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寝屋川事件・山田浩二死刑囚が接見禁止となりながら執念で届けた手記の中身

篠田博之月刊『創』編集長
山田死刑囚の自筆手記とイラスト(筆者撮影)

 2020年12月1日に死刑が確定した寝屋川事件の山田浩二死刑囚の獄中手記を12月にもヤフーニュース雑誌で公開したが、その後も本人自筆の手記が届いている。ちなみに、2020年10月に彼は獄中結婚して水海浩二という名前に変わっているのだが、ここではこれまで通り山田浩二と記すことにする。

 前回公開した12月15日に書かれた手記は下記へアクセスすれば全文読める。

https://news.yahoo.co.jp/articles/94349452020cc57d56b95fd1f8f412ae6d54dde6

 死刑が確定すると通常、死刑囚は家族と弁護人以外は接見禁止となり、面会はもちろん手紙のやりとりもできなくなる。いつ刑が執行されても不思議のない状況に置かれるため、外界との接触を断たれるのだ。死刑囚の実態がこれまでほとんど社会に知られていないのは、そのためだ。

 2020年4月に死刑が確定した相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚も、それまで連日マスコミの取材を受け報道されていたが、接見禁止となって社会とのつながりを絶たれ、相模原事件自体が一気に風化することとなってしまった。

 多くの死刑囚にとって知人に会えなくなり外部に手紙も書けなくなってしまうのは苦痛で、冤罪が明らかとなった袴田事件の袴田巌さんのように、死刑確定後に精神的変調をきたすケースもある。

異例と言える確定死刑囚からの詳細な手記

 だから死刑確定前後の経緯を詳細に書いた獄中手記の公開は、これ自体異例だ。しかも山田死刑囚の手記は、死刑確定処遇に変わる前後の手続きなど、例えば妻と弁護人以外は接見禁止と通告されながら、さらにそれ以外の申請を行って却下されるといった経緯が細かく書かれており、興味深い。

 今回の山田死刑囚の手記公表が実現できたのは、何よりも本人の強い意志があったからだ。彼は死刑制度そのものに反対しているし、そもそも二度にわたる控訴取り下げ自体が、拘置所側の対応への反発を契機にしていた。控訴取り下げに当たって2020年3月に私に宛てて書いた手紙には「控訴取り下げる。それが命をかけた大阪拘置所への復讐」「刑務官のことを呪いながら処刑場へ連行されて逝きます」などと書かれていた(『創』2020年7月号参照)。

 そもそも山田死刑囚の場合は、これまでヤフーニュースでも継続して報じてきたように、二度にわたって控訴を取り下げるという異例の経緯をたどっており、死刑確定も今回で二度目だ。これも前代未聞ではないだろうか。そういうケースで確定後の処遇がどうなるかというのも前例がない。  

 山田死刑囚も執行への恐怖は大きいはずだが、そういう事情を知ったうえで、その中で自分がどういう状況に置かれているか、社会に知らせようと考えたわけだ。

 かつて『創』は、埼玉連続幼女殺害事件の宮﨑勤元死刑囚(既に執行)の獄中手記も、執行直前まで掲載してきた。死刑確定者の声を伝えることには大きな社会的意義があるというのが私の考えだ。

寝屋川事件はこのまま闇にとざされてしまうのか

 寝屋川事件そのものが1審で真相が十分解明されたとはいいがたい。2015年夏、中学生男女2人が連れ去られる前に駅前商店街で映された防犯ビデオの動画が連日テレビで流され、あどけない2人の姿に多くの人が涙した。社会に与えた衝撃を考えれば、その事件の真相解明の道がこのまま閉ざされてしまうことには反対せざるをえない。

 山田死刑囚の手記は、死刑確定後、処遇がどう変化したかがわかる貴重な内容だが、全文はかなり長い。何日にもわたって書いたもので、特に12月後半以降の記述は、節目の日にその時の話を日記風に記録しながら、一定の日時にまとめたものを投函するというやり方のようで、全文を読んでいるとわかりにくかったし、似たような記述が何回か出て来たりする。

