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黒沢清監督に聞く、集大成的な"侵略サスペンス"2作への想いと「面白い映画とは?」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「その映画について様々な言葉が飛び交い、その言葉がずっと残っていくのが理想」
『散歩する侵略者』(3月7日発売)
『散歩する侵略者』(3月7日発売)
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』

国内外に熱狂的なファンを持つ、“世界のクロサワ”こと、映画監督黒沢清。『CURE』(1997年)、『カリスマ』(1999年)、『回路』(2000年)、『アカルイミライ』(2002年)、『ドッペルゲンガー』(2002年)、『叫』(2006年)、『岸辺の旅』(2014年)、『ダゲレオタイプの女』(2016年)など、数々の“衝撃作”を世に送り出している。日本の恐怖映画における代表的存在でもある黒沢監督が、昨年手がけた『散歩する侵略者』は、侵略者が、人間の頭の中から様々な“概念”を奪い、奪われた人間は別の人間に変わるという恐怖SFだ。黒沢映画独特の“不穏”な空気が充満し、そこに引き付けられるこの作品には、長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己らの実力派俳優が集結。大きな話題を集めたこの作品が、3月7日に、同作品のアナザーストーリーでもある『予兆 散歩する侵略者 劇場版』(夏帆、染谷将太、東出昌大他)と共にBlu-lay、DVD化され、今回そのタイミングで黒沢監督にインタビューする機会に恵まれた。

「ジャンルとしては宇宙人侵略SFといっているが、なんでもない日常というのはもはや存在しない。なんでもないようにしていても、もう危機は迫っている、ワンカット毎にそう考えながら作っていった」

――『散歩~』の公開時に、かなりの本数の取材を受けていらっしゃいましたが、今回こうしてパッケージ化されるタイミングでもインタビュー時間を割いて下さっています。作品に対する思いは変わってくるものなのでしょうか?

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黒沢 映画公開の前は、やはりこれから公開するという事で、お客さんの反応がわからない中で、こういう風に反応して欲しいというこちらの希望もありつつ、でも不安もありつつ、これも伝えなきゃ、あれも伝えなきゃと、良くも悪くも盛り沢山で気分が高揚し、混乱もした中で取材が行われました。ただ、今もそう安定している訳ではなく、ある程度、お客さんはこんな風に観てくれたんだという結果が、聞こえてきた上での取材なので、多分、公開前よりは冷静ですし、逆にいうと付け加えることももうあまりないというか、もうご覧になった通りですという感じでもあります(笑)。こちらも今からあの公開前の新鮮な気持ちに戻らないといけないので、結構大変です(笑)。

――『散歩~』と『予兆~』を2本続けて観させていただきましが、もう“不穏”さが溢れすぎていて、いい意味でずっしり来ました。

黒沢 ありがとうございます。今回イレギュラーなのは、こうやって2本連続で作品を作ったことも初めてですし、場合によっては今おっしゃっていただいたように、2本続けてご覧になる方もいるという状況で、どういう反応があるのか、新鮮です。

――逆に2本続けて観る事をおすすめしたいです。

黒沢 最初はこうなる予定で始まった企画ではないのですが、結果的に僕も2本続けてご覧になる事をお勧めしたいです。できたら『散歩~』の方から観て頂いて、『予兆~』を観ていただくと、この数年で、僕がやりたいと思っていた様々な事が、この企画全体を通して一気に観る事ができると思います。

――一瞬たりとも安心できないというのが、最高でした。

『散歩する侵略者』 松田龍平、長澤まさみ
『散歩する侵略者』 松田龍平、長澤まさみ

黒沢 この映画は、ジャンルとしては宇宙人侵略SFといっていいと思いますが、そういう現実には起こり得ない、でもある特別な危機がもう現実に起こっている、というところからスタートする物語です。なんでもない日常というのは、もはや存在しないという状態、なんでもないようにしていても、もう危機は迫っていると、ワンカット毎にそういう事は考えながら作っていました。そういう表現になるように作っていきました。ここはまだ普通で、ここから特別ですという切れ目がない世界ですね。

「『散歩~』のラストシーンは別バージョンもあった。今でもどちらが正解なのか、わからない」

――『散歩~』のラストも、長澤さんのあの虚ろな表情と、でも松田さんが希望を感じさせてくれる言葉を投げかけてくれますが、でも病室での2人の間にある、あの微妙な“距離”が、また“不穏さ”を醸し出して、最後まで息が抜けませんでした

