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元ライトヘビー級世界王者、アントニオ・ターバーの新たな挑戦

林壮一ノンフィクションライター
2005年10月1日、ロイ・ジョーンズ・ジュニアを下したターバー(写真:ロイター/アフロ)

 元ライトヘビー級世界王者のアントニオ・ターバーがこのほど、フロリダ州タンパにボクシングジムをオープンした。

 アトランタ五輪(1996年)で銅メダルを獲得した彼が、プロ転向後に公の場で自身を強烈にアピールしたのは、2003年3月1日。

 ロイ・ジョーンズ・ジュニアがジョン・ルイーズを下してWBAヘビー級タイトルを獲得した直後の記者会見場だった。

 1988年のソウル五輪で銀メダリストとなり、ミドル、スーパーミドル、ライトヘビーと次々に世界タイトルを手にし、「強過ぎて相手が見付からない」悩みを抱えていたジョーンズは、己への挑戦として最重量級に増量し、ヘビー級王者に上り詰めた。

撮影:著者
撮影:著者

 試合会場となったラスベガスのトーマス&マックセンターは、その前人未到の快挙に熱を帯びていた。当時のパウンド・フォー・パウンドは、紛れもなくロイ・ジョーンズ・ジュニアだった。

 記者たちの質問が一段落した後、アントニオ・ターバーはマイクを手に立ち上がり、言った。ジョーンズとターバーは同じ歳である。

 「おめでとうロイ。俺を知っているか?」

 「ああ知ってるよ」とジョーンズが応じると、ターバーは早口で続けた。

 「ライトヘビー級タイトルをお前が返上した際、俺は指名挑戦者だった。お前の相手に最も相応しいのはこの俺だ。次は俺と戦え!」

 記者会見場の空気が、一瞬にして緊張感に包まれる。勝利の美酒に酔いしれていたジョーンズに水を差す発言だった。

 「まぁ、考えておくよ」

 ジョーンズはそう応じてWBAヘビー級のベルトを手に去っていったが、プライドを汚された感があった。

 翌月、ターバーはジョーンズの返上により空位となったWBCライトヘビー級タイトルを獲り、同ベルトを懸けて2003年11月にジョーンズと戦う。この時は判定負けを喫するが、2004年5月15日のリターンマッチでジョーンズを2回KOで下して「パウンド・フォー・パウンド神話」に終止符を打った。

 無敵だったジョーンズは、ターバー戦の黒星を機に衰えを見せていく。両者が三度拳を合わせた折にも判定負け。

 鉄壁のディフェンスが崩れたジョーンズは、ターバー戦以降8敗するが、そのうちの5つがKO負けだった。

 

 ジョーンズを下して名を上げたターバーは、映画『ロッキー』シリーズ第6作にも出演。当初、シルベスター・スタローンがロイ・ジョーンズ・ジュニアに与えようとしていたメイソン・ディクソン役を、直談判して自分のものとした。

TRILLER社が作成したTYSON-JONES戦のポスター
TRILLER社が作成したTYSON-JONES戦のポスター

 ジョーンズとマイク・タイソンとのエキシビションが注目を集めるなか、自分の仕事を声高に宣伝するのも、ターバーのライバル心か。

 「次世代のスター選手を育てる。そのための場所をタンパに造りたいという夢があった。アマ、プロ、男女問わず、色んなレベルの選手に対応していく。指導陣も充実させるよ。ボクシングをスタートするアマチュア向けのプログラムも作ったんだ」

 ジムの住所はタンパの2315 E. 3rd Ave. ターバーの新たな働きぶりを覗いてみたい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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