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【日本酒の歴史】朝廷にはお酒を造る役職があった!古代の人々はどのようなお酒を飲んでいたのか

華盛頓Webライター
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遥か飛鳥の昔、宮廷では清らかな酒が神々のため、そして朝廷の宴を彩るために醸されていました

その役所の名は「造酒司(さけのつかさ)」といい、持統天皇3年にその一歩が刻まれたのです。

時は進み、大宝律令によって造酒司はしっかりとした組織へと姿を整え、そこで働く職人「酒部(さかべ)」は、杜氏のごとく巧みな技を操り、神秘の液体を造り出しました

酒殿には酒を満たす甕が並び、臼殿で精米が行われ、麹室で神妙なる麹が生まれます。

薄口の酒は発酵十日、米と麹と水の舞踏が酒甕の中で繰り広げられたのです。

『延喜式』によれば、時代と共に濃厚な味わいが好まれ、小麦や甘口の酒、そして水で割った庶民の酒も造られました

その種類は十を超え、現代の焼酎や清酒に通ずる面影が垣間見えます。

やがて時代が平安に移り、造酒司の酒は多様な味わいを持ちながらも、限られた者たちの口へと運ばれていきました

しかし、朝廷の酒造が陰りを見せる頃、奈良の寺院が造る「南都諸白」の清酒がその名を響かせ、僧坊酒の名が世に広がります

精白米を用い澄み渡る酒、まさに清酒のはじまりです。

だがそれも限られた一握りの者にしか届かなかったという、古の酒造りの物語でしょう。

参考文献

坂口謹一郎(監修)(2000)『日本の酒の歴史』(復刻第1刷)研成社

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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