『散歩する侵略者』
『散歩する侵略者』

黒沢 それはなかなか鋭いところを観て頂けて、嬉しいです。実は映画の最後をどのカットにするかは、相当迷いました。あの逆、つまり長澤さんの虚ろな顔があって、それから松田さんの「ずっとそばにいるよ」という言葉で終わるという手もありましたが、完成バージョンは、「ずっとそばにいるよ」という言葉があってから、長澤さんのカットになっているんですね。これはどちらが正解なのか、今でもわかりません。多分、長澤さんの顔があって、松田さんのセリフがあった方が、より安心できるかなと思いましたが、でもそこまで安心させるのはどうかと。やはり地球は相当ひどい事になっていて、そのためには長澤さんを含めて、これだけの犠牲が出ている訳で、やはりここは最後は長澤さんの顔で、「ずっとそばにいてくれる」希望はあるとはいえ、その犠牲は決して小さくなかったんだ、という形で終わらせました。もちろん原作からしてそんな単純な結末ではなく、わかりやすいハッピーエンドの作品ではないというのは、最初からわかっていました。

『宇宙人に"概念"を取られる事で、人間は縛られていたものから開放され、むしろ自由になっていくという表現』

――改めて“概念”を奪っていくという設定自体に、引き込まれます。

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黒沢 これはもう原作の力で、よくそんな事思いついたなあと思うと同時に、実際そんな事が起こったらどうなるのかというのは、なかなか想像がつきません。そこは、宇宙人ならやってもおかしないだろうという、このジャンルの力を借りました。『散歩~』は、概念を取られる事によって、むしろ人間は楽に、自由になっていく。それまで縛られていたものから、開放されていくという表現になっています。でも「愛」だけは違う、特別なものだったというのが最終的な結論ですね。

――現代の日常の中で、さらっとSFが成立しているところが、絶妙です。

黒沢 そうおっしゃっていただけると安心しますが、ハリウッドでこういう題材だと、ものすごく予算をかけて、派手な事がいくらでもできますが、日本ではそうはいきません。ただ、侵略は否が応でも着々と進行していて、それは原作の力でもありますが、やはりその中で人間関係がどう変化して、でも変化しない部分、全く変化してしまう部分と、最後に残る部分はどうなっていくのか、というのがこのドラマの主眼でした。なので、侵略行為が行われている表現は、最小表現で済んだと思います。

「メッセージを届ける事が主眼ではないが、こういう題材は社会や人間関係、現代とは?という事を思い起こさせる」

――色々と考えさせられ、観た人と語り合いたくなる映画です。

黒沢 メッセージを届ける事が主眼ではないのですが、ただこういう題材は、嫌でも社会と人間の関係とか、現代とはどういう時代なんだとか、色々な事を思い起こさせると思います。

――『散歩~』の中で、長谷川博己さん演じる桜井が、街の中でいきなり演説を始めますが、あれは黒沢監督のメッセージでもあるという事ですか?

『散歩する侵略者』長谷川博己、恒松祐里、高杉真宙
『散歩する侵略者』長谷川博己、恒松祐里、高杉真宙

黒沢 そう捉えて頂いて結構です。原作にもあれに近いところがあって、一番感動的な部分でしたし、僕自身の価値観のようなものが、あのセリフの中に入っている事は間違いないです。ただ、ほとんどの人には伝わらないんだ、っていうのがあの映画の中に描かれています。

――演説を、道行く人は誰も聞いていませんでした。

黒沢 誰も聞いてないのか…という、それも含めて僕の実感です。

――でもあのシーンで、結局彼は“概念”を奪われる事なく、それこそ開放されて、変わっていきます。

黒沢 そうです。彼はジャーナリストで、元々は出版社という組織の中の一員として、それでも自分の欲望や目的に沿って、組織に反発しながらやって来て。当然全人類のためを思って、彼ははぐれものとして頑張っているのですが、誰も彼のメッセージを聞いていないのか、という(笑)。

――彼は唯一“概念”を奪われずに変わっていく人間で、そういう意味ではインパクトのある存在でした。

黒沢 そうですね。そこを観てくれると、本当に嬉しいですね。長澤さんも実はそうなんですけど、さまざまな“概念”を奪われて、突然変わっていく人が出てくる訳ですが、主人公達はやはりこういう事態になって、社会がこうなっている今、こんな事が起こっている、周りの人はこうだ、という色々な出来事を経験して、別に概念を奪われたわけではないのに人間として180度変わっていく。そこが一番のドラマだと思っています。

――SFで、ラブストーリーも入っているし、サスペンスでもあり、アクションあり、コメディ的な要素もありと、今まで観た事がない肌触りの映画になっていました。

黒沢 それこそが娯楽映画の基本だと思っています。僕だけではなく全てのスタッフ、俳優が、今回はある種実験的な娯楽映画を作るんだという意気込みで、さまざまなアイデアを出して頑張ってくれました。

「『予兆~』は『散歩~』の前編・後編ではなく、ほぼ同軸、同じ時間帯に起こっている事を描きたかった」

――『散歩~』を撮っている途中で、『予兆~』の企画が持ち上がったのでしょうか?

