美味しいお米を育む、田んぼの今と未来を生産者に伝えるWebアプリ「青天ナビ」
2015年に日本穀物検定協会食味ランキングの最高評価「特A」となった青森県のブランド米「青天の霹靂」。その後も「特A」評価を継続しています。美味しさを支える品質管理には衛星画像が利用されているのをご存じでしょうか。青森県産業技術センターが開発したWebアプリなどによる衛星データ利用の取り組みが、「第3回 宇宙開発利用大賞(2018年)」において『衛星情報を利用したブランド米の生産支援』で農林水産大臣賞を受賞し、今では県内の「青天の霹靂」生産農家さんに通常利用されるまでとなりました。衛星データ利用によるお米の生産支援の背景には、県や関係機関と連携して、産地全域でのデータ利用の仕組みづくりに取り組み、地道なデータ取得とアプリ開発を実施した、研究者の皆さんの努力がありました。Webアプリ「青天ナビ」の開発にあたった青森県産業技術センターの境谷栄二さん、八木橋明浩さん、福沢琢磨さんにうかがいます。
――お米の生産に衛星データを利用するという事業は、どのようなきっかけで始まったのでしょうか? 2000年代の始めごろ、国内でそうした衛星利用について関心が高まったと聞いていますが、関連があったのでしょうか。
境谷:お米のおいしさ、食味というのはタンパク質の含有量で左右され、タンパクが高いと粘りが少なく、硬いご飯になって食味が落ちてしまいます。2003年に、北海道でお米の食味を衛星画像から推定できるという報告がありまして、全国で食味推定に関する関心が一気に高まりました。多くの自治体が活用を考えた中で、青森県でも美味しいお米を作る取り組みをしようということになったのです。
まずは2006年に航空機からの観測データを使って解析し、お米の生産指導と、美味しいお米ができる田んぼのお米を集めて付加価値をつけようと考えました。一方で、北海道ではタンパク質推定ができていたのですが、本州などの他の地域ではあまりうまくいかない事例が多かったのです。そこで、本州ではなぜうまくいかないのか?ということも解析してみようと思いました。当時、航空機のデータは分解能が1.5mと衛星よりも高精細で、34バンドときめ細かい波長が得られましたので、まずは航空機で始めたわけです。平川市内の農家に協力してもらい40カ所の田んぼで毎年の田植え時期も含め、さまざまな項目との関係を探っていきました。
すると、本州でうまくいかなかった原因は、稲の生育にばらつきがあるため、ということがわかってきました。これは田植えの時期によるもので、気象条件の制約から寒い地域の県ほど田植えできる時期が限られ、青森県は2週間ほどの期間になりますが、南の地域は1カ月以上の期間があります。タンパク推定は稲の葉の色の濃さを解析するのですが、栄養条件にかかわらず田植えが遅く生育の遅い稲は色が濃い、生育が早いと色が薄いという特徴があります。生育の早さが色の差に現れてしまい、うまくタンパク量を推定できなかったことがわかってきました。
解析を始めた当初は「NDVI」(*1)という、近赤外と赤色の波長域のデータを使っていたのですが、利用する波長を工夫して「GNDVI」(*2)という近赤外と緑の波長域を使うほうが生育の早晩の影響を受けづらく、タンパクの推定精度が安定していることが分かりました。
*1:NDVI(正規化植生指数)は近赤色光と赤色光の反射率から計算される数値で、植生の分布状況や活性度を表すため、作物の生育量を予測できる
*2:Green Normalized Difference Vegetation Index (GNDVI) は、光合成作用を推定するための植生指数であり、植物被への水と窒素の吸収量を測定するために一般に利用される植生指数
2010年から、衛星画像の分解能が航空機に並ぶ2m程度に向上したので、衛星に切り替えました。対象地域100km平米を観測するのに、航空機では10コースに分けて観測し300万円ほどかかりますが、衛星ならば同地域を一度に観測できて100万円程度ですから、コストダウン化がはかれます。当時、平川市では「つがるロマン」という品種の栽培をおこなっており、地元の農協と協力して、おいしいお米ができる田んぼの米だけを分けて収穫する付加価値米の生産に2015年まで取り組みました。
2015年に「青天の霹靂」がデビューして、「つがるロマン」で培った衛星画像の解析技術を応用して、2016年から「青天の霹靂」で衛星データの利用に取り組むようになったわけです。
――「青天の霹靂」という名前はインパクトがあって、すぐに覚えられますね。この品種の名前はどのようにつけられたのでしょうか? 主に青森県のどの地域で栽培されているのでしょうか?