 そこで2月8日発売の月刊『創』(つくる)3月号には、あちこち割愛し、わかりやすいように少し整理したものを掲載した。ここではそれをさらに短くしたものを掲載する。

 手記全文を読みたいという人もいるだろうから、それは下記のヤフーニュース雑誌に公開する。前述した12月15日付の手記で書いた後から年明け1月3日までの経緯をつづったものだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/701a5132648bbec64d0a65a071800eed03c25591?page=1

死刑が確定した寝屋川事件・山田浩二死刑囚が手記につづった年末年始

 厳密に言えば、昨年11月26日に大阪高裁で山田死刑囚の控訴取り下げが有効との決定が出たのに対して弁護側は異議申し立てを行っているから、取り下げをめぐる一連の経緯は最終決着がついていない。そうした経緯を含めて、今後も可能な限り、異例の経過をたどっている山田死刑囚の処遇などの経緯については報道していくことにする。

 では、以下、昨年12月15日付と今年1月3日付の、2回にわたって書かれた手記の主要部分だ。

12月1日に死刑確定者の処遇に

 12月1日(火曜日)。午前中に弁護士面会があり、それが終わって、弁護士室から居室に戻ったのが正午過ぎだった。居室に戻り昼食の準備をしようと思っていた時に、普段あまり見ないような金線の偉いさんクラスの職員がいきなり僕の居室まで来て「ちょっと出て来て! すぐ終わるから…そのままでいいから…」と、約2年程前どっかで聞いたようなセリフを言われた。

 その瞬間そのセリフの意味、そしてこれから何が起こるのか、本能的に感じた。正直その瞬間「マジかぁ~!」と思った。今さっき弁護士の先生から面会時に「今の身分は?」と聞かれ「まだ未決の身分です」と答えてきたばかりなのに、めっちゃ最悪……。時計の針を巻き戻したい気分だったが、巻き戻せないのが現実やし、巻き戻したって何も変わらないだろう。

 その後、僕は調べ室まで連行され、そこで僕の法的身分が死刑確定者になると言い渡された。人生でリアルにこのような言い渡しを受けることなんてほとんどないが、僕は2019年5月28日に続き、生涯二度目の死刑確定を言い渡された。

 2020年3月に二度目の控訴を取り下げてしまって、またひとつ僕の人生の中に「後悔」という言葉を刻んでから、もしかしたらまたその時はやって来るのでは?と想定することはあったけど、正直ないと信じてこれまで生きてきた。今の僕は一人の身ではないし、僕が歩む道はこの道の方ではないと信じてたけど、また進むべき道を間違えてしまった。

 怖くないと言えば嘘になるけど、立ち止まっている暇なんて僕にはない。むしろ僕だけの意志で立ち止まることなんか出来ない状況。僕一人だけの問題ではなくなっている訳だから、軌道修正を良い形で出来るように前進していくしかない。

自分が置かれた状況を知らせることもできない

 今、僕は外部交通が制限されている。12月1日に資格異動となり外部交通申告書というのを書かされ、死刑確定後の外部交通が出来る手続きを申請しているが、それから丸2週間経つ。今もその審査の結果が出ていなくて、結果が出るまでは保留ということで、事実上外部交通が止まっている状況だ。

 死刑確定者の身分になると書籍や雑誌、コピーの差し入れは認められないが、現金や郵券、寝具や衣類、拘置所窓口からの日用品や飲食物なら差入れは認められる。それに対する「礼状発信」と、妻と弁護士の先生のみ(条件付き) “特別”に外部交通が認められている。

