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坂本花織の決意 北京五輪シーズンの新プログラムで挑戦する「メッセージ」の表現

沢田聡子ライター
(写真:松尾/アフロスポーツ)

■プログラムのテーマは「自由」

平昌五輪日本代表の坂本花織は、女性の強さを表現するプログラムで北京五輪シーズンに臨む。

今季の坂本のプログラムは、平昌五輪シーズンから継続して振付を依頼しているブノワ・リショー氏が、ショート・フリーともに担当した。ショートプログラムは映画『グラディエーター』より『Now we are free』、フリーは『No More Fight Left In Me』を使用する。二つのプログラムに共通するテーマは「自由」だ。新型コロナウイルスの感染拡大で制限がかかっている世界の中にも存在する、ほんの少しの自由を表現するのだという。

坂本は、10月2日にさいたまスーパーアリーナで行われたジャパンオープンでフリーを、同じ会場で2・3日に行われたカーニバル・オン・アイスでショートを滑っている。試合を前にした1日の公式練習後、坂本はブノワ氏がプログラムに託した思いを説明した。

「『自由になれるように』という意味を込めて、今回このショートとフリーを作って下さったので、今しかできない、今だからこそ出来るプログラムなのかなってすごく思いました」

「今本当にみんなが大変な思いをして過ごしているけど、フィギュアを観て少しでも元気になれたり、勇気が出たって言ってもらえるような滑りを自分はすべきだと思うので、その気持ちをしっかり込めて滑りたいなと思います」

■迷った末、新プログラムへの挑戦を決断

しかし、フリーに関してはそこまでに紆余曲折があった。7月31日~8月1日に開催されたアイスショー「ザ・アイス」で初披露したものの、8月9日~12日に行われた今季初戦・げんさんサマーカップでは、2018-19シーズンの『ピアノレッスン』を滑ったのだ。げんさんサマーカップで優勝した直後の坂本は、その経緯を次のように説明している。

「ブノワ先生は、オリンピックシーズンに向けて新しい曲を『カオリのために選んだ』って言って下さったので…『それをやり通してほしい』というブノワ先生の気持ちと、過去の三つのプログラム(ブノワ氏が振り付けたフリー、2017-18シーズン『アメリ』、2018-19シーズン『ピアノレッスン』、2019-20、2020-21シーズン『マトリックス』)以上に難しいプログラムを、(北京五輪代表)選考の全日本がある4か月後までに出来る気がしない、という自分の気持ちもあって。(プログラムを)元に戻すという選択肢は、正しくないと分かってはいるんですけど、どれが一番正しい答えなのかがまだはっきり出ていない」

悩んでいた坂本だが、ジャパンオープンには新しいフリーに挑戦することを決意して臨んだ。ジャパンオープン前日の公式練習後、坂本はげんさんサマーカップでの点数も考慮したことを口にしている。

「最初は、『ピアノレッスン』にするか新しいプログラムにするか、本当に迷っていた。『ピアノレッスン』をしたげんさんサマーカップでは140点台(143.50)が出たのですが、『去年より上回ろうと思ったら、これ以上のものをしないといけない』と思って、げんさんサマーカップが終わってから、覚悟決めて新しいプログラムにしました」

■フリーに込められた強いメッセージ

今季のフリー『No More Fight Left In Me』は、坂本にとって何故難しいのか。その理由は、メッセージ性の強さにあるという。

「今までは物語があって、その物語に乗っかってプログラムを表現することができていた。でもこのフリーはすごくメッセージ性が強くて、意味が分かっていないと、ただ振りをやっているだけ・ジャンプを跳んでいるだけになってしまう。『その曲で言っているメッセージをどう自分が伝えるか』というのが今までにないパターンだったので、そこが今すごく難しい」

フリーの曲には、ブノワ氏が付け加えたという言葉が吹き込まれている。ブノワ氏がプログラムに込めたメッセージを伝えなければという思いで真剣に取り組んでいるからこそ、坂本は悩んだのだろう。ただ、平昌五輪シーズン以降の坂本は、ブノワ氏が振り付けるプログラムに向き合うことで表現力を伸ばしてきた。坂本自身もそれを自覚しているからこそ、新しいプログラムに取り組む決意をしたのではないか。

「今までもやっぱり『アメリ』から『マトリックス』まで、自分が『これ大丈夫かな』っていうスタートが多かったけど、やっぱり最終的には自分のものにできていたと思うので、その自分の気持ちとブノワ先生の意志を信じて、やろうって決めました」

ブノワ氏も、坂本に寄り添う姿勢をみせている。坂本の要望に応え、気になる部分の振り付けをリモートで修正してくれたのだという。坂本も「このフリー、前ほどは不安にならなくなったな」と感じている。

「前の(平昌五輪シーズンの)プログラム『アメリ』の時も、プログラム作った直後に思っていることはほぼ一緒で『難しいな』って思っていた。4年前のオリンピックシーズンは、ブノワ先生も『何がなんでもやれ!』っていう感じだったんですけど、今年は大分意見を通してプログラムを作り上げている感じがすごくあるので、そこは成長したかなと思います」

坂本の表現面での成長、そして人としての成熟を知るからこそ、ブノワ氏は彼女の意見に耳を傾けてプログラムを修正したのだろう。

■大技ではなく、今できるジャンプをしっかりと

ジャパンオープンでの『No More Fight Left In Me』は、ジャンプが完璧ではなかったことやラストでの思わぬ転倒もあり、得点は133.26、6人中4位という結果になった。しかし、坂本は「まだまだ完璧な出来ではなかったので、本当に伸びしろしかない」と前を向いた。

「最初(の試合である)げんさん(サマーカップ)の時(新しいフリー)はやらなかったので『このまま止めてしまおうか』とも考えたんですけど、やっぱりこのプログラムを試合でやって発見もたくさんあった。今回のこの出来で133点ということは、本当に自分にとっては伸びしろしかないな、って思ったので。難しいことは難しいですけど、ブノワ先生としっかりブラッシュアップをして、誰にもできないプログラムを作り上げたいなと思いました」

また、坂本は一時意欲をみせていたトリプルアクセルや4回転といった高難度ジャンプを組み込むことには否定的だった。

「(トリプル)アクセルは、今はあまり考えていなくて。今は自分ができる(3回転)ルッツまでのジャンプをしっかりプログラムに入れて迫力を出すことが一番大事だと思うので、(トリプル)アクセルや4回転よりも“今”を精一杯やりたいなと思っています」

個人的には、4回転やトリプルアクセルといった高難度ジャンプに注目が集まる女子シングルにおいて、坂本が平昌に続き北京でも五輪出場を果たすことには大きな意味があると思う。坂本がジャパンオープンで示した方向性を変えず、高難度ジャンプを組み込まない構成のままでテーマ性のあるプログラムを滑り切り、表現面での4年間の成長を示せれば、選手寿命の短さが懸念される女子選手の希望となるのではないかと考えるからだ。

「女性の強さを、しっかりフリーで表現できたらいいなと思います」と坂本は言う。21歳となって迎える北京五輪で、坂本が精神的に成熟した強い女性の滑りを世界にみせることを期待したい。

ライター

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(フィギュアスケート、アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。2022年北京五輪を現地取材。

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