本物の温泉好きが「濁り湯」より「透明湯」を好む意外な理由
ある温泉で湯浴みを楽しんでいたら、友人同士と思われる2人の男性客が、こんな話を始めた。
「ここの温泉は、透明だな」
「ああ、俺は濁っている湯のほうが好きなんだけど……」
「オレもそうだよ。透明の湯だと、『温泉に入った!』という気分にならないし、ありがたみがないよな」
日本人の中には、「濁り湯=最高の温泉」と思っている人が少なくない。湯船の底が見えないほどに濁っている温泉ほど人気が高い。
その気持ちは、よくわかる。濁り湯のほうが貴重な存在であるのは確かだし、「温泉にやってきたぞ!」と気分も盛り上がる。
筆者も、本格的に温泉のことを知るまでは、濁り湯ばかり求めて温泉めぐりをしていた。まさに「濁り湯派」だったのだ。
しかし、今はどちらかというと、「透明湯派」である。
透明湯派に寝返ったきっかけは、「濁り湯のほとんどが、湧出時は透明である」という事実を知ったからだ。
濁り湯は最初から濁っているわけではなく、地中では透明湯である(モール泉など一部の温泉は除く)。
湧出時に空気に触れることで、温泉が酸化し、色を帯びる。つまり、濁っているということは、湯が劣化し、鮮度を失っている証拠と考えることもできるのだ。
また、さまざまな温泉をめぐる中で、「透明湯にもすばらしい名湯がたくさんある」ことを知ったのも、筆者が透明湯を見直した理由のひとつである。
ひと口に透明湯といっても、無個性な透明湯など、ひとつもない。よく見ると、わずかに色を帯びていたり、硫黄の香りがしたり、スベスベとした肌触りがあったり、それぞれに個性がある。そして、総じて濁り湯に比べてやさしい入浴感であるのも特徴だ。
もちろん、濁り湯の魅力が劣るというわけではない。温泉が濁るということは、温泉成分を豊富に含んでいる証拠であり、その分効能も期待できる。なにより日常では味わえない温泉情緒がある。
みなさんは、濁り湯派だろうか。それとも透明湯派だろうか。ぜひ両方の湯を入り比べてみてほしい。