 それ以外は親族でも現段階では外部交通が認められていない。審査の結果が出れば、外部交通が認められた者とは面会や手紙のやり取り、書籍や冊子、ネットコピー等の差入れも認められることになるけど、現在保留状態が続いており、どうすることも出来ない。弁護士の先生宛や妻宛ての手紙に、せめて親族だけでも、今このような状況で外部交通が保留状態になっている…と報告して欲しいと書こうとしたが、それを書くと“伝言”となるからアカン、消せ! と毎日の様に死刑確定者の処遇を受け持っている副看守長2人組から指導される。

 何を書いても伝言にされるので、いいかげん早く申請した申告書の審査結果を告知してくれたらいいのに。親族側からすれば、僕からの手紙がなく、すごく心配しているだろう。

 12月1日に資格異動してから、これまで生活をしていた居室フロアから死刑確定者を収容する居室フロアに転室となった。確定後の新しい居室は1室だった。現在大阪拘置所の新棟の居室フロアは1~36室まであるが、どの居室フロアでもこの1室というのはいわゆる「電波系」「粗暴認定」「ガチ自殺未遂」「保護室の常連」…と呼ばれる、問題児でイタい奴専用居室と指定されている。そんなヤバい居室に転室されてしまった。

 この居室、僕はもちろん今回初めてだが、備付されているはずの鏡や本棚、タオル掛けがなく、天井にはもちろん24時間監視カメラがLock onしてるし、床はこれからの季節には冷た過ぎるフローリングの木製、机はダンボール、そして転室の際に私物検査をやられ、キャリーバッグの中身は空っぽ。キャリーバッグに収納していた衣類や大量の裁判関連書類、書籍等の私物は、総てコンテナの中に詰められ、そのコンテナが山積み状態のまま居室内に放置されていた。

 居室も汚く壁は真黒、便所は茶色い何かがこびりつき悪臭を放っている。また居室の隅には埃の山や妖怪チン毛散らしの仕業なのか…。なんせひどい居室だ。僕は保護室に連行されたことはないが、多分保護室より不潔な部屋だと思う。ただ法的身分が変わっただけなのに…。

妻と弁護人以外、近況報告もできない

 12月1日は外部交通申告書を記載して提出したあと、居室内の大・大・大掃除をして私物の整理整頓をした。間に入浴があったが、入浴後も大掃除は続き、なんとか夕食前には大掃除を済ませたが、12月に筋トレ以外で風呂上がりなのに、めっちゃ汗をかいたわ!

 便所がガチで臭過ぎるので窓も開けっぱなしで、本来なら冷たい風が入って来て寒く感じるはずなのにめっちゃ暑かった! 壁や天井も全部きれいに拭き取った。便所もクレンザーとシャンプーで数回洗い、見た目はピカピカになったけど、悪臭は何故か取れず(泣)、12月なのに窓は開けっぱなしで今も過ごしている。寒いけど悪臭まみれの匂いには耐えられそうにもない。

 やはり一番辛くて嫌なのは外部交通が審査中ということで保留状況となっており、宙ぶらりんな日々が続いているのがたまらない。年賀状の受付締切だった12月4日にも間に合わず、気が付けば2020年の12月も折り返しだ。年賀状の受付締切については、審査結果が出たら特別に認めてくれるらしいが、死刑確定者は10枚までなので10枚を超過する分は通常の発信枠で処理されるので、下手したら間に合わない可能性も…。

 そして何より妻と弁護士以外の親族に対して近況報告すら認められず、それを妻や弁護士に知らせてもらうことすら許されない。「死刑確定者は外部からの交通を遮断することが基本」というのが拘置所側の言い分らしい。なので審査結果が出ても認められるべき親族すら認められない可能性が高い。実際、昨年に死刑確定者になった時も、リアル親族の実の妹が認められなかった(その後追加申請を繰り返しなんとか許可となった)。

 死刑確定者の処遇改善は山程あるし、何より日本から死刑制度を廃止しなければならない。死刑制度はつまりは国家の殺人行為であり、刑の執行を行うのは法務大臣でもなく、何の罪もない拘置所職員である。死刑という名の国家殺人を行う為に刑務官になった人なんていないだろう…。死刑囚イジメや嫌がらせ、人権侵害を楽しんでいる馬鹿職員はこの大拘にもたくさんいるが、処刑場まで連行したいと思ってる鬼畜はいないと、僕は信じたい。

