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【富田林市】南海高野線でただひとつ、富田林市内にある滝谷駅。市内の近鉄駅と比べて意外な事実があります

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林市内にある鉄道の駅といえば、そのほとんどが近鉄長野線。喜志駅から滝谷不動駅までの5駅が富田林市内にあります。しかし、近鉄の西、南海高野線にも富田林市内の駅として、滝谷駅があります。

これは南海高野線で富田林市唯一の駅。よく間違えるところですが、金剛駅は大阪狭山市にあります。

ところでこの滝谷駅、富田林のほかの駅とくらべて、あることで自慢できる点があります。もちろん、路線が違うとかそういうレベルの話ではありません。

次の一覧をご覧ください。富田林の駅が誕生した順番を書いています。滝谷駅が、市の中心、富田林駅を差し置いて、もっとも古い鉄道駅だという事実が判明しました。滝谷駅が富田林・喜志駅ができるたった10日ほど前に開業しているというのも非常に興味深いですね。

  • 1位.滝谷駅 1898年(明治31年)3月29日(4月2日説もあり)
  • 2位.富田林駅 1898年(明治31年)4月14日
  • 2位.喜志駅 1898年(明治31年)4月14日
  • 4位.滝谷不動駅1902年(明治35年)3月25日
  • 5位.富田林西口駅(当時は学校前駅) 1904年(明治37年)10月12日
  • 6位.川西駅 1911年(明治44年)8月15日 

と言っても、もっとも新しい駅とされる川西駅ですら明治時代に設置されていますから、富田林市内の鉄道駅はどれも100年以上の歴史があるんですね。

滝谷駅が完成したのは、南海高野線がまだ高野鉄道だった時代のこと。高野鉄道は、堺の大小路(現:堺東)駅から高野山に向けて線路を引きました。

当初の目標は、西高野街道沿いに長野(現:河内長野)駅までの開通を目指しており、1898年(明治31年)1月に先行して狭山駅まで開業、その3ヶ月後には長野駅まで完成しています。その長野駅まで開通したタイミングで、間に滝谷駅ができました。

ちなみに今の南海高野線と同じ線路ですが、当時の記録では滝谷駅ができたころは次の駅しかなかったようです。

大小路(現:堺東)駅、西村(現:初芝)駅、狭山駅、滝谷駅、長野(現:河内長野)駅

自動改札機が設置されているあたりは新しいですが、駅舎をみると前後の駅と比べて年季のようなものが感じられます。

跨線橋(こせんきょう:線路をまたいでホームに降りるための高架の橋)にも歴史を感じます。滝谷駅が開業した当初は、まだ滝谷不動駅がなかったことから、瀧谷不動尊明王寺への参拝客の最寄り駅として機能していました。

瀧谷不動明王寺
瀧谷不動明王寺

滝谷駅から瀧谷不動尊までの距離にしておよそ3.5キロメートル。片道50分近くかけて歩いていたんですね。

こちらは待合室です。こちらもレトロな雰囲気で貴重な感じがします。

滝谷駅は現在の近鉄線(当時の河南鉄道)の滝谷不動駅が1902年(明治35年)に完成すると、瀧谷不動尊の参拝客の最寄り駅という役目を終えます。

富田林で唯一南海沿線にありながら、近鉄沿線のどの駅よりも古い歴史を持つ滝谷駅。また南海線の前後の駅と比べても、唯一レトロな雰囲気が残っている駅です。

通勤や通学などの日常では、ついつい何も考えずに利用する駅ですが、一度立ち止まってじっくりと駅の雰囲気を味わってみてもよさそうです。

南海滝谷駅
住所:大阪府富田林市須賀2丁目26番1号
アクセス:南海滝谷駅直結

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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