原口元気は限界なんかじゃない。「30代が全盛期。ピッチでできる自信があるから日本代表にしがみつく」
2018年ロシアワールドカップ(W杯)、ノックアウトステージラウンド16のベルギー戦。日本代表はロスタイム、残り30秒ほどの終了間際に失点し、2-3で逆転負けを喫した。その「ロストフの悲劇」で先制点を挙げていたのが、原口元気(ウニオン・ベルリン)だった。
あれから4年。リベンジを期す男は31歳になった。変わらず日本代表に名を連ねているが、若手台頭もあり、2022年カタールW杯アジア最終予選ではクローザーとして使われるなど出番が減り、W杯本戦に向け、厳しい立場に立たされている。
しかし、野心や闘争心は消えていない。ドイツで自信を増し、世界舞台への渇望は強まる一方だ。
「今から一番いい時が来る。経験によって視野が広がってきているし、サッカーを心から楽しめている」と外野の声も気にしていない。
半年後の本番でドイツ、スペインという強豪と同組になったことにも「こんなに楽しみなことはない」とどこまでも前向きなスタンスを貫く原口。その強気のメンタリティは一体、どこから来るのか…。改めて本音に迫った。
「日本に足りないのは修羅場の数」
──「ロストフの悲劇」から丸4年になります。まずは原口選手が決めた先制ゴールを改めて振り返ってもらえますか?
「あの得点は、ロシア大会までの4年間にイメージし続けたもの。『今の日本代表の実力で強い相手とW杯で戦った時、どういう状況が増えるか』というのは簡単に想像できたので、自分が50~60m走った中で何ができるかをずっと意識して、4年間トレーニングしてきたんです。まさにそのシーンが来た。あの場面でやってきたことが生かせて、精度の高いシュートも打てた。シュートが入る時ってやっぱり冷静なんですよ。長い間取り組んできたことが証明できた瞬間だったのかな、と思います。当時は嬉しくて映像を何回か見返したりしたけど、今はもうないですね(笑)」
──なるほど。直後に乾貴士選手(C大阪)の2点目も生まれ、日本にとっては理想的な展開でした。ただ、そこから「強度」や「デュエル(球際の攻防)勝利数」などが低下していき、75分以降は完全にベルギーに上回られた。その結果の3失点だったと日本サッカー協会も分析していますね。
「それは間違いないと思います。それと一番大きいのは経験なのかな。(日本も)欧州でプレーしている選手数が増え、選手層も厚くなっていたと思うけど、ビッグクラブで毎週、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)で生きるか死ぬかという戦いをしている選手はいない。でもベルギーのスタメンは全員そういう選手たちだった。フィジカルや技術の差ももちろんあったけど、それ以上に経験の差が残り20分、30分のところで出てくるのかなと。ブンデスリーガでトップクラブと戦ってても、そういうことは感じましたね」
──いわゆる「修羅場の回数」の差だと。
「まさしくそう。ベルギーが2-0でリードしている立場だったら、余裕を持って試合を運んでいたと思うんです。でも僕らはどんどんプレッシャーを感じて、受け身になり、前へ行くのも難しくなった。浮足立ってた部分もあったんでしょうね」
──原口選手は後半36分に本田圭佑選手交代し、ベンチで敗戦を迎えました。
「僕自身は出し切ったし、圭佑君の経験や勝負強さに頼るのも理解できた。西野(朗)さん(当時監督)の交代はすごくいい判断でした。ただ、あの高速カウンターをピッチで追いかけてみたかった。もしかしたら追いつけたかな、とも思います。一方で、あれがあったから今もモチベーションが続いているのかもしれない」
「献身的にやってる」と美談にされたくない
ロシアW杯後に発足した森保一監督率いる日本代表でも、原口は重要な役割を担うと思われた。が、ふたを開けてみると、新指揮官は南野拓実(リバプール)、堂安律(PSV)ら若い世代を重用。背番号8はスタメンから外されるケースが増えた。「これからポジションを奪い返す」と言い続けて4年。長い長い苦境に立たされ続けながら、原口は誰よりも負けじ魂を押し出し、チームを鼓舞し続けた。
──ロシアを最後に長谷部誠選手(フランクフルト)や本田選手が代表を去り、後を託された原口選手は、先人から受け継いだ「フォア・ザ・チーム精神」を体現し続けました。
「自分がやらなきゃいけないことを理解はしているし、冷静にできるようにはなってますけど、やっぱりピッチ上のパフォーマンスが全て。そこは譲れないですね。
最近、『原口が献身的にやってる』みたいな記事を読みましたけど、美談にされたくなくて。僕はやっぱりピッチ上での貢献にこだわりたいし、それができると思ってるから日本代表にしがみついてる。結局、『日本代表のために』っていうのはキレイごとであって、自分がW杯のピッチに立ちたいからチームをサポートしていたんです。ベンチで見ていて気持ちいいわけはないからね」
──複雑な思いを押し殺していたんですね。浦和レッズ時代の先輩・槙野智章選手(神戸)の影響も大きかったんですか?