 12月11日(金曜日)。いきなり統括や居室フロア担当副看守長、死刑確定者の処遇を受け持っている副看守長らが僕の居室に来て「本日からおおむね1カ月以内に私物の宅下げ又は廃棄をすること」と告知を受けた。まだ外部交通の相手も決まっていないのに親族に宅下げの手続きをするように…と言ってきた。現段階では親族には宅下げは認められていないのに…まじウケる。つまりは私物はとっとと廃棄しろ! ということだ。

 僕の居室は大量の裁判関連の書類が多くて山積みに積んでいて、以前から「私物や書類を減らせ」と言われてきたが、裁判書類は保管私物の限度量とは別扱いになるはずなのに、それを知らない馬鹿共が年末年始のこの時期に、それも外部交通者も決まっていないのに、私物を処分しろとか一丁前に指示してきた。もう二度も死刑が確定し、控訴審の再開への道は厳しくなったので、裁判書類なんて不必要だと判断されたんだろう。

 私物について処分しろ等と指図してきたってことは刑の執行が近いのかな? なんて考えてしまう。自ら控訴を取り下げた場合は優先的に選ばれると聞いたことがあるけれど、僕の場合はそれを二度行っているので最優先で選ばれる可能性が高い。

外部交通申請は拘置所側から却下

 12月16日(水曜日)。外部交通申告表の審査結果を言い渡された。外部交通が認められたのは、現在音信不通状態の両親と妻、再審請求を行うための弁護人のみだった。

 妻は現在、刑事施設収容中の身であり、異議申立てをしている立場なので、まだ再審請求なんて考えるような身分ではない。なので結果として現在社会にいる人でスムーズに外部交通が認められた人は事実上ゼロだ。昨年死刑確定者の身分だった頃に、外部交通が認められていたカトリックの神父さんといった人や、戸籍上親族と認められている人との外部交通は一切認められなかった。

 どうしても納得がいかないし、外部交通が認められなかった理由も教えてくれなかったので、その日のうちに外部交通の再申請をした。本来なら認められるべき教誨師や親族が認められないのは、どう考えてもおかしいと思った。

 12月28日(月曜日)。再申請の結果をこの日言い渡されたが、申請した人達は総て不許可だった。もう最悪だ。意味が分からない。イライラや不満、怒りといった感情以前に、何故不許可になるのか? これで年内に申請していた人達との外部交通が認められることは事実上不可能となってしまった。もしかすると、生涯最期の年末年始になるかもしれないのに…。

 また御用納めとなるこの日の午前受付発信で、妻宛ての手紙を出した。年内に届けたかったので速達で発信をした。年内最後の発信となったが、この日の午後に妻が12月25日金曜日に速達で僕宛てに発信していた手紙が交付された。

 前の週の金曜日に刑事施設に収容されている妻が速達で発信した手紙が、翌週となる本日の午後に交付…って意味が分からない。速達なら、発信した日の翌日、遅くてもその次の日に届き交付されるはずなのに…。年内最後まで、大阪拘置所の書信や処遇の嫌がらせは続いた。

 本当、いろいろな意味で最悪過ぎる御用納め。2020年の締めくくりになってしまった。弁護人との面会もなかった。どうしても面会で会って話したいことがあったのに…。

 唯一、安心をしたのは、今年は年末の死刑執行が行われなかったことだ。新型コロナの感染拡大がここにきてまた広がってきているので、法務大臣も今は死刑執行命令書を出すどころではなかったのだろう。

1年後の年末、僕は生きているのか

 僕にとって二度目となる「死刑確定者」への法的身分の資格異動を言い渡されてからもうすぐ1カ月になる。この1カ月は僕にとって嫌な出来事があり過ぎた。かなり精神的に参っているけど、これも僕の運命だと思わなければやってられないし、いつまでも嫌なことは続かない。その先には必ず良いことが待っている…と信じているが、果たして、本当に待っているのだろうか?