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』

黒沢 『散歩~』を撮影する少し前に、お話は頂いていました。ただ、内容をどうするのかは、その時点では不明でした。でも『散歩~』とは違ったものにしよう、同じような事を繰り返すのではなく、設定は似ているところがあっても、テイストの違ったものにしたいという思いだけがありました。

――『予兆~』は、『散歩~』で侵略者が攻めてきた時、別の街では何が起こっていたか、という設定でした。

黒沢 全然違ったタッチにしたいという狙いも含めて、脚本を僕の友人であり、『リング』『呪怨』などを手がけた、ジャパニーズホラーを代表する脚本家・高橋洋にお願いしました。そうすると『散歩~』とは全然違った映画になることは間違いありません。それから『散歩~』の前編、後編ではなくほぼ同軸、同じ時間帯に起こったと考えようと。それと『散歩~』の撮影中に、東出さんを絶対使いたい、それもワンシーンではなく、全面的にたっぷり出て欲しいという思いはありました。

――東出さんは『散歩~』では、牧師役で、愛を説いていました。

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』

黒沢 そうなんです。なんだかよくわからない変な役でした(笑)。もちろん共通したキャラクターではないのですが、その時点では『予兆』がどんな脚本になるか全くわからなかったので、その脚本を気に入ってくれるのかどうかもわからなくて、でも東出さんが出てくれたらいいなあと思っていました。

――身長が高い東出さんが、憑依した役を演じると、本当に怖いし不気味でした。

黒沢 怖いです。実際に大きいので、狭い廊下の様なところで立っている彼を、真正面からカメラで撮ろうとすると、カメラが天井についてしまって(笑)。こんなところから撮った事がないという、変なアングルで。でもそうすると彼が、ちょうど真正面に入るので、その画がすごく新鮮でした。

「宇宙人の侵略が設定のドラマだと、大体は軍隊、警察など男中心の組織、男が主役になるが、『予兆~』はそうしたくなかった」

――『予兆~』は、普通の主婦が気がつくとスーパーウーマンになっていて、最後に残るのは女性の強さというか、女性には敵わないという思いでした。

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』夏帆
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』夏帆

黒沢 そこは自然にそうなりました。僕は、高橋洋に脚本を任せた時点で、主人公を女性にして欲しいとはひと言も言っていなくて。でもごく自然に、ああいうわかりやすいくらい男は頼りなくて、女は強いというドラマを作って来ました。ただ『散歩~』もそうですが、こういう宇宙人の侵略が行われるという設定のドラマだと、どうしてもオーソドックスには、政治家とか軍隊とか男っぽい原理の組織の人達が出てくる事が、ハリウッド映画とかには多いですよね。実際、『散歩~』でも笹野高史さん、『予兆~』では大杉漣さんが体制側として出てきます。でも今回はそういう人達が主体じゃない。主人公は国家や軍隊とかとは関係のない、一般の人間となった時に、そういう男性的な組織と正反対のところにあるものは、ごく自然に女性になっていったのだと思います。  

――でもその自然な感じがすごく出ていて、全くストレスがない流れでした。             

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』

黒沢 そうですね。女性といっても色々な方がいます。『予兆~』の夏帆さんにしても『散歩~』の長澤さんにしても、働いてはいますが、組織のようなものには、そう深く所属していないタイプで。むしろ夏帆さんの旦那さんの染谷くんは、病院という組織にがんじがらめになっていて。これは作っている僕が男だからなのかもしれませんが、夏帆さんにしても長澤さんにしても、男に比べると組織に縛られていない、自由な立場の人として描いています。だからこそ宇宙人の侵略に、国家や軍隊が、組織として対峙するのとは全く違うスタンスで、自分自身を貫けるという気がします。『予兆~』では特にそのへんをはっきり描いていて、後半、染谷くんが警察に「殺人を犯しました」って言っても、侵略者への対応で忙しい警官は全く向き合ってくれない。多分、警察組織は、現実には宇宙人の侵略には全く歯が立たないんだろうと思います。

