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挑戦のアイスショー(2)羽生結弦が誓う「課題を持ち続ける精神」で切り開いた「単独公演」の道

野口美恵スポーツライター
AP/アフロ

フィギュアスケーターにとって、試合だけが挑戦の場ではない。アイスショーもまた、競技会とは違った勝負の舞台だ。それぞれのショーを通して、スケーター達は何に挑戦し、どんな未来へと進んでいるのか。後編は、羽生結弦が切り開いた「単独公演」の成功と、未知なる「東京ドーム公演」への道。

25歳、30歳になっても『自分はここまでだ』と思いたくない。

かつて、20歳の誕生日を前にした彼が『どんな20代を送りたいか』と問われて答えた言葉がある。

「常に課題を持ち続ける、です。これは10代の頃から変わらない。自分が20歳を過ぎても、25歳、30歳になっても『自分はここまでだ』と思いたくない。出来ないことを『じゃあなんで出来ないんだろう』って考えて克服し続けていきたいんです」

自ら高い壁を設定し、その試練を超えることで、さらなる高みを目指す。有言実行を自身に課してきた彼は、その精神をプロになった今も受け継ぎ、むしろ勢いを増している。ルールや試合といった形にとらわれなくなったことで、彼の創造力が無限に広がり始めているのだ。

公式You Tubeの開設、公開練習のライブ配信、そして最初のアイスショーとなった『プロローグ』で彼が挑戦したのは“単独公演”という未開の地だった。「たった一人でどういった演出をするのか」「体力的にどう配分するのか」。しかしそんな懸念をよそに、予想を上回るチャレンジが詰め込まれたアイスショーを届けてくれた。

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すべてが新たな試み 〜1人で10曲、編集、演出、映画館〜

プロローグは、大きくわけて3つのコンセプトがあった。現役アスリートとして技術レベルの高さを示す“6分間練習”と“『SEIMEI』の演技”、続いて幼少期から現在までの時間を観客と気持ちを交わし合いながらたどっていくもの、そして最後はプロとなった彼がいま迎えている変化を伝えるプログラムたち。

およそ90分間のショーで、映像やトークをはさみながら、一人で滑りぬいた曲は8〜10曲。通常のショーであれば、ソロの演技は1曲か2曲であり、驚異的な体力である。初演後には、ノンストップで滑りぬいたことで、体力面に手応えを得た様子だった。

「体力強化は本当に大変でした。ここに来るまでに、(公演の)頭から最後まで通すということを5回ほどやってきたんですけれど、普通は1つのプログラムに全力を尽くしきってしまうので、その後にまた滑るということを考えられませんでした。何とかここまで体力をつけることが出来たなと思います」

幼少期から北京五輪までを振り返っていく映像についても、新たな取り組みがあった。周囲の力を借りながら、羽生自身が編集したのだ。さまざまな映像や写真、音楽で構成される、彼のスケート人生が胸の奥にまで流れ込んでくるようなプレイバック作品。11月の公演初日の朝までかかって編集したということも、職人気質を感じさせた。

「自分が表現したい世界、ストーリー性、物語を、より皆さんに伝えやすくする作業をしてきました。自分が意図するものを伝わるように考えながら編集したり、(技術面で)作ってくださる方を頼ったり、今日の朝までかかって出来上がったもの。まだまだやりたいこともありますし、もっとこう出来たかな、ということもあります」

さらに後半の『いつか終わる夢』と『春よ、来い』では、演出家のMIKIKO氏の演出とのコラボレーションにも挑んだ。リンク全体をプロジェクションマッピングの映像美が覆い、幻想的な異空間のなかを羽生がゆったりと滑る。

「ここまで本格的なプロジェクションマッピングを含めて、演出としてやっていただいたので、皆さんの中でフィギュアスケートをみる目が変わったと思います。実際会場でも、近場の自分と同じ目線でみるスケートと、上から見るスケートと、カメラを通して見るスケートと、まったく違った見え方をすると思うので、是非是非そういうところも楽しんでいただきたいなと思っているプログラムです」

