Yahoo!ニュース

注目! ドラフト/1 志望届提出高校球児の甲子園通信簿 春

楊順行スポーツライター
プロ志望を表明した記者会見での清宮幸太郎。右は和泉実監督(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

スラッガーは日本史がお好き

・安田尚憲/履正社・大阪 三塁手 右投左打

 試 打 安 点 本 率

 5 17 7 3 1 .412

「いままで対戦したピッチャーのなかで、一番すごいスライダーでした」

 1回戦、日大三(東京)との対戦は、3打席目まで3連続三振。あの清宮幸太郎(早稲田実)が5打席連続三振を喫した左腕・櫻井周斗のスライダーに、バットは空を切り続けた。だが、8回に5対5と追いつかれた直後。9回に1点を勝ち越すと、なおも2死二塁で第5打席が回ってきた。

「みんながつないでくれたチャンス。集中して打席に入れた」

 いったんセンターに回っていた櫻井がふたたびマウンドに立った、その初球。外角まっすぐに踏み込み、強くスイングした打球は左翼フェンスを直撃し、7対5とする貴重な二塁打となった。履正社・岡田龍生監督は、強く振ったからこそ、とその打撃を評価する。

「三振が怖くて当てに行くようでは、次につながりません。清宮君だって、振ったからこそ5三振したわけでしょう」

 安田はこの後も、報徳学園(兵庫)との準決勝で一発を放つなど、チームは決勝まで進出している。

 もともと右打ち。三菱重工名古屋でプレーする12歳上の兄・亮太さんの助言で、小1から左打ちだ。

「兄ちゃんによると、"いまは左打ちが隆盛だけど、その対策で左投手が多くなれば右打者が有利。だけどさらに時間がたてば、また左の時代がくる"と考えたんだそうです。ただ、いまもまだ左打者が多く、右の長距離砲が貴重じゃないですか。兄ちゃんも"失敗だったかな"と(笑)。正月に会ったときには、"これからは注目されているからこそ、打撃はもちろん守備、走塁、誰でもできる全力疾走もしっかりやれ"などと助言されました」

 日本史の教師である父・功さんの影響もあり、日本史が大好き。

「家に歴史小説が多くあって、小さいころから司馬遼太郎などを読んでいました。幕末と戦国時代がおもしろいですよね」

 戦国時代のごとく、プロの世界で下克上といくかどうか。

・櫻井周斗/日大三 投手・外野手 左投左打

 試 回 安 振 責 率(投手)

 1 8 8 13 7 7.88

 試 打 安 点 本 率(外野手)

 1 5 2 2 0 .400

 敗れたとはいえ履正社打線から13三振。「スライダーが通用したのは収穫。ですが体力面が課題です」。

200球超えで力尽きた絶対的エース

・山口 翔/熊本工 投手 右投右打

 試 回 安 振 責 率

 1 9 11 6 5 5.00

 智弁学園(奈良)打線に立ち上がりからとらえられ、「強気でいこうと思いましたが、だんだんマイナス思考になり、力が発揮できずに悔しい」

・難波侑平/創志学園・岡山 投手 右投左打

 試 回 安 振 責 率

 1 5 3 2 2 3.60

「研究されているはず」(長澤宏行監督)と先発を回避した福岡大大濠戦は、救援して5回を3安打2失点。6四死球など課題は多いが、小気味いい投球を披露した。

・野井優星/滋賀学園 投手 左投左打

(未出場)

・金久保優斗/東海大望洋市原・千葉 投手 右投左打

 試 回 安 振 責 率

 1 14 11 10 4 2.57

 前年秋、チーム公式戦14試合のうち13登板で、関東大会の4を含む10完投という、絶対的なエースである。

「以前は初回から力いっぱい投げていましたが、いまは完投、連投を考えて力を抜いて投げるようになった」

 滋賀学園との一戦は、相手投手・棚原孝太とのがまん比べだ。中盤までに2点ずつを取り合うと、6回からはどちらも0行進でホームが遠い。だが、金久保の投球数が200に近づいた14回だ。下位打線に与えた連続四球をきっかけに、守備のミスで勝ち越しを許すと、前の回には144キロに達していたストレートは140そこそこになり、上位に4連打を浴びた。悔しい敗退。

「投球数が218? 初めて200球を投げたことは自信になります。疲れはあまりないし、球のキレも向上していると思いますが、四球がなければ勝てた試合だけに残念です。最後の4失点をなくすようなコントロールを身につけたい」

 センバツ前には、卒業した前エース・島孝明(現ロッテ)と偶然遭遇したという。

「島さんの後ろ姿から学んだことが、たくさんある。勝てる投手になりたい」

・湯浅 大/健大高崎・群馬 遊撃手 右投右打

 試 打 安 点 本 率

 2 0 0 0 0 --

千両役者。次打者席の存在感が敵失を呼んだ

・清宮幸太郎/早稲田実・東京 一塁手 右投左打

 試 打 安 点 本 率

 2 9 3 0 0 .333

 明徳義塾(高知)に土壇場で追いつき、延長でうっちゃった早稲田実は、21世紀に入って甲子園初戦負けなしの7連勝。それをもたらしたのが、主砲・清宮の存在の重さだった。

 9回、2点を追う早稲田実は1点を返してなおも2死一塁。だが二番・横山優斗の打球は、明徳の投手・北本佑斗へのゴロとなり、万事休す。ダグアウトの明徳・馬淵史郎監督も「終わった、思うてベンチから一歩出ようとした」。ところがボールは、「次が清宮(幸太郎)という意識もあって、焦った」北本のグラブをはじく。そして清宮に、回るはずのない5打席目が回った。

 敵失で2死一、二塁。清宮はそこまで、4打席のうち3打席が初球打ちで1安打だ。

「(和泉実)監督が"谷があったら山がくる。1点取られて試合が動いたことで、流れがくるぞ"と。そこで本当にチャンスが来たので、しっかり打ちにいくことを考えて打席に入りました」

 という清宮、しっかりボールを見た。まず初球、ボール。2球目、ボール。3球目、ファウル。ネクストバッターズサークルの四番・野村大樹は、「ああ、これで四球だ」と確信した。自らの捕手経験からすると、「あのファウルを見たら、捕手は絶対に甘いコースに投げさせないことを考えますから」。そして実際、清宮が四球で歩いた2死満塁から野村も四球を選び、早実はあと1死の土壇場に押し出しで追いついた。さらに延長10回、野田優人の4打点目となるタイムリーで、難敵・明徳を寄り切ることになる。清宮は、ホームランでも打点でもなく、そのオーラで勝利に貢献したわけだ。

※2017年のセンバツに出場した選手のうち、プロ志望届提出者のみ(夏も出場した選手は除く・10/3現在)。掲載は試合順で、成績は打者が左から試合・打数・安打・打点・本塁打・打率、投手が試合・回数・被安打・奪三振・自責点・防御率

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

楊順行の最近の記事