――ずっと不穏な空気が流れている中で、あのシーンはどこか痛快というか。

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』染谷俊太、東出昌大
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』染谷俊太、東出昌大

黒沢 そうですね。作っている側も、もちろん大変な事態だというのを描いているのですが、やっぱりそんな中でも、なんとか生き抜こうとする一人の人間、カップルが主人公で、その人達のドラマだという事を忘れてはいけないと思っています。できたらちゃっかり生き残って欲しい、大変な事がいっぱい起こってはいても、それをかいくぐって、なんとか生き残ってほしいと、いつも願いながら撮っていました。その辺が、本来なら怖いはずの人達が、どこかおかしい、笑えてくるようになってくるのだと思います。

――そうやって生き残るためには、一番強い武器になるのはやっぱり愛だと。

黒沢 そうですね。愛というのは最もわかりやすいと思いますが、やっぱりごくごく身近な人間関係が、最後まで一番強いものとして残るのかなという気はします。

「映画を観て、観客が最後に腑に落ちる瞬間、その決め手になるのは音楽」

――両作品とも音楽にこだわっているのを感じました。すごく重要な役割を果たしていますが、映画と音楽の関係はどのように考えていらっしゃいますか?

『散歩する侵略者』
『散歩する侵略者』

黒沢 それはおっしゃる通りですね。音全般が非常に重要ですし、音楽というのは僕にとって強烈なものです。僕自身が作れる訳ではないので、音楽家にお願いをして作ってもらいますが、極端にいうと、映像でも色々な表現ができますが、観客にとって腑に落ちるというか、ああそういう事か、っていう最後の決め手は、音楽にお願いします。怖いシーンはその典型で、かなり怖いシーンを音楽なしで撮ることは可能で、その怖さは観客にも伝わりますが、それが何なのか、今ひとつ腑に落ちないんです。ただ、最後の最後で、怖い音楽を流すと、「あ、怖かったんだな、これは怖いシーンなんだ、自分の恐怖は間違ってなかった」と、腑に落ちる効果が強烈に音楽にはある。

――全てが合致します。

黒沢 そうです。例えば恐怖を煽るシーンで、間違えてコミカルな音楽を流すと、「え、これ怖いシーンじゃなかったの、ギャグだったのか」って、そういう真逆を狙う事もできます。どっちに転ぶのかが、音楽で決まってしまいます。でもその分使いすぎると、「ああ、もうこれはこういう事なんだな」って、わかりきってしまい面白みがなくなります。「次のシーン、どうせ怖いんだろ、あ、怖い音楽流れて来た、ああもう怖いに決まってる」ってなると、俳優の演技にあんまり注意がいかなくなって、音楽だけ聴いていればいい、という感じになって、逆に映像を全部消してしまいます。なので使いどころは難しいです。でもうまく音楽と一体化すると、最高の効果が得られます。

『予兆~』で参加した「ベルリン国際映画祭」で驚いた事

――『散歩~』は「カンヌ国際映画祭」に出品し、『予兆~』は2月に「第68回ベルリン国際映画祭」で上映されたとお聞きました。ベルリンから帰って来たばかりだそうですが、反応はいかがでしたか?

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』
『予兆 散歩する侵略者 劇場版』

黒沢 観てくれた方は、地元ベルリンの方が多くて、怖いところではハッとしてくれて、緊張するところでは、固唾を呑んで緊張して、おかしいシーンでは、屈託なく笑ってくれました。気持ちいいくらい、僕が狙った通りに反応してくれて、嬉しかったです。それで上映後に質疑応答があったのですが、本当に心の底からこの映画を好きになってくれた人が何人もいて。というのも、僕も映画祭での質疑応答は、何度も経験していますが、多くの場合、「ここはどういう事なんでしょう」という、まさに質疑から始まります。でも今回は、珍しいくらい何人も、最初に「まず私はこの映画が大好きだ!」って言ってくれて。そこから質問に入るという感じで、そういう事が今まであまりなかったので驚きました。

――強烈なインパクトだったんでしょうね。

黒沢 多分どう反応すべきかというのを迷う作品なんだと思います。迷う分「いや、私はこれを支持する」という事を、周りの迷ってる人達に向け、説得するような感覚で言っているのだと思います。「私は支持するよ」って言いたいという事なんだろうと、都合よく解釈していますが、面白い反応でした。

――もちろん映画が違うので、反応も全然違うと思いますが、カンヌで『散歩~』を観た方と、ベルリンで『予兆~』を観ている方というのは、国民性の違いというか、趣向性の違いというのを感じますか?

