勝ち時計14分29秒9。そんな激闘のオークスのエピソード
雨の中、幕を開けたオークス
2010年5月23日。
「よし、戻ってきたな」
前走比プラス6キロとなる460キロを計量したサンテミリオンの馬体をみて、調教師の古賀慎明はそう思った。
その身体をみて「良い馬だなぁ」と古賀に声をかけてきた男がいた。
国枝栄だ。
国枝は同じレースに桜花賞馬アパパネを送り込む。枠順はアパパネが17番でサンテミリオンが18番。装鞍所も隣だったため「自然と目がいった」と語る。
一方、古賀は隣の桜花賞馬を見なかったと言う。
「アパパネには凄く良い馬体の持ち主という印象がありました。レース前に見るとこちらが意気消沈してしまうと思い、あえて見ないようにしていました」
先述したように枠順は17、18番。降り続く雨の下、2人の指揮官は次のように思っていた。
まずは国枝から。
「早い時計の馬場だと出して行かないとならない。そうするとアパパネは掛かってしまうかも知れないからこういう馬場はよい。外枠で外を回ること自体も問題ないけど、鞍上がそれを意識し過ぎなければよいが……」
続いて古賀。
「ジョッキー達が『内はだいぶ悪くなってきた』と言っていたので大外はかえって開き直れました」
2人は共にスタンドの調教師席で観戦した。テレビでスタートを確認した古賀が、直に見るためにテラス席へ移動すると双眼鏡を覗く国枝の姿があった。
「あえて国枝先生の近くには行かずに見る事にしました」と古賀。
互いに譲らぬゴール前の激闘
スタート直後は少し行きたがるようにしてアパパネが前へ行った。しかし最初のコーナーに差し掛かる時にはサンテミリオンがかわしてアパパネより前へ出た。
「サンテミリオンのノリ(横山典弘騎手)がどう乗るかは気になっていました。正義(アパパネ騎乗の蛯名正義騎手)がノリの後ろで落ち着いた時は『よいぞ』って思いました」と国枝。一方、古賀は「大外の分、外を回らせられちゃったなって思ったけど、後から考えるとノリちゃんが少しでも綺麗なコースを選んでいたんだと思えました」
向こう正面。共に中団でサンテミリオンがアパパネの前にいた。
「1000メートルの通過時に60秒ちょいという時計が出た時、うちの位置の方がサンテミリオンより良いなって思いました」と国枝。
「アパパネの勝負服は目立つので否が応でもピタリと後ろにいるのが目に入りました。嫌な位置をとられたなって思って見ていました」と古賀。
3〜4コーナーで2頭は共に外から番手を上げていった。そして見守る2人は共に「好手応えだし、勝てそうだ」と感じていた。
直線で先頭に立ったアグネスワルツにまずはサンテミリオンが襲いかかる。すると、その外からアパパネが絶好の手応えで迫ってきた。
「アパパネの方が良い手応えだったのでマズいなって思いました」と古賀。
国枝も同じ見解だった。
「うちの方が良い感じで上がってきたので『勝てる』と思いました」
そこからは3番手以下の馬を突き放して蛯名正義と横山典弘、2人の名手の叩き合いとなった。
「勝ったと思ったらサンテミリオンが思いのほか粘っているし、こちらはノメり出したのでゴールの瞬間はヤバいと感じました」と国枝。
対する古賀は「負けたと思ったら差し返して来たので祈る気持ちで見ていました。ゴールでは正直勝ったのでは?!と思いました」
2人は共に他の調教師から「勝っている」と言われ、握手を求められたが、半信半疑だったのですぐにVTRで確かめた。
「これは微妙だな……」
国枝はそう感じた。その時、古賀は……。
「サーッと血の気が引くのがわかりました」
2人かスタンドから脱鞍所に下りると2着の枠場に入ろうとした蛯名に「勝っていますよ」と言って1着の枠場へ移動させる国枝厩舎のスタッフの姿があった。
「勝っているか確信はなかったけど、負けている気はしなかったから古賀君には悪いけど1着の所に入れました」
2着の枠場に入れざるをえなくなった古賀は次のように言う。
「負けていないと思ったけど先に入られちゃったし、2着の所に入れながら『やっぱりG1を勝つのは難しいのかなぁ』って思っていました」
JRAのG1史上初となる思わぬ結末
そこからが2人にとって長い時間だった。10分が過ぎても判定結果が出ない。
「G1の1着同着というのは過去になかったから、後は運だと思って結果を待ちました」
国枝は当時の心境をそう言う。かたや古賀は次のように語った。
「祈る以外にありませんでした」
ゴール後12分、スタートを切ってから14分半近くが過ぎた時、検量室の電話がなった。結果を報せる電話だった。確定着順を書き込むホワイトボードの前にいた国枝は述懐する。
「ホワイトボードの2着欄に×印が書き込まれるのを見て、同着だったんだ!!って思いました」
古賀はそこから離れた場所にいた。
「ワッという声が上がった後『同着!!』という声が聞こえて同着だと知りました」
写真判定に要した時間は12分とも13分とも言われているが……。
「実際にはもっと長く感じたよね」と国枝。
「1時間くらいに感じた」と古賀。
かくして第71回オークスはJRAのG1史上初1着同着という結果で幕を閉じた。当時、2人の調教師は次のように語っていた。
「皆、一所懸命にやって共に報われたんだから良かったんじゃないかな」
こう言ったのは国枝だ。
「そうですね。印象に残る形の結末で本当に良かったと思います」
こちらは古賀だ。
1着同着は勝敗がつかなかったという結果ではない。互いに一歩も譲らぬ2つの魂が共に勝利を収めたという結果である。たまにはそういう結末があっても良い。それもまた競馬の面白さなのだから……。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)