<朝ドラ「エール」と史実>おでん屋の経営は実話! 作り込まれた「福島三羽烏」エピソードの注目点
先週より、本筋から離れたスピンオフが続いている朝ドラ「エール」。今週は、歌手・伊藤久男をモデルとした佐藤久志に焦点があたるようです。
そこで今回は、彼を含む「福島三羽烏(がらす)」の真相に迫ってみましょう。
この3人については、「え、こんなところまで?」と思うほど、ときに史実がうまく取り入れられています。
たとえば、「乃木大将」こと、村野鉄男(野村俊夫がモデル)がおでん屋を経営する話。これがなんと実話なのです。
これはとてもマニアックですね。NHKもよく細かいところまで再現するものだと感心しました。
福島三羽烏は同級生にあらず
そのいっぽうで、創作も少なくありません。
「みんな同級生」はその典型でしょう。古関・野村・伊藤の3人が福島県出身で、仲が良かったのは事実ですけれども、小学校の同級生ではありませんでした。
たしかに、古関と野村は幼なじみです。ただ、野村のほうが5歳年長。小学校も別々のところに通いました。
また伊藤は、福島市ではなく本宮町(現・本宮市)の出身だったので、そもそも幼少期のつながり自体がありません。
古関らとはじめて会ったのは、東京時代。古関の妻・金子と同じ帝国音楽学校に通っていたことが、接点になりました。
なお、伊藤の親戚に早稲田の応援部員がおり、それが「紺碧の空」作曲のきっかけになったのは、ドラマのとおりです(古関が「紺“壁”の空」と書き間違えたのもなんと実話です!)。
なかなか複雑ですね。
3人共同の初ヒット曲は軍歌だった
そんな福島三羽烏は、いずれも東京のレコード業界で頭角をあらわします。
それぞれ作曲家、作詞家、歌手ですから、「3人でヒット曲を送り出そう」との願いが出てくるのも当然です。
ただ、それが実現したのは、日中戦争下のことでした。1940年リリースの「暁に祈る」がそれです。
歌詞の1、2番を引用しておきましょう。
野村が作詞し、古関が作曲し、伊藤が歌った「暁に祈る」のレコードは、太平洋戦争下にも売れ続ける、ロングセラーとなりました。
野村はこの軍歌について、こんな話を残しています。担当の軍人がなんども「書き直せ」と要求するので、思わず出た「ああ」という溜息を冒頭に持ってきたのだ――、と。
面白いエピソードですから、朝ドラでも再現されるのではないでしょうか。というより、おでん屋さえ取り入れたのですから、これを避ける理由はありません。
今後も「これは史実? それとも創作?」との関心は尽きることがなさそうです。