 10月30日に妻と入籍したばかりだが、もしかすると、来年、離婚することになるかも知れない。僕自身、それを受け入れるつもりは100%ない。妻のことは心の底から愛しているし、いろいろな人達の為にも離婚する訳にはいかない。

 けど、それよりも、僕自身の人生や命が、来年の今頃までこの世にない可能性があるのか? ないのか? 「死刑囚を生かしておくのは税金の無駄だから早く処刑すべき」と煽っている人だっているし、世間では死刑制度についても反対派より賛成派の人の方が多いみたいなので、正直、日本の死刑制度見直しにはまだまだ時間がかかるかも知れない。

 その時間のタイムリミットがいつになるのかは誰にも判らない。当然、僕自身にも判らない。ただ、今の僕に残された時間はそんなに長くないかも…だ。

 最悪の場合、異議申立ての決定前に僕は国家に殺されてしまうかもしれない。こればかりは僕が決めることではないし、もう、なるようにしかならない。諦めるつもりは全然ないが、2020年死刑執行ゼロの反動で、2021年は死刑執行が大量に行われる可能性だってある。そうなれば、おそらくその中に僕の名前は最優先に入っているかも。嫌だ! けどいくら嫌だ! といってもこればかりは…。

 2020年もあと数日で終わる。この一年を振り返るのは別の機会にするつもりだ。僕の生きた証として残しておく為にも…。とりあえず今日は御用納めという一年の節目として、今の心境をそのまま書いてみたが、そんな節目となる一日にしては、精神的に辛く感じることが多かった。こんな気持ちで年越しをしなければいけないのか…なんて思うと正直、目の前が真っ暗になりそうだが、これが現実なんだし、今の僕の試練の一つだと前向きに考えて行くしかない。

 こんなフロアで一番処刑場に近く、本棚やタオル掛けのない、24時間監視カメラでLock onされている居室で人生最悪最期の年末年始を過ごすことになる。外部からも遮断されてしまい、精神的にもキツいけど、それでも僕は最期までNever give upの精神で生きていくしかない。

 12月31日(木曜日)。2020年が今日で終わってしまう…。2020年が僕にとって良い一年だったのか悪い一年だったのかは判らない。

 今日は朝から年内最後の風呂に入った。数日前から天気予報では「大晦日から元旦にかけて日本上空に強い寒気が流れ込んで、強い冬型の気圧配置になる」と言ってたが、予報通り、マジ寒い!!

 この数日、体力的にも精神的にも参っているので、僕なりに健康管理には充分気をつけて生活をしている。今日も入浴後はすぐに布団の中に入って一日を過ごした。ラジオ放送を楽しんだり、本とか漫画を読んだりしてのんびりと過ごした。

2021年元旦、紅白歌合戦の余韻に涙

 2021年1月1日(金曜日)。

 新しい年が明けた。昨夜は紅白を最後までラジオで聴いて楽しみ、しばらくその余韻にひたっていると何故だか涙が…。紅白の放送中でも何度もいろんな想いがこみあげてきて涙が止まらなかったけど、それだけ2020年はこれまで以上に僕にとっていろんな意味で特別な一年だったと思った。しばらく眠れずいろいろなことを考えたけど、何を考えていたかは憶えていない。

 気がついたら7時30分の起床を知らせるチャイムで目がさめた。すごく眠たかった。それに寒くて、一日中布団の中でこれまでと変わらずラジオ放送を楽しんだり、本や漫画を読んで過ごした。

