元ライトヘビー級世界王者、アントニオ・ターバーの新たな挑戦
元ライトヘビー級世界王者のアントニオ・ターバーがこのほど、フロリダ州タンパにボクシングジムをオープンした。
アトランタ五輪(1996年)で銅メダルを獲得した彼が、プロ転向後に公の場で自身を強烈にアピールしたのは、2003年3月1日。
ロイ・ジョーンズ・ジュニアがジョン・ルイーズを下してWBAヘビー級タイトルを獲得した直後の記者会見場だった。
1988年のソウル五輪で銀メダリストとなり、ミドル、スーパーミドル、ライトヘビーと次々に世界タイトルを手にし、「強過ぎて相手が見付からない」悩みを抱えていたジョーンズは、己への挑戦として最重量級に増量し、ヘビー級王者に上り詰めた。
試合会場となったラスベガスのトーマス&マックセンターは、その前人未到の快挙に熱を帯びていた。当時のパウンド・フォー・パウンドは、紛れもなくロイ・ジョーンズ・ジュニアだった。
記者たちの質問が一段落した後、アントニオ・ターバーはマイクを手に立ち上がり、言った。ジョーンズとターバーは同じ歳である。
「おめでとうロイ。俺を知っているか?」
「ああ知ってるよ」とジョーンズが応じると、ターバーは早口で続けた。
「ライトヘビー級タイトルをお前が返上した際、俺は指名挑戦者だった。お前の相手に最も相応しいのはこの俺だ。次は俺と戦え!」
記者会見場の空気が、一瞬にして緊張感に包まれる。勝利の美酒に酔いしれていたジョーンズに水を差す発言だった。
「まぁ、考えておくよ」
ジョーンズはそう応じてWBAヘビー級のベルトを手に去っていったが、プライドを汚された感があった。
翌月、ターバーはジョーンズの返上により空位となったWBCライトヘビー級タイトルを獲り、同ベルトを懸けて2003年11月にジョーンズと戦う。この時は判定負けを喫するが、2004年5月15日のリターンマッチでジョーンズを2回KOで下して「パウンド・フォー・パウンド神話」に終止符を打った。
無敵だったジョーンズは、ターバー戦の黒星を機に衰えを見せていく。両者が三度拳を合わせた折にも判定負け。
鉄壁のディフェンスが崩れたジョーンズは、ターバー戦以降8敗するが、そのうちの5つがKO負けだった。
ジョーンズを下して名を上げたターバーは、映画『ロッキー』シリーズ第6作にも出演。当初、シルベスター・スタローンがロイ・ジョーンズ・ジュニアに与えようとしていたメイソン・ディクソン役を、直談判して自分のものとした。
ジョーンズとマイク・タイソンとのエキシビションが注目を集めるなか、自分の仕事を声高に宣伝するのも、ターバーのライバル心か。
「次世代のスター選手を育てる。そのための場所をタンパに造りたいという夢があった。アマ、プロ、男女問わず、色んなレベルの選手に対応していく。指導陣も充実させるよ。ボクシングをスタートするアマチュア向けのプログラムも作ったんだ」
ジムの住所はタンパの2315 E. 3rd Ave. ターバーの新たな働きぶりを覗いてみたい。