「生い立ち」を授業に使うことは無神経では…小学校「生活科」学習指導要領
先日、近隣の小学校で、産まれた時の状況や体重、赤ちゃんだった頃の様子を親から聞き、小さい頃の写真などを持ってきて(提出して)、自らの生い立ちを振り返る授業があったそうです。イメージとしては次のようなプリント(宿題)を児童に持ち帰らせ、親の協力を求めています。
この「生い立ち授業」自体は珍しいものではなく、文科省の学習指導要領に基づく生活科の授業の一環であり、標準的には小学校2年生の授業です。生活科の授業の目標としては
となっており、その内容の一つとして「生い立ち授業」があり、
と規定されています。この具体的な実施方法として、先に挙げた生まれた時の状況等、さらに名前の由来や生まれた時の親の気持ちを聞いてくることも子供に課せられています。しかしながら、この「生い立ち授業」、実施方法によっては疑問が生じます。上記の学習要領にもありますように、多くの人の支えによって大きくなったことを、特に「親」を強調することによって、各家庭環境の異なりが問題になってきます。つまり、必ずしも親がいるとは限らず、親がいたとしても再婚の家庭もあれば、児童自身が里子である場合もあり得ます。また、「生まれた時の様子」にしても、未熟児をはじめ、それこそ様々な生い立ちがあるでしょう。その違いを超えて、小学二年生が理解するのは容易ではなく、先のイメージとして挙げたプリントだけで親と子供が話し合うのも困難が予想され、何よりも親が先生に対して不安を持つことになり得ます。子供のプライバシーにも関わることを、先生が授業で題材とすることによって子供が傷つくことも考えられるからです。
この問題は3年程前の春に大きな議論になりました。
その際にも、指導要領に基づいて「生い立ち授業」を行う場合、様々な家庭環境に注意すべきであると議論になりました。「生い立ち授業は」は、家庭だけにとどまらず児童が周囲の人たちとの関わりにおいて成長してきたことを確認することが目的であって、赤ちゃんのときの写真や親との関わりだけが本質ではないことを十分認識して、児童や家庭を傷つけることなく、本来の目標を達成するように心がけなくてはなりません。
今回、心ならずも児童やその家庭に対して配慮が足らないことになりましたが、特にプライバシーに関わる微妙な問題の際には、過去に議論となっていないか十分注意すべきです。その際には、ネットという、いわば大規模判例集において検索し、その情報を基にして判断することも一つの手段でしょう。