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BBC「アトミック・ピープル」を見て、長崎の平和の鐘を鳴らす 忘れないこと

小林恭子ジャーナリスト
長崎の平和祈念像(筆者撮影)

 10月11日、ノーベル平和委員会の選考委員会(ノルウェー・オスロ)は、「核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと証言を行ってきた」として、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)にノーベル平和賞を贈ると発表した。

 日本被団協は、1945年8月、広島や長崎で被爆した人々の全国組織で、1956年に結成された。現在まで、被爆者の立場から核兵器廃絶を世界に訴える活動を続けてきた。

 英国に住む筆者は、日本では、戦争というと第2次世界大戦(1939ー45年)を想起し、「もう80年近く前の遠い昔の出来事」と認識する風潮が強いと聞いている。

 しかし、テレビをつければ、日本でもウクライナ戦争や中東での紛争の前線が報道されている。戦争は、決して昔の出来事ではなく、今現在、世界各地で発生している。ロシアなど核兵器の脅威をちらつかせながら戦争をしている国もある。

 今回のノーベル平和賞の受賞が平和について考える機会になることを願っている。

BBCの「アトミック・ピープル」

 去る7月、英BBCがドキュメンタリー番組「アトミック・ピープル」を放送した。直訳は「原子の人々」になるのだろうが、「被爆者」という意味を込めたようだ。

 この番組は、旧ジャニーズ事務所でのジャニー喜多川氏による性加害を暴露して、日本で大きな反響を巻き起こしたBBCの番組「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」(2023年3月放送)の監督・プロデューサー、インマン恵さんが共同監督した作品だ。

BBCの「アトミック・ピープル」の紹介画面(キャプチャー)。写っているのは井黒キヨミさん
BBCの「アトミック・ピープル」の紹介画面(キャプチャー)。写っているのは井黒キヨミさん

 広島と長崎の被爆者の証言を集めた「アトミック・ピープル」は、英国の新聞各紙で高く評価された。

 筆者は原爆投下、その被害、被爆者の生活などについて日本人の一般的な知識として知っているつもりだった。しかし、テレビの前で画面を通してその証言を聞いてみると、まるで我がことのように、当時の様子や被爆者の方のその後の人生がリアルに迫ってきた。

 現時点では、日本での放送は決まっていないようだが、劇場公開の形も含め、是非公開してほしいものだ。

 番組の内容やインマンさんへのロンドンでのインタビューを続報として紹介する予定だが、今回は筆者が訪れた長崎の様子を伝えてみたい。

長崎へ

 東京に住む家族のケアのため、筆者は今月上旬、日本に一時帰国した。ケアの合間に、筆者は長崎に向かった。

 なぜ長崎だったかというと、「アトミック・ピープル」の証言者の中に長崎で被爆した方々がいたからだ。番組によると、被爆者の方やその2世、3世の家族の方、そして長崎を訪れた人たちが、毎月9日、平和公園に置かれた「長崎の鐘」を一緒に鳴らすという。

 広島への原爆投下は1945年8月6日で、長崎は8月9日である。

 8月9日午前11時2分。長崎の人はこの特別の時間を忘れていない。

 「長崎の鐘」は長崎県被爆者手帳友の会(1967年設立)が、1977年8月5日、長崎を最後の被爆地とするために設置した。

 友の会によると、「戦争を2度と起こさない」という誓いとして、毎月9日、必ず鐘を鳴らすのだという。

 「アトミック・ピープル」では井黒キヨミさん(現在は故人)や今年7月に100歳を迎えた中村キクヨさんらが、訪れた人と共に鐘を鳴らしていた。

 戦後生まれの筆者は、機会があればこの鐘を鳴らしてみたいと思うようになった。

平和公園にて

 今年10月9日は、よく晴れた日となった。

 午前中から、平和公園にはたくさんの小中学生の団体が訪れていた。

 1945年8月、長崎市松山町の上空約500メートルで炸裂した原爆により、市街地の大半が焦土化した。

 筆者は爆心地を確認し、平和の像の前で両手を合わせて拝む男性の姿を写真に撮った。

 長崎の鐘が置かれている場所まで戻ると、午前11時少し前、長崎の被爆者4団体の1つ、長崎県被爆者手帳友の会のメンバーらしき人たちが集まっていた。鐘に繋がった太く白い綱をみんなで手に持って準備する。

 友の会顧問で、「アトミック・ピープル」に出ていた中村キクヨさんの姿があった。筆者も友の会のメンバーや他の公園訪問者とともに綱を持つ。

 午前11時となり、私たちはゆっくりと、力強く、綱を引きながら、鐘を鳴らした。原爆投下、犠牲になった人、その後の生活が続いた人、そして、筆者自身の英国の家族が英空軍の爆撃隊のパイロットとしてドイツ各地に爆弾を落としたことなどが頭をかけめぐった。中村さんの背中を見ながら、綱を引いて鐘を鳴らした。この鐘の音が世界中に届くことを願って。

 1分間、鐘を鳴らした後、私たちは綱を引くことを止めた。

 互いに言葉を交わす中で、筆者は中村さんのところに行って、写真を撮らせてもらい、手を握った。小さいけれども、あたたかな手だった。90才近くの筆者の母の姿もダブった。「生きていてくれて、ありがとう」。そんな気持ちでいっぱいだった。

 長崎市によると、原爆投下による死者は73,884人 、重軽傷は 74,909人である。

 

中村キクヨさん(平和公園内「長崎の鐘」の前で)(筆者撮影)
中村キクヨさん(平和公園内「長崎の鐘」の前で)(筆者撮影)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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