【吉田喜重監督死去】名作『秋津温泉』のモデルとなった岡山県の極上湯とは?
『戒厳令』『エロス+虐殺』などの作品で知られる映画監督の吉田喜重さんが亡くなった。代表作のひとつが、のちに吉田監督と結婚することになる女優の岡田茉莉子さんが主演を務めた『秋津温泉』(1962年公開)である。
『秋津温泉』は、1947年に発表された藤原審爾の小説。あらすじはこうだ。
太平洋戦争中、生きる気力をなくした青年、河本周作は死に場所を求めてふらりと秋津温泉にくる。そこで温泉宿の女将の娘、新子と出会った周作は生きる気力を取り戻す。それをきっかけに2人は心を通わせるが、長い年月を経たのちに新子はある結論に至る――。
「美作三湯」と称される奥津温泉
この作品のモデルとなった温泉地が存在する。岡山県の奥津温泉である。岡山県北部の山中に湧く奥津温泉は、JR岡山駅から車で2時間ほどの距離にある静かな温泉地。県内の湯原温泉、湯郷温泉とともに「美作(みまさか)三湯」と評される名湯だ。
江戸時代に津山藩の湯治場として栄えたという温泉街には、繁華街などはなく、数軒の温泉宿がひっそりと佇む。浴衣客がそぞろ歩く賑やかな温泉街もいいが、ひっそりとした温泉街も情緒がある。
奥津温泉は「足踏み洗濯」という独自の奇習で知られる。温泉街を流れる吉井川の畔には2つの露天風呂が並ぶ。囲いなどはなく、橋の上や対岸からも丸見えである。露天風呂の片方は「洗濯湯」と呼ばれ、そこで行われるのが足踏み洗濯だ。
昔の温泉街の女性は、付近に生息していた熊や狼に襲われないように、立ち上がって周囲を見張りながら、足の指や裏で衣服を洗っていたことに由来するという。今では、3~12月上旬の毎週日曜日(不定期)に観光客向けに実演が行われており、足先で器用に洗濯をする様子は、まるでダンスをしているかのようだ。
原作のモデルとなった旅館
撮影は当時の「大釣荘」という旅館で行われたが、原作に登場する旅館のモデルとなったのは、『河鹿園』(現・池田屋河鹿園)という旅館だとされる。映画撮影の際には関係者の宿泊場所でもあったという。
以前、筆者も同宿の温泉に入浴したことがある。透明のアルカリ性単純温泉が、なみなみとかけ流しにされ、贅沢なほどに湯が湯船からあふれていた。肌あたりが柔らかいピュアな入浴感で、スベスベとした肌触りが特徴だ。
浴室の雰囲気もよい。特にタイル張りの意匠がみごとである。タイルの一枚一枚が小さい豆タイルで、繊細で上品なデザイン。壁はグラデーションにする力の入れようで、職人のこだわりが感じられた。
温泉の理想形「足元湧出泉」
奥津温泉は、足元湧出泉の名湯としても知られる。「洗濯湯」を見下ろすように建っている老舗旅館「奥津荘」には、「鍵湯」という浴室がある。「鍵湯」という名は、約400年前、津山藩主の森忠政が森家専用とするため、一般人の入浴を禁じ、番人を置き、鍵を下したことに由来するという。
鍵湯には一般の湯船に見られる湯口がない。にもかかわらず、湯船から川のごとく、大量の湯があふれ出していく。実は、湯船の底の岩間から気泡とともにボコボコと湧き出している。空気に触れないから、酸化によって劣化していない新鮮な湯を堪能できる。究極の温泉の湧出スタイルである。
鍵湯の源泉は、42.6度。熱すぎず、ぬるすぎず、まさに奇跡的な泉温である。だから、加水や加温をする必要もない。足元湧出泉の中でも、これほど絶妙な泉温で湧いている温泉は数少ない。無味無臭のピュアな湯は、まるで化粧水に浸かっているかのようで、肌にやさしく、スベスベになる。
奥津温泉を訪ねて、『秋津温泉』の世界に浸ってみてはいかがだろう。