傑作なのに苦戦する『海に眠るダイヤモンド』 現代パートの社会の狭さが影響か
今期1番か2番の話題作『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)がいよいよ12月22日に最終話を迎える。ネットニュースなどでは、厳しい視聴率やTVer番組登録者数の伸び悩みが伝えられているが、作品自体は間違いなくおもしろいし、SNSでの高評価の声も多い。ではなぜ、苦戦を強いられているのか。
「1950年代の端島」と「現代の東京」の物語のバランス
放送開始当初こそ、物語のスケールの大きさと映像美が視聴者を驚かせ、惹きつけたが、回を重ねるに連れて徐々にトーンダウンしていった。大化けした『全領域異常解決室』(フジテレビ系)が、中盤から一気に話題を膨らませたのとは対照的だ。
その大きな要因のひとつは、本作が掲げる70年を越えてふたつの時代をつなぐとする、「1950年代の端島」と「現代の東京」の物語のバランスにある気がする。
戦後の活気づく端島の人々の生活を映し出す映像は壮大で美しく、貧しく厳しい環境のなか、未来の発展のために力強く生きる当時の人々の姿には、心に熱く響くものがある。毎話、閉ざされた炭鉱の島・端島で起こる、ときに大自然、ときに会社や政治と対峙する、さまざまな出来事はダイナミックであり、人々の人生はロマンチックだ。
(関連記事:『海に眠るダイヤモンド』見えてきたフォーマット 端島に映す現代日本の社会課題と未来の地球環境)
一方、「現代の東京」パートで描かれる世界は狭い。
「いづみ(宮本信子)の正体が端島の誰なのか」「玲央(神木隆之介)の出自といづみとの関係は」というふたつの謎があり、いづみが起業した会社の経営権を巡る家族のかけひきのなかで、少しずつ明らかになっていく。
当初、玲央が働くホストクラブを舞台に、ホストに入れ込む少女の売掛金の問題や、将来への夢や希望を持てない若者たちの姿も描かれ、後半でも鉄平(神木・二役)の日記を呼んだ玲央が端島に生きた炭鉱員たちに感化されるシーンもあったが、いつの間にかいづみの家族のなかの話に収束していた。
尺としても圧倒的に「戦後の端島」の方が長いのだが、それ以上に話の内容の濃さ、人間ドラマの深さに雲泥の差があるから、「現代の東京」が頭に入ってこない。
繁栄を経て廃墟と化した端島に日本を投影しないのか
そもそも、視聴者が「戦後の端島」と「現代の東京」をリンクさせる物語に期待したのは、一時期は東京を越える人口密度を有し、まるでひとつの国のように繁栄しながら、わずか数十年で無人島となり廃墟と化した端島に、「現代の東京」を通して日本という島国を投影する物語だったのではないだろうか。
第1話はそんな期待に見事に応えた。その先への期待をより高めてくれるすばらしい映像であり、ストーリーだった。だから、その後の話数を重ねるごとのシュリンクは、期待が大きく高まったばかりの反作用のように感じる。ストーリーも物語の構成もすばらしい完成度であり、おもしろいドラマであることは間違いないのだから。
だからこそ、2時間で描かれる最終話には期待が高まっているだろう。今年の大ヒット映画『ラストマイル』の制作陣が手がける、歴史ある日曜劇場ブランドの大規模予算の連続ドラマが、このまま終わるわけがない。きっと、第1話から見直したくなる何かを残してくれるだろう。
昨日の『ライオンの隠れ家』(TBS系)の最終話は、坂東龍汰と柳楽優弥にスタンディングオベーションを贈りたいラストだった。それを超える驚きと感動が待っていることを期待している。
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