「彼ほどチームのためにポジティブにやれる人は見たことはない。常にチームの結果にフォーカスして動いていた人なので、いろいろ学ばせてもらいました。でも僕はやっぱりピッチでやりたいです」
──よく分かります。ただ、代表のDNAはキャプテン・吉田麻也選手(サンプドリア)を含め、全員に引き継がれていますよね。
「僕も若い時の麻也を知ってるから、すごくキャプテンっぽくなったなと思います。長谷部さんや圭佑君たちといた時間をムダにしてないなと。実際、長谷部さんは言葉もうまかったし、結果が出るような雰囲気を作っていた。ロシアの時はホントにそうだった。あれ以上の雰囲気を感じたことはないので、今回はそれを超えるものを作っていかないと。相当、考えてやらなきゃいけないですね」
日本の「準備力」を生かせばカタールW杯でもやれる!
先輩が大事にしてきた「ここ一番の結束力と一体感」は日本人の最大の強みだと原口も言う。それを出しつつ、ドイツ・スペインといった強敵を倒す術を見出すことがこの先の半年間の課題。ドイツで7シーズンを戦い抜いた男の経験値も大いに生かされるはずだ。
──W杯の組み合わせをどう感じました?
「3月の代表から帰ってすぐ抽選があったけど、まさかのドイツ(笑)。『マジでドイツ来たぜ』みたいな感じで、すごく嬉しいです。
ドイツは前回1次リーグで敗退したけど、2回連続でこけるようなことはしないチーム。そういうメンタリティなんですよね。当時のメンバーも多く残ってますし、フリック監督もバイエルン時代から非常に優秀だった。だから初戦は勝ち点1でいいと思います。逆に、ゼロならノーチャンスになってしまう。3戦目がスペインで、彼らを焦らせるような状況にしないといけないから。2戦目終わって4であれば、そういう状況は生まれやすいと考えています。
うまく突破できればラウンド16でベルギーと再戦できるかもしれない。そうなれば面白いし、ぜひやりたい。1回くらい勝って『すっごいことやったな』と思いたいです」
──何をしたら突破できると思いますか?
「抽選の後、ウニオンのチームメートから『お前、11~12月はバケーションだな』と言われたくらい、日本が下に見られているのは間違いない。全世界がそうだろうけど、そこに油断が生まれる。それに日本人の短期決戦の準備力、全員が目標に向かって努力する力は他のどこにもない強み。その部分で日本代表より上のチームを僕はキャリアの中で見たことがない。一発勝負の短期決戦なら可能性は十分あると思ってます」
──そこで原口選手はどんな仕事を?
「森保さんの戦術がどうなるか分からないし、前回みたいにクリアには描けてないですけど、僕個人は今から一番いい時期が来ると思ってるんです。20代は『成功しなきゃいけない』と必死に頑張ってきたけど、それが強くなり過ぎてた。30代になって、いい意味で力が抜けて、人生も楽しめるようになった。フィジカル的にもキープできてますし、そのうえで経験値も上がってるわけだから、出せるものは確実に増えている。
現に長谷部さんやベンゼマ(レアル・マドリード)を見ても30代で全盛期を迎えてますよね。勝負はここからです」
30代のこれからが一番いい時期
──原口選手の言葉には力がこもってますね。
「いやいや(苦笑)。全然偉そうなことも言えないし、今は何か言っても説得力がないけど、この組に入ったことはすごいチャンス。人生の大きなチャンスなんです。ここで大きなサプライズを起こしてベスト8に行った時、やっと何か言えるのかなという気がしてます。
ウニオンのキャプテンにも『俺ら(ウニオン)みたいに戦ったらいいんだよ』とボソッと言われましたけど、予算規模が3倍4倍あるクラブをどんどん倒して5位でフィニッシュした今シーズンは、物凄く勉強になった。いいクラブに来たなと思ってますし、それも日本代表に還元できる部分。W杯を戦う上でも、この自信は生きると思います」
4年前にベスト8の切符をほぼ手にしながら、結局その壁を超えられなかった日本代表。生き証人の一人である原口は自分なりに模索を続け、紆余曲折を経て、ここまで辿り着き、再び未知なる領域に挑もうとしている。
過去のW杯を見ても、2002年日韓大会の稲本潤一(南葛SC)、2010年南アフリカ大会、2018年ロシア大会の本田圭佑というようにチームをノックアウトステージへと導くキーマンが存在していた。ここ一番で強さと走力、推進力を発揮できる原口はその系譜を継げるポテンシャルがあるはずだ。
「新しい歴史を作りたい」。その言葉どおり、背番号8には31年間の全てを注ぎ込んでほしいものである。
■原口元気(はらぐち・げんき)
1991年5月9日生まれ。埼玉県出身。17歳だった2009年1月に浦和レッズとプロ契約を締結し、2009年3月の鹿島アントラーズ戦でJリーグデビュー。20歳だった2011年10月のベトナム戦で国際Aマッチ初出場を果たす。2014年夏にはドイツ1部のヘルタ・ベルリンへ移籍。同年6月には日本代表にも復帰し、コンスタントに出場機会を得るようになった。代表では2018年ロシアW杯アジア最終予選で4試合連続ゴールという史上初の記録を達成。ロシアW杯本番では右MFとしてフル稼働し、ベスト16進出の立役者となった。その後、ドイツではデュッセルドルフへのレンタルを経て、ハノーファー、ウニオン・ベルリンでプレー。21-22シーズンはインサイドハーフとして新境地を開拓。目下、自身2度目となる今年11月の2022年カタール大会出場に向かっている。国際Aマッチ70試合出場11得点。
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