 新年だから…といって特に何かをしたり考えたりすることはしなかった。いつも元旦には「新年の抱負」とか考えたりするけれど今年は何故だか考えたりしなかった。ほとんど新年の気分を味わえなかった。理由は全く判らない。朝食時にはおせちが出たし、昼食にはぜんざい(白玉入り)、夕食時にはみかんが支給された。ごはんも麦の入っていない真っ白なごはん。いわゆる銀シャリだ。炊き加減も良く、おいしく感じた。

 ただみかんは残念だった。動物園の猿のエサにもならないような金玉袋より小っちゃいすっぱいみかん…。おせちやお菓子類も毎年ほぼ一緒で新鮮味がなく、なんかあっけない元旦だった。

 年賀状も妻は喪中、両親は音信不通、弁護人の先生一人からの電報一通が届いたのみ。やはり、昨年が昨年だったからラジオ放送も正月ムードをあまり感じなかった。もう世間や社会から遮断されてしまったし、希望もないから、あまり新年を感じられなかったのかも知れない。

 親族や妻は僕の分まで良い新年を迎えてくれているだろうと信じているから、「もう僕はいいや」って気持ちもあったんだろう。寝不足と体力や精神力が今一つ調子悪かった…っていうのもあるけど。起床して普通に洗面していたら、いきなり鼻血が出て止まらなかったし…そんな僕の2021年は始まった。

 1月3日(日曜日)。

 笑っている暇もなく年末年始の連休も今日で終わる。明日からまた大阪拘置所の平日の日常が再開する。今回の連休は6連休だったが、すごく早く感じた6日間だった。

 この期間、僕はほぼ布団の中で一日中過ごした。外部交通が制限される前に差入れをしてもらった読めていない本が溜っていたので、ずっと読んでいたため、あまり新年も感じることなく、あっという間に時間が過ぎた感じだ。

 何一つ諦めたものだってないし、前向きにこれまで通り生きることに変化はない。両親とは音信不通、妻とも離婚することになれば天涯孤独の身になってしまう。外部交通が制限されてしまっているので、戸籍上の親族やカトリックの神父さんとも連絡を取ることが認められない。

 僕の身に万が一何かあっても遺言も届けられず、遺品だって受け取ってもらえず死刑確定者の処遇を受け持つ副看守長達に廃棄させられてしまうんだろうなぁ…(泣)。最後の最期まで、大阪拘置所の嫌がらせやイジメ、人権侵害、精神的苦痛等を受けるんだろう。大拘の死刑囚イジメは、本当にハンパないからなぁ…。

2月1日より色鉛筆の使用や所持が禁止に

 これは大拘だけでなく全国の刑事施設統一らしいが、2021年2月1日より鉛筆、色鉛筆、鉛筆削り、鉛筆キャップの使用や所持が禁止になる。昨年、鉛筆削りを使用して自殺した死刑確定者の影響だと思うが、色鉛筆の使用や所持が禁止されるのは仕方ないのかも知れないが、大変いい迷惑だ。

 その代りとして0・5ミリの黒・赤・青シャーペン、0・7ミリの黒・赤・青・ピンク・オレンジ・緑・ミントブルー・ラベンダーシャーペンの使用所持が認められる。大拘では昨年末受付申込み、年明けから配付され、使用、所持が認められるが、黒・赤・青以外だと計6色でしか絵画作品を表現出来なくなる。

 ましてシャーペンだから表現方法もかなり変わるだろう。色鉛筆でしか表現出来ないものもあるし、個人的には黄色、肌色、茶色、紫色がないのが痛い。なので1月中に現在所持をしている色鉛筆を総て使い切るくらいに絵画作品を創作するつもりだ。色鉛筆でしか表現出来ない作品を1枚でも多く創作し、僕が生きた証として、又、死刑廃止活動に役立てたいと考えている。

 今の僕はまだまだ処刑台の上に立つ訳にはいかない!! 2021年は昨年以上にしっかりと強く生きたい。何事にも負けずにしっかり頑張るから…!

 大阪拘置所新棟C棟6階単独室より  山田浩二こと 水海浩二

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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