黒沢 カンヌの時も、反応は良かったとは思いますが、これははっきりいって、「カンヌ国際映画祭」と「ベルリン国際映画祭」は、フランスとドイツという事ではなく、全然違います。ひと言で言うと、ベルリンはやはり地元の方が楽しみにして、この映画祭に来てくれます。カンヌは、多分地元の人はほとんどいなくて、世界中から作品の粗探しをしたい映画ジャーナリストが集まってきます(笑)。そういう人達が斜めに構えて観て、あわよくば欠点を見つけて、批判、非難をしたいというのがカンヌです(笑)。なので、そうそうストレートには反応してくれません。

――純粋じゃないんですね。

黒沢 全然純粋じゃない、怖いです(笑)。その分、そこで受け入れられると、ものすごく評価されたという事にもつながるとは思います。でもカンヌの客層は、ひと筋縄ではいかないです(笑)

「面白い映画」と「商業的にヒットする映画」と

――「面白い映画」と「商業的にヒットする映画」というのは違うのでしょうか?つながっているのでしょうか?

『散歩する侵略者』
『散歩する侵略者』

黒沢 それはなかなか悩ましい問題です。ある程度はつながっているはずですが、もちろんこういう資本主義の世界ですから、お金は儲かった方がいいに決まっているというのは、大前提としてはあります。でも数字が絶対的なものとして、唯一の価値として受け取られてしまう事には、色々な面で危惧を感じています。数字が全てなら、もう結果は決まってくる訳で、宣伝は必要かもしれませんが、映画の評論の様なものや解説は一切いらなくなります。ただ、さっきおっしゃっていただいたように、映画というのは、単なる商品とは少し違っていて、やはり観た後に「これ何だったんだろう」と思う事が、自分も含めて色々な人に対する影響、場合によってはその人の人生、もっと大きくなると社会全体への影響へと派生します。そうなっていくためには、数字ではなく、言葉が必要です。ああでもない、こうでもないという言葉がどんどん生まれてくる事が、僕にとってはやはり映画の大きな価値のひとつだと思っています。もちろん数字も重要だと思うので、数字と同時に色々な言葉が飛び交って、その瞬間だけでなく、何年も何十年も、あの映画はこうだった、という言葉が残っていくのが僕にとっては理想です。

「大学で教鞭をとるのは後進の指導ではなく、意見交換の場であり、手のうちを盗み、盗まれる場。若い人たちを本気でライバルだと思っている」

――作り手のメッセージが、受け取り手のメッセージを生んでいくという、当たり前の現象を楽しみたいです。監督のメッセージを、映画を通してこれからも楽しみにしていますが、監督は今、大学でも教鞭をとられていて、後進の指導に力を入れていらっしゃいます。後進を育てるというのが、これからの大きなテーマになるのでしょうか?

黒沢 これは正直に言うと、後進をこれっぽっちも育てていないです(笑)。完全なライバルになるわけですから、敵を知る事も重要ですよね。

――なるほど。

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黒沢 映画監督という仕事は、自分の作っている作品はもちろんわかりますが、人の作品は、観る事はできますが、どうやって作っているのかって意外とわからない。だからといって人の現場に潜り込んで、スパイするのも変です(笑)。唯一できる事は、若い人達がどうやって作っているのかを、先生と生徒という立場をうまく借りて、探る事です。教えているふりをして、逆に向こうから教えられる事が多いです。「なるほどこの手があったのか、こいつが売れる前にこの手法を先に使っておこう」って(笑)。冗談のように言っていますが、これが正直なところです。もっというと、学生と楽しくおしゃべりできる事が役立ちます。次、どんなのが面白いのかなとか、意見交換の場でもあります。この俳優は面白いかもしれないとか、今、実はこんな面白い映画があるんですよ、え、そんなの知らなかった、みたいな意見交換を若い人達とできる場って、意外となくて。彼らが「これ面白いですよ」っていう、僕が全然知らなかったような映画を観てみると、確かに面白いという事があります。なので、自分のためにやっています。でも彼らも、僕から何かを盗んでいくとは思うので、それは勝手に盗んでくれと。教えてはあげないけど、勝手に盗んでちょうだいという関係で、楽しく続けていますが、結構こちらは本気で彼らをライバルと思っています。

『散歩する侵略者』BD&DVD特設サイト

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音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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