外国出身者はチームリーダーになれないのか。
6月初めのことだった。フィリーズ一筋にプレーし、野球殿堂入りをしているマイク・シュミット氏が、ラジオのインタビューに答えて、こんな発言をした。
フィリーズの若手外野手でベネズエラ出身のオデュベル・ヘレーラを中心にチームを作ることができるかという質問に対し、シュミット氏は「正直に言うと、私の答えはノーである。言葉の壁があるからだ。4、5人のアメリカ人の選手と輪になって野球について話をする選手ではないと思うから」などと発言した。
シュミット氏はこの発言をした後、ヘレーラやラテン系の選手への敬意を欠くものだったとして、すぐに謝罪をしている。
英語を母語としない選手、米国外で生まれ育った選手はチームリーダーになれないのか。反証となる選手はいる。
レッドソックスなどで活躍し、昨シーズン限りで引退したデービッド・オルティスもその一人。レッドソックスのチームリーダーだった。オルティスはドミニカ共和国出身。母語はスペイン語。しかし、2つめの言語である英語でのコミュニケーションも苦にしない。野球への姿勢、チームをまとめる力に優れていた。中南米選手はもちろんのこと、米国人の選手にとっても頼りになる存在だった。
2カ月前のシュミット発言を思い出したのは、8月16日付けのボストンヘラルド紙を読んだからだ。
同紙によると、レッドソックスのヘンリーオーナーが、本拠地フェンウェイパーク前の「ヨーキー・ウェイ」という通りの名称変更を希望しているという。「ヨーキー・ウェイ」という名称は、トム・ヨーキー氏に由来する。1933-76年までレッドソックスのオーナーだった人物だ。
ヨーキーオーナーの時代、ドジャースは近代野球では初の黒人選手であるジャッキー・ロビンソンと契約し、人種の壁を破った。しかし、ヨーキーオーナーはなかなかアフリカ系米国人選手と契約しようとしなかった。レッドソックスが黒人選手と契約したのは1959年で、ドジャースがロビンソンと契約してから12年後のこと。メジャー球団のなかでは最後だった。こういった経緯があり、ヨーキーオーナーは、人種差別主義者という評価がつきまとうオーナーでもあった。
そういったことから、ヘンリーオーナーは「ヨーキー・ウェイ」の名称を変更したいようである。しかし、レッドソックスには公道である通りの名称を変更する権限はない。それを承知のうえで、ヘンリ―オーナーは、「デービッド・オルティス」か、彼の愛称である「ビッグ・パピ」にしたいというアイデアを明かしている。今年6月に、ボストン市は、ヨーキー・ウェイの一部を「デービッド・オルティス・ドライブ」という名称にしており、ヨーキー・ウェイの全てを「デービッド・オルティス・ドライブ」にしたいということかもしれない。
なるほど、と思った。ドミニカ共和国出身であり、チームリーダーであり、メジャーを代表するスター選手であるデービッド・オルティスならば、かつてのオーナーの人種差別主義的な面を払拭できるという考えはうなずける。
米国外出身でメジャーリーグのチームリーダーとなっている選手はオルティスだけではない。6月のニューヨーク・デイリーニュースは、プエルトリコの英雄、ロベルト・クレメンテやヤンキースのクローザーだったマリアーノ・リベラらの名前を挙げている。さらにマーリンズのイチローと松井秀喜氏についても「言葉の壁があるかもしれないが、彼らはメジャーリーグの全球団から尊敬されている」と述べている。
メジャーリーグには、米国内外から多様なバックグラウンドを持つ選手が集まってくる。それぞれが不快な思いをすることなく、プレーできるための環境作りは、メジャーリーグ機構と各球団の経営者にとっては、重要な仕事のひとつだろう。
8月初め、カブスのマドン監督は、NFLの殿堂入り式典で人種に関するスピーチがあったことについての質問を受け、こんな話をした。
「この前、食事をするところでウェイド・デービス(米国出身)とペドロ・ストロップ(ドミニカ共和国出身)が座っていて、とても心地よさそうに2人は会話をして、よく笑っていた。そういう姿を見ることはとてもうれしい。コウジ(上原)、私はコウジのこともだんだんと知るようになってきたところ。私は多様性を愛しているし、いろいろな文化やユーモアのセンスを知ることがとても好きなんだ」。
チーム内の肌の色や文化の違いを乗り越えるのはそれほど難しいことではない、とマドン監督は考えている。
「難しいのは言語の壁だと思う。私は多くのヒスパニックの選手らを称賛したい。彼らが英語を学ぶ主な理由は、我々のほとんどがスペイン語を話せないからだ。私は他の言語を学ぼうとする彼らのインテリジェンスにいつも感謝している」。
外国出身者であり、2つの言葉でコミュニケーションしようとするその姿勢が、チームリーダーになることを後押しするケースもあるだろう。
野球とは関係ないけれど、マドン監督の言葉を書きながら、日本の大相撲を支える外国出身力士たちの姿と、彼らが流ちょうな日本語で話す声が、脳裏をよぎった。