【日本酒の歴史】朝廷にはお酒を造る役職があった!古代の人々はどのようなお酒を飲んでいたのか
遥か飛鳥の昔、宮廷では清らかな酒が神々のため、そして朝廷の宴を彩るために醸されていました。
その役所の名は「造酒司(さけのつかさ)」といい、持統天皇3年にその一歩が刻まれたのです。
時は進み、大宝律令によって造酒司はしっかりとした組織へと姿を整え、そこで働く職人「酒部(さかべ)」は、杜氏のごとく巧みな技を操り、神秘の液体を造り出しました。
酒殿には酒を満たす甕が並び、臼殿で精米が行われ、麹室で神妙なる麹が生まれます。
薄口の酒は発酵十日、米と麹と水の舞踏が酒甕の中で繰り広げられたのです。
『延喜式』によれば、時代と共に濃厚な味わいが好まれ、小麦や甘口の酒、そして水で割った庶民の酒も造られました。
その種類は十を超え、現代の焼酎や清酒に通ずる面影が垣間見えます。
やがて時代が平安に移り、造酒司の酒は多様な味わいを持ちながらも、限られた者たちの口へと運ばれていきました。
しかし、朝廷の酒造が陰りを見せる頃、奈良の寺院が造る「南都諸白」の清酒がその名を響かせ、僧坊酒の名が世に広がります。
精白米を用い澄み渡る酒、まさに清酒のはじまりです。
だがそれも限られた一握りの者にしか届かなかったという、古の酒造りの物語でしょう。
参考文献
坂口謹一郎(監修)(2000)『日本の酒の歴史』(復刻第1刷)研成社