゃうと、オファーが来るんじゃないですか。大きい資金を出します的な。
信友 でも、セルフドキュメントだからな。それじゃない全く別のネタで来るかっていうと、またそれは別だと思いますけど。
―― でも、どんどん上映が拡大するだけじゃなくて、これが世界にも広がっていって、賞を取る可能性だって。舞台挨拶も海外に行ったり。
信友 だといいですね。
―― ねえ。どうします? そうなっていったら。
信友 アメリカに暮らしている友達に言わせれば、「日系人社会では絶対受けるし、東アジア、韓国とか中国とか、多分メンタリティーが一緒だから、親に対する敬う思想とか。絶対受けると思うし、ヨーロッパでも受けると思うよ」って。だから「何かやるんだったら手伝うよ」と言ってくれていて。
―― 声がかかると思います。やっぱり、日本という国が高齢化社会で、現実的に100歳まで生きるって、どういう感じなんだろうな、と思うじゃないですか。でも、なるほどと。一つの実例として出せますよね。
信友 何となく、日本の、昭和の良さ、香りみたいなものもある。
―― 小津安二郎監督の映画とか、向田邦子さんの正月ドラマみたいな。
信友 ちゃぶ台と。
―― みかんと。古き良き昭和、こたつのイメージがすごくして。
信友 私の友達が言ってたのは、冒頭で私が玄関の引き戸を開けて、「ただいま」って言ったら、奥から「おかえり」と聞こえるじゃないですか。あそこで、もう泣いたって言っていて。
―― 私も泣いた。
信友 なんか自分の昔を思い出したって。何か地方出身者で高度経済成長期に幼少期を過ごした子というのは、だいたいああいう感じで、ガラガラって玄関を開けて「ただいま」って言ったら、奥から「おかえり」と言うのを、DNAに植え付けられているから、「あ、懐かしい」って思って、自分の幼少期を思い出して泣いたと言ってた。
―― それが、平成も終わるこの時に昭和のいい時代のイメージですごい良かったです。
★信友直子監督ロングインタビュー(全5回)2/5に続く