境谷:ブランド名は青森県で公募をし、選ばれました。
現在、「青天の霹靂」は県内の1900ヘクタールほどで栽培されています。青森県内の水稲作つけ面積は4万5000ヘクタールで、「まっしぐら」と「つがるロマン」が中心ですから、およそ全体の4~5%が「青天の霹靂」になります。
作付けは、青森県内でも気温が高くて安定していて、品種にとって適地である津軽地域に限られています。栽培農家は公募による登録制で、約1,000名が栽培しています。衛星データと併せて、誰がどこの田んぼで栽培しているのかの情報を「筆ポリゴン」(後述)と呼ばれる田んぼの区画を模った電子地図を利用して整理し、さらに地域の農協がタンパクの値などを検査した品質データも、「青天ナビ」で一元管理しています。
――衛星データを生産指導に利用するにあたって、どのような苦労があったのでしょうか?
境谷:2007年から2015年まで、平川市内の農協と連携して、リモートセンシングで「特に美味しい」と判断された田んぼの米を集荷する付加価値米生産に取り組みましたが、これと並行して、衛星データを生産指導にも利用する取り組みを行っていました。農協にGISのシステムを導入し「お米の通信簿」という農家別に作成した資料を各農家に手紙で送るという方式でした。紙の手紙を何百件も送るのは時間もコストもかかりますし、農家が変わることによる農家情報の更新の手間もあり、農協の作業負担が大きく、生産指導の取り組みは4年間で終了しました。
そこで、衛星データを利用して、「青天の霹靂」の生産指導をするには、紙ではなくWeb上で簡単に見られる仕組みが必要という思いから、指導ツールとしてWebアプリの開発に取り組み、2016年から津軽全域の指導員による利用が始まりました。また、農家から利用要望が多く寄せられたことから、2017年から農家の利用もオープンにしています。民間でも当時は衛星データを簡単に表示するWebアプリがまだなかった頃だと思います。
――農家さんへの情報伝達はアナログだったのですね。そこから衛星データを利用したWebアプリの利用に対する反応はどのようなものだったのでしょうか。抵抗感を示される農家さんはなかったのでしょうか。
境谷:確かに当初は衛星画像の説明をすると年配の農家から難しい話なんじゃないかと身構える反応を示されることもありました。が、農家向けパンフレットや研修会等での周知が進み、衛星を利用した天気予報やカーナビと同様、衛星データが便利で身近なものだと認識が変わってきた感じはあります。また、スマートフォンの普及や田んぼごとの収穫時期を簡単に知れるというメリットもあって、「青天の霹靂」の栽培においては、かなり使いこなしてもらえるようになりました。なお、収穫適期というタイミング重視の情報は、を紙で伝えようとすると、郵送に数日かかり、時間とコストが大きな課題になります。収穫時期の予測技術は、「青天の霹靂」デビュー以前の2012年から「つがるロマン」で実用化していましたが、農家にタイムリーに情報伝達ができず、歯がゆい思いをしていました。
そこで、産業技術センターの、工業と農業部門によるコラボという形でプログラム開発を進めて、まずは田んぼ1枚ごとの情報をマップ表示するマップ表示用Webアプリを作りました。農協や県の指導員に利用してもらい、田んぼごとに「収穫に適しているのは○月○日です」、という詳しい情報を農家に提供するようにしました。システム導入前は、収穫時期といっても「青森市は○月○日ごろ」、のように市町村ごとでしか農家に情報を提供できませんでした。実際は隣同士の田んぼであっても田植え日や肥料の量の違いで収穫までの日数がかなり異なります。また、指導員だけではなく、農家もスマートフォン等で情報を利用しています。従来よりも詳しいデータを簡単にタイムリーに伝達できるようになったので、もう導入前には戻れないですね。