リンクに近い席と2階席からの見え方の違い、羽生自身をアップで追う映像と会場全体を捉える映像の印象が異なることで、万華鏡のように表情が変わる。受け手によって印象を変化させるという複合的な演出は、新たな芸術の融合へと挑むものだった。

横浜公演2日間と、八戸公演3日間。さらに多くのファンが映画館でのライブビューイングに詰めかけた。アイスショーとライブビューイングの同時開催というのも、彼にしかできない偉業である。

「実際にこうやってプロになって、多くの方々に見ていただき、視線が届かない場所でもライブビューイングとかテレビでもたくさんの方々に見ていただけて、スケーター冥利に尽きるというか、スケートをやっていてよかったなと思う瞬間がたくさんありました」

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スケート界初となる東京ドーム公演、しかもたった一夜

そして『プロローグ』八戸公演の千秋楽で、さらなる進化への一歩が示された。スケート界初となる、東京ドーム公演である。東京ドームにリンクを設置するのは史上初の試み。しかもリンクの設置には、土台の設置から氷を固まらせる作業まで、準備に4〜5日かかり、それでも公演はたった一度。大物アーティストのコンサートでさえ一晩で舞台を設置し、複数公演をこなさなければ採算が合わないことを考えると、あまりにも贅沢な一夜となる。

当然ながら、ほぼ4万席のチケットは発売当日に完売となり「東京ドームではキャパが足りない」という事態に。映画館でのライブビューイングは、国内だけでなく、台湾、香港、韓国など海外でも行われることが決定した。さらにディズニープラスでのライブ配信、そしてグローバルライブとして全世界に配信されることで、贅沢な一夜を一人でも多くのファンが共有できるよう工夫がなされた。史上初の挑戦に向けて、彼がどんな課題を自身に設定し、そして乗り越えていくのか。新たなドキュメントを、全世界が見守ることになる。

総合演出となるMIKIKO氏とのコラボレーションについて、羽生はこう紹介した。

「東京ドームの演出は、色々なテクノロジーを使ったり、(プログラムとプログラムの)間もビデオではなく、演出として物語をたのしめるような、新しい感覚で楽しんでいけるような、ショーというよりは物語にしていきたいと思っています。ショーとは全く違ったスケートの見え方、みたいなものを東京ドームではやりたいと思います」

“色々なテクノロジー”と話していたように、2月8日には公演の公式SNSに、モーションキャプチャールームで撮影した写真を投稿。バーチャル空間で羽生結弦の3D映像が動くというような、ファンタスティックな異空間の演出も想像させた。

また映像演出の面では、羽生自身の編集能力にも期待が集まる。公式You Tubeの動画では12月に、12台のカメラをリンク内に置いて、練習風景や演技を撮影。12箇所から撮影されたダイナミックな映像を、自ら編集し、クリスマスイブにその映像をファンに届けた。プロ転向後、研ぎ澄ませているエディターとしてのセンスも生かされることだろう。

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スケーター、演出家、編集者、そして作家として

さらに今回の『GIFT』で加わる挑戦は、彼自身が執筆した「物語」という部分だ。羽生自身が書いた物語は、絵本として出版されることも決定した。スケーターとして、演出家として、編集者として、そして作家として。どこまでもその挑戦の領域を広げていく。

「普通のアイスショーと違って、物語が主体としてあって、そのなかに僕のプログラム達がいろいろな意味をもってそこに存在しているという、絵本のような、物語を鑑賞しに来ているようなスケートになっていると思いますので、ぜひ期待していただければと思います」。

そして、物語への入り口になるメッセージは、『プロローグ』の八戸公演・最終日に披露されている。

『そこに幸せはありますか

誰かとつながっていますか

心は壊れていませんか

大丈夫、大丈夫

この物語とプログラム達は、あなたの味方です

これはあなたへ、あなたの味方の贈り物』

『GIFT』は、単なるアイスショーではなく、羽生から贈られる『物語』そのもの。2月26日。全世界が羽生からのギフトを受け取る、その瞬間がいよいよやってくる。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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