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<朝ドラ「エール」と史実>古関裕而を導いた「藤堂先生のモデル」はどんな人? 背景には恵まれた環境も…

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

今週より再放送がはじまった朝ドラ「エール」。現在、古山裕一少年が音楽に目覚める過程が描かれています。

今回は、そこで重要な役割を果たす、小学校の先生に注目してみましょう。

実在の先生も「音楽教育に熱心」

前回も触れましたが、藤堂先生のモデルは、実在の遠藤喜美治という教師です。3年生から6年生まで、古関裕而の担任を務めました。

ドラマと同じく音楽教育に熱心で、はじまったばかりの童謡運動を取り入れ、こどもたちに作曲もさせました。これが古関にドンピシャ。のちの人生に大きな影響を与えました。

まさに恩師ですね。古関も自伝でこう振り返っています。

[遠藤先生は]自ら作曲をなさるばかりか、私たちにも童謡を作らせるほどに、音楽教育に熱心な方であった。先生の作られる曲は大変美しく、童謡の作曲も楽しかった。私にとって唱歌は最も楽しみな授業になった。

出典:『鐘よ鳴り響け』

福島市唯一のピアノを弾く

こういう先進的で文化的な先生に出会えたのは、古関が、福島県師範学校附属小学校という県下随一の名門校に進んだことも大きかったでしょう。

その師範学校と附属小では、紀元節(現在の建国記念の日)に、合同音楽会を開いていました。遠藤先生は、そこである「大英断」をします。

なんと、5年生の古関に、合唱のピアノ伴奏を任せたのです。

5年生の時、私は級友たちの歌う「漁業船」のピアノ伴奏をさせられた。自己流の卓上ピアノ仕込みの腕だったから、どんなふうだったか、ともかく遠藤先生の大英断によったのであろう。

出典:「羽織袴でピアノ伴奏を」『教育音楽』19巻7号。一部表記を改めた。

失敗が許されない晴れ舞台ですが、古関はうまく成し遂げたようです。その証拠に、6年生のときも、同じくピアノ伴奏を任されました。

ちなみに、そのピアノは、福島市で唯一のものだったとか(当時は、オルガンですら珍しいものでした)。

ドラマでは、「福島三羽烏」が同級生という設定なので、普通の小学校ということになっていますが、実際はかなり恵まれた環境にいたことがよくわかります。さすが老舗呉服屋のお坊ちゃんですね。

なお、「福島三羽烏」の真相については、下記もご参照ください。

関連記事:おでん屋の経営は実話! 作り込まれた「福島三羽烏」エピソードの注目点

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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