現在はさらに、マップ上で生産者ごとに田んぼを検索できる機能や、肥料の量、「青天の霹靂」の栽培に向く田んぼかどうか、自動でアドバイスを表示する機能も加えています。また、土壌の違いや農家ごとの品質検査データも織り込めるようになりました。これは「青天ナビ」という名称で、2019年2月に実用化しています。現在、県や農協など10団体、13市町村の生産者に利用されています。
――お米の収穫日のタイミングというのは、お米の生産にどのような意味があるのでしょうか。「晴青天ナビ」で収穫がわかることによるプラスの効果というのはどのようなものでしょうか?
境谷:「青天ナビ」には「みなさん収穫してください」という目安となる開始日が表示されるようになっています。収穫時期が遅くなると品質が落ちやすいので、生育が早い田んぼから収穫する必要があり、その作業計画が立てやすくなるのがメリットです。それだけでなく、導入によってお米の品質向上につながる大きな効果がありました。
また、田んぼによってお米の生育度や味が異なるという背景にも踏み込むことができるようになりました。以前から「この田んぼのお米は美味しい」という現地情報があったのですが、それがなぜなのかわからなかったのです。それが、5月の田植え直後の時期に撮影した衛星画像から、土壌の有機物含量をデータ化した「土壌肥沃度マップ」を作成したところ、地域で生産された米のタンパク質含量の傾向と対応していることが分かりました。土壌が肥沃で有機物が多い土は黒っぽく、土から栄養分が多く供給されるので、お米のタンパク質含量に影響してきます。「青天の霹靂」は、産地独自の厳しい品質基準(出荷基準タンパク6.4%以下)があるので、タンパク質含量が高まりやすい田んぼはこの品種の栽培には向きません。一方、土壌の肥沃度が高い田んぼでは、肥料が少なくても高収量が得られるので、収量を重視する別の品種を作付するようアドバイスしています。
――衛星リモートセンシングが田んぼの違いまで見分ける力になるのですね。そのためには、農地のデータベースが整備されている必要があると思いますが、「筆ポリゴン」(*)などの農地情報は導入当初からあったのでしょうか?
*筆ポリゴン:全国の農地のデジタル区画情報
境谷:実は、その部分も大きな労力をかけました。土地の情報といっても、宅地の場合は地番が細かく整備されていますが、農地の場合は地番がつけられていても、同じ地番の中に田んぼが何枚も入っていたりします。「どの田んぼか」という特定は実は大きな課題なのです。2006年当時はそうした環境が整備されておらず、筆ポリゴンの整備から作業を始めなくてはなりませんでした。2016年の「青天の霹靂」導入の際には水土里ネット青森、2019年からは農林水産省等の筆ポリゴンを利用しています。さらに、津軽地方の筆ポリゴンすべてに通し番号をつけてあります。番号をつけることで、電話で指導する場合でも「ここの田んぼが……」というように話ができるようになります。これが緯度経度の情報だけですと、田んぼを特定して指導するのはとても困難ですね。固有の田んぼに固有の筆ポリゴン番号があることは、データ活用の基盤となっています。
田んぼの筆ポリゴン番号を整備したとはいっても、「青天の霹靂」の栽培ではまず筆ポリゴンの番号を書き込んだ紙の地図を何十枚も作りました。Excelシートに、農家別に作付けした田んぼの筆ポリゴン番号を記入して集計し、さらにそれをGISに上げるという大変な手間がかかりました。「青天ナビ」開発の際には、田んぼを省力的に特定する仕組みを取り入れています。県や農協など関係機関全体で津軽地域の筆ポリゴンの電子地図を共有し、クラウド上で編集できるようにして、「青天ナビ」の中だけでデータ整理が完結する仕組みにしています。
時には、田んぼの拡張などの変化が発生することもあります。そうした場合には形や面積が変わっても筆ポリゴンの番号データを引き継ぐようにしています。衛星画像で栽培支援というと、衛星データだけが注目されやすいのですが、実際はデータを地域全体でうまく使えるようにすることも難しいのです。
――青森県の農業生産における衛星データの課題と、今後の発展の方向性はどのようなものでしょうか?
福沢:「青天ナビ」のコンテンツのひとつとして、収穫時期近辺の衛星画像だけでなく、生育期間を通して稲をモニタリングし、生育量を把握していくという研究をしています。この機能を「青天ナビ」に加えていく方向です。
機能を増やすだけでなく、対応する品種についても、青森県で栽培面積の7割を占める品種「まっしぐら」でも収穫時期を推定するための研究を進めています。「青天ナビ」とは分けるかと思いますが、農家の必要なデータを盛り込んで、使いやすいようにシステムを改善していきたいですね。
八木橋:私たちの農業ICT部門は、持続的な農業生産のための土壌環境に関する研究とともに、2020年ごろから衛星画像などリモートセンシングを活用した研究で労働力不足や担い手の多様化など、生産現場の抱える課題を解決するお手伝いができるよう取り組んでいます。情報をいかに早く伝えるか、農家さんのフィードバックのもとに現場でより使いやすい技術にしていくことに力を入れています。現在は、水稲栽培を中心に展開していますが、今後は大豆や小麦など他の作物への活用についても方向を探っているところです。
境谷:米の品質や収量は、収穫時期だけではなく、施肥が大きく影響します。2019年の「青天ナビ」以前の施肥指導では、指導員が複数の衛星データ(タンパク、収量、土壌肥沃度)を分析し、総合的に施肥量の増減を農家にアドバイスしていました。しかし、数十人の指導員では労力的に厳しく、「青天の霹靂」の1000名の生産農家、8000枚の田んぼすべてに対応できないことが課題でした。
収穫指導では、収穫日を地図化した「収穫適期マップ」を農家に見せるだけで済みますが、施肥指導では指導員が複数のデータを分析し、経験に基づいて施肥量の増減を判断しており、農家に説明するための事前の資料づくりも必要でした。指導に必要なデータは揃っていても、マンパワーが不足して作業が追いつかないのです。そこで、指導に必要な事前作業(データ集計→分析→資料作成)を代行する機能を「青天ナビ」に組み込むことにしました。衛星データとICTシステムを組み合わせることで、指導員はタブレットなどの携帯端末を持参するだけで農家の指導がスムーズにできるようになり、指導の省力化につながりました。
施肥指導では、指導員の全員が「青天ナビ」を利用していますが、農家の利用はまだまだ拡大の余地があります。指導員を介した指導だけではなく、農家が「青天ナビ」を直接利用する方式での指導を推進しています。「青天ナビ」利用農家の事例では、「青天ナビ」利用前は「青天の霹靂」で目標とする品質・収量を生産できた田んぼの数が40枚中16枚(40%)だったところ、利用し始めて1年目で84%、2年目では100%に向上した例があります。今後は農家の大多数に利用してもらえるシステムに発展させていきたいと考えています。
※本記事は宇宙ビジネス情報ポータルサイトS-NET『美味しいお米を育む、田んぼの今と未来を生産者に伝えるWebアプリ「青天ナビ」 青森県産業技術センター 境谷栄二、八木橋明浩、福沢琢磨』